5月28日に開催された政府の「産業競争力会議」において、座長である安倍首相は「(労働時間ではなく)成果で評価される自由な働き方にふさわしい労働時間制度の『新たな選択肢』を示す必要がある」と述べ、今後、政府として検討を進めたうえで、6月にまとめる成長戦略に具体的な労働規制の直し内容を盛り込む予定としています。
こうした政府の動きに対し、連合を中心とした労働界はこれを「残業代ゼロ法案」と批判し、声を揃えて徹底抗戦の姿勢を示しています。また、厚生労働省も、こうした労働側の姿勢やメディアなどの論調を背景に、労働時間に関する規制緩和の範囲拡大には抵抗していく構えを見せているようです。
6月6日の日本経済新聞の紙面では、日本大学准教授の安藤至大(あんどう・むねとも)氏が「労働時間に上限の設定を」と題し、財界が主導する形で進むこうした労働時間規制の見直しの動きに対して、労働者の活躍と保護の両立の観点から論評を加えています。「残業代ゼロ」という象徴的なキーワードを背景に、(ともすると)感情的な文脈において語られがちなこの問題に関して、労使の実態や制度の中身、今後の課題などが分かり易く整理されている氏の寄稿の論点を、「備忘」の意味を込めここにまとめて紹介しておきます。
まず、労働者の時間外勤務に関する制度の現状です。
良く知られているように、現行法規上、使用者が雇用者を1日8時間、週40時間の「法定労働時間」を超えて労働に従事させる場合には、労使の間で協定(←いわゆる「三六協定」)を結んだ上で割増賃金を支払う必要があります。実はこの協定により可能となる時間外労働には、月45時間、年間360時間という上限が定められており、特別な事情によりこれを超える場合には「特別条項」付きの協定を別に結ぶこととされています。
しかし、厚生労働省の調査では中小企業の43.4%、大企業の62.3%がこの「特別条項付き」の協定を結んでおり、実態として週40時間という法定労働時間自体は多くの企業で実質的な制約にはなっていないというのが安藤氏の認識です。
また、時間外労働に対しては使用者に賃金の割増支給が義務付けられています。法定労働時間を超える場合は基本となる時間給の25%、午後10時から午前5時までの深夜にはさらに25%、休日には35%が加算される必要があります。これに加えて労働基準法の改正により、2010年からは、月60時間を超える残業に対しては賃金に50%を加算することが(大企業に対して)求められています。
一方、安藤氏は、こうした法定規制も、実態を見る限り労働者の長時間労働の歯止めにはなり得ていないのではないかとの懸念を示しています。
2012年の厚生労働省「就業構造基本調査」によると、年間200日以上働いている男性正社員のうち、25~29歳の19.6%、30~34歳の20.6%、35~40歳の19.4%が週に60時間以上就業しているということです。週休2日とすると、20代、30代の労働者の約2割が1日約12時間以上働いていることになる。これは厚生労働省が定めた過労死認定基準を超える働き方であり、若手の雇用者の間で長時間労働が恒常化している現状を端的に示しているという指摘です。
実際、厚生労働省の調査でも、労災が認められた脳・心臓疾患は年間300件前後あり、そのうちの100件以上が死亡例となっているということです。「うつ病」などの精神障害に対する労災補償も、これまで年間300件前後で推移してきたものが2012年度には457件へと大幅に増加しており、そのうち自殺(未遂を含む)の件数は70件から93件へと大幅に増加するなど、労働災害に関する多くのデータが長時間労働の影響を示す形で推移していると安藤氏は言います。
多くの企業で長時間労働が可能な協定が結ばれており、実際に長時間労働が行われ、過労による健康被害も減っていない。こうした状況を改善するための方策について、安藤氏は、これまで行われてきたような「賃金の割増率の引き上げ」はあまり効果が期待できないだろうとしています。
「残業代の増額」には使用者に残業命令を抑制させる効果がある半面、労働者にはそれを受け入れさせる効果がある。(←労働者にとっては時間外労働のインセンティブが高まることになり、また使用者にとっては時間外労働を命じる口実になるということ。) つまり、ここで必要なのは、時間外労働のハードルを上げることではなく直接的に規制することであり、具体的に言えば、労働基準法を改正し、産業や職種、労働内容ごとに医学的に根拠のある数値により労働時間に上限を設定することだというのが安藤氏の見解です。
また、安藤氏は、一部の労働者に仕事が偏ることを防止する手立ても必要であると指摘しています。能力が高く記述までに必要な水準の業務をこなせる人に仕事が集中するのは当然のなりゆきというものです。しかし、こうした理由により特定の労働者に長期的な疲労が蓄積する可能性も同時に高まることから、そのために健康被害が生じた際には過去の働かせ方に問題がなかったかを調査して、一定の責任を問うことも必要になるだろうと安藤氏はしています。
さて、こうした現状を踏まえ、安藤氏はこの寄稿において「労働時間ではなく成果で賃金が決まる仕組みには注意が必要だ」という認識を示しています。そしてそこにあるのは、「努力しても成果が上がらない」という不確実性があるとき、あからさまな業績給の導入は労使の最適なリスク分担の面で問題があるという指摘です。
一般的な労働者は所得の大きな変動を嫌うため、業績変動のリスク(のある程度を)を企業側が負担する方が経営的にも効率的であると考えられています。また、実際、労働者の成果の測定にも困難性が伴い、客観的な評価や公平感の確保に対する最新の注意が必要になります。
例えば、営業成績を見ても、同程度の努力をしても担当地域によって得られる成果に大きな違いが生まれる可能性がある場合の判断や、評価されにくい業務がおろそかになるという(いわゆる)「マルチタスク問題」など、経済学における契約理論の知見を活用した繊細な議論が必要になると安藤氏はしています。
こうした中、規制改革には「順序」が重要なファクターになるというのが安藤氏の見解です。労働規制の見直しに当たっては、まず「労働時間の把握」と「労働時間の上限の設定」による労働者の保護を優先し、労働者が安心して働ける土壌を作ることが望ましいと安藤氏は言います。雇用形態の多様化などの必要な改革はその上で実施する方が受け入れられやすく、結局は近道になるがはずだという視点です。
少子高齢化による労働力人口の減少が見込まれる中、労働者を使い捨にするようなことは弱者保護の観点からだけでなく、効率性の観点からも望ましくないと安藤氏は主張しています。労働者の育成には本人や保護者の投資に加え莫大な税金が投入されている。このことを考えれば、労働者の活躍と保護の両立を実現することが長期的に日本の経済や社会を確かなものにすることに繋がるとする氏の見解を、この寄稿において興味深く読んだところです。
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