国連のグテーレス事務総長はロシア軍のウクライナ侵攻について、緊急人道アピールを発表し、各国からおよそ17億ドルの支援を要請しました。また、ウクライナからEUをはじめとした西側諸国に脱出した難民の数は既に400万人を超えていると言われており、国境を挟んだポーランド、スロバキア、ハンガリーなどで、温かく迎えられているウクライナ難民の姿なども広く報道されています。
ウクライナに侵攻するロシア軍には世界各国から非難の声が寄せられており、欧米先進国を中心としたロシアへの経済政策の枠組みも、日増しに強固なものとなっています。
しかし、世界に広がるこうしたウクライナへ支援の動きに、疑問や不満の声が一部で上がっているのもどうやら事実のようです。
ターリバーンの軍事侵攻に伴い、米軍が長年駐留したアフガニスタンから撤退したのは記憶に新しいところです。ターリバーンのイスラム原理主義政権を嫌ってアフガニスタンから逃れようとした人々には、いまだに行き先が決まらないどころかアフガニスタンからの脱出すら思うに任せない者たちが多いとされています。
また、ポーランドはつい最近、ベラルーシとの国境に障壁を張り巡らせ、入国を希望するイラクやアフガンからの移民・難民を追い返すことに躍起になっています。ハンガリーやルーマニアは2015年に発生した「EUの難民危機」に際し、徒歩で越境を図る「シリア難民」の行く手を阻み、自国での保護を断固拒絶したことは広く知られています。
強大な軍事力により一方的に相手国の領土を蹂躙する今回のロシアのやり方は(確かに)糾弾されてしかるべきと考えますが、それにしてもなぜこれほどまでに欧米を中心とした西欧各国はウクライナに「優しい」のか。
3月31日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に、テレビなどで活躍するタレントの「パックン」ことパトリック・ハーラン氏が、「欧米のウクライナ援助の裏にある不都合な真実」と題するコラムを掲載しているので、参考までに概要を残しておきたいと思います。
当事者の見た目によって対応が変わるという傾向を、僕はアメリカでよく見てきたと氏はこの論考に記しています。
アメリカでは、黒人の子供は白人の10倍もの確率で銃で殺害されているが、ジョンベネちゃんのような金髪の白人少女が殺されると注目度は桁違いになる。有色人種の間にコカインが流行ったときは「終身刑も含めて麻薬使用者への取り締まりを厳しくしよう!」という声が多かったのに、白人の間に鎮痛剤オピオイドの乱用が流行ると「治療の支援をしよう!」と世論も政策も変化したということです。
国外への向けた対応も同様で、トランプ前大統領は大統領命令でイスラム圏など7カ国からの入国を禁止。さらに中南米からの難民を「侵略」として国境に米軍を派遣して(ご存じのように)メキシコとの国境沿いに壁を建てようとした。しかしその一方、議員との会議ではハイチからの移民をアメリカから追い出し、ノルウェーのような国からもっと(肌の色の白い)移民を受け入れるべきだと話したと氏は言います。
そうした傾向はヨーロッパも同じで、コートジボワールやナイジェリア、ギニア、エリトリアなどからヨーロッパに向かう途中の地中海で溺れる移民・難民は毎年数千を数えるが、「要塞ヨーロッパ」のガードは堅いということです。
さて、そこへきて、今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。ウクライナからの難民は自動的に特別難民指定を受け、EU圏内に滞在し、学校に通い、医療を受け、就業することもできるという特別待遇を受けている。(なかなか言いづらいことだが)アフリカ難民よりシリア難民。シリア難民よりウクライナ難民と、その待遇の差は明らかだというのが氏の指摘するところです。
差別的な気持ちや考え方は醜いが、一番残念なのはそれによって生じる対応の違いにある。被害者の顔が似ているから、同じキリスト教を信仰しているからといったことではなく、主権国家の国境が破られ、街が破壊され、民間人が大勢殺されているからこそ(自由と人権の名の下に)動くべきではないかと氏はこのコラムで問いかけています。
今、ウクライナ危機で欧米の国々が見せている団結、決意、対応の迅速さや規模は、遠いところで「違う文明」の人に問題が起きた時にも見せないといけないもの。世界の経済力、軍事力、影響力が集中している欧米先進国の状況を踏まえれば、世界全体の平和維持に貢献する責任もその恵まれた環境に伴うのではないかと氏は言います。
日本の近隣でも、将来、似たような侵害が起こり得ると多くの人が指摘している現在、万一有事の際には、欧米の国々は国際法と人道を守るためこの遠い東アジアの地でどれほど頑張ってくれるだろうか?
自国民の生活を犠牲にしてまで経済制裁で団結を見せるのか? 大勢の難民を受け入れてくれるのか? 戦後の復興に貢献するのか? ウクライナ危機に対する対応には感心するが、それがバイアスに基づいている可能性があるから、こんな疑問が根強く残るということです。
氏によれば、米国における黒人差別への抵抗運動で知られるキング牧師は、留置所から出された手紙に「1カ所で起きた不正義でも、全世界にとっての不正義だ」(「いかなる場所の不正も、あらゆる場所の公正への脅威となる」)と記したとされています。
もしもどこかに自由や人権を抑圧する不当な力から逃れ、あるいは抵抗する人々がいれば、(肌の色や生活水準、信じる宗教などとは関係なく)彼らを支持し支援する強い気持ちを持つ必要がある。国際関係においても、キング牧師が示したこの教訓を(今のうちに)再確認しておかなければならないと考えるパトリック氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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