
人事コンサルティング会社「株式会社Joe's Labo」代表の城繁幸氏が、11月7日の自身のブログにおいて、「専業主婦も終身雇用も割と最近の流行りもの」とのタイトルで、日本の社会や雇用慣行などに関して(面白い)論評を加えています。
明治期に制定された民法で「解雇は2週間前の通告だけでいつでも可能」となっていることからも明らかなように、もともと日本は雇用の流動性が高い社会だったというのが、この論評における城氏の基本的な認識です。
確かに、戦前の日本経済は農業人口の割合が高く、明治期の前半まで第一次産業の就業人口は70%を超えていました。また、データからは、戦後の1950年頃まで国内の就業者の実に半数以上が、(基本的に「家」単位で)農林水産業に従事していたことが見てとれます。
就業形態別の統計を見ても、1950年頃まで「雇用者」として働く労働者は全体の約4割に過ぎず(←それ以前は当然もっと高かった)、一方で自営業主が約3割、家族従業者として働く者が約3割と、戦後の一時期までは就業者の過半が農家や職人、小規模店舗などのいわば「個人事業主」として(ある意味自律的に)労働に従事していたことが分かります。(総務省統計局「労働力調査」)
城氏によれば、こうした「雇用者」についても、第2次大戦中は国家総動員法や従業員移動防止令等により勝手な転職を禁止したり、抑制したりしなければならなかったほどであり、未整備な労働法制や産業構造の急激な変化とも相まって、日常的に様々な職を転々とする人々が多かったということです。
さらに氏は、本来、日本は「実力主義」の色濃い社会でもあったとしています。確かに、明治維新の原動力となった志士たちは20~30歳代の若者であり、欧米の新しい考え方や技術、商売の仕方などを取り入れ、成りあがっていった数多くの若者達が、明治、大正の日本社会や経済を引っ張っていったことは論を待ちません。
昭和の時代に入っても、戦前の緒方竹虎は38歳で朝日新聞社の取締役になっているし、戦後も田中角栄が郵政大臣として初入閣したのは39歳の時だった。つまり、実力があれば大きな組織の中でも相応の評価を受け、抜擢され、トップにまでのし上がれるという環境がつい最近まであったと城氏は指摘しています。
ところが、高度成長期に入って新しい流れが起こった。日本が実質成長で毎年10%近くも成長し続けていた時代、裁判所は「(どうせ業績が悪くても一時的なものなのだから)企業はよほどのことが無い限り従業員を解雇できない」という判例をどかどか量産し始めた…というのが城氏の見解です。
城氏は、日本ではこのようにして、戦後の高度成長期になって初めて(後付けで)「終身雇用」というシステムが生み出されたとしています。さらに言うと、人為的に超長期雇用が生み出されたことへのバーターとして、「定年制度」という、単に年齢のみによって雇用者を解雇することができるという(考えようによっては相当一方的な)企業救済の措置が設けられるようになったと説明しています。
さて、こうして一時的な人員整理に対するハードルが上がった日本企業においても、繁忙期と閑散期がある以上は当然どこかで雇用調整をする必要が生じます。そこで、日本企業では、主に残業時間を使って雇用調整をするようになったと城氏は指摘しています。
企業は、(もともとの雇用数をセーブしておいて)忙しい時には目一杯残業させ、暇になったら残業時間を減らす手法を採用したということです。雇用を守るためという名目で、労使は青天井で従業員に残業させることを合意した。そしてその結果、(賃金がそれほど高くない)若い労働者が猛烈に働かされる状態が日常化し、そして国際的にも「過労死(karousi)」が日本の名物として知られるようになったというのが、こうした日本固有の状況に対する城氏の見解です。
さらに城氏は、終身雇用はその他にもいろいろな副産物を生み出しているとしています。
企業は、雇用を維持するため、(残業ばかりでなく)従業員は辞令一枚でいつでも全国転勤しないといけないとする雇用慣行を作った。東京の本社で余っている人を、空きの出た仙台支社に移す(転勤を迫る)ことで定年までの雇用を守れるようにするということです。
となると、当然共働きは難しい。夫婦のうちどちらか一方は家庭に入るか、稼ぎ頭の都合に合わせていつでも退職が可能なパート労働で我慢する以外にない。こうして、夫は会社で滅私奉公し、妻は家庭で専業主婦というロールモデルが一般化することとなったというのが城氏の見解です。
「終身雇用」や「過労死」、「専業主婦」といった現象は、実は日本本来の伝統でも何でもなくて、こうしたことから分かるように割と最近の「流行りもの」に過ぎないというのが、城氏によるこの論評の眼目です。
城氏はさらに、「新卒一括採用」という日本固有の従業員の採用形態についても、長期雇用を前提に企業が自らの社風にあった社員をじっくり育てるためには「若くてポテンシャルのある(色のついていない)人材をまとめて採る方が合理的」という考え方から来ているものだとしています。
裏を返せば、就職に当たって企業はポテンシャルと学校名しか見ないので当然大学生は勉強しなくなり、大学の「レジャーランド化」が進むことになる。
また、社会が成熟しそれまでのような成長が見込めないゼロサム経済に移行すれば、旦那一人の稼ぎでは子供二人育てるのは困難となって出生率の低下を招くなど、終身雇用はいろいろな副産物を生み出していると城氏は指摘しています。
こうした状況について、城氏は、どれ一つとっても、これから成熟した先進国になる上では取り除かねばならない課題だとこの論評を結論付けています。
「雇用の保証」が社会の変化への適応や経済の活性化を抑制する方向に機能しているというこのような指摘を、最近良く耳にするようになっています。私たちの暮らしを守るために採用してきた制度であっても、やみくもにそれに拘り、すがり続ければよいというものではないということでしょうか。
「労働市場改革は構造改革の本丸である」とするこの論評における城氏の指摘を、私たちにそうした視点を強く促すものとして読んだところです。
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