MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯617 品川駅は今日も潮の香りだった

2016年10月06日 | 日記



 ちょっとした用事があって、今日は随分と久しぶりに品川駅に降り立ちました。

 東海道新幹線品川駅の新設に伴う数年前の再開発の際に木造平屋建てだった小さな駅舎も今や近代的な駅ビルへと建て替えられ、夕方の江南口は立ち並ぶ高層ビルから吐き出されたビジネスマンでいっぱいです。

 西日を浴びたペデストリアン・デッキには、この夏の終わりを告げるかのようにかすかに気怠い潮の香りが西日とともに流れ込み、どうやらここが海に近い場所であることを道行く人に告げています。

 そして、この場所に立って、潮の香りとともにはっきりと思い出したのが、東京がオリンピックの開催に湧いていた1964年の夏の品川駅の景色でした。

 JRがまだ国鉄だった頃。さび付いた鉄骨も無骨なプラットホームやコンコースに、駅弁や網に入った冷凍ミカン、お茶などを売るおじさんたちや、「赤帽」の人影が普通にあふれていた時代の話です。

 緑とオレンジに塗り分けられた東海道線や、その頃は「湘南電車」と呼ぶ人も多かった横須賀線。前の年に(ようやく)緑色に塗り替えられたばかりの山手線に、まだこげ茶色だった京浜東北線が集まる品川駅には、(さらに)おもちゃのように真っ赤な京浜急行なども乗り入れていて、朝夕のラッシュ時にはそれは賑やかな、非日常的な空間を作り出していました。

 当時の品川駅は、西側の高輪口と海側の江南口が少し薄暗い地下の長い通路でつながれていて、大雨が降るとよく水につかって通行禁止になっていました。また、普段はそこに、靴磨きや傷痍軍人のおじさんなどが何人も並んで座っていて、あたかも魔界への入り口に来たような不気味な恐ろしさを子供心に感じさせられたものです。

 そして、そんな夏の日の午後。

 第一京浜の向こうに続く高縄手の森を背に、高輪口からひとり(線路の下をいくつもくぐる地下道を通って)はじめて江南口に出た私の目の前に広がっていたのは、バラックのような倉庫や建物が平らに広がる、夕日に照らされた別世界でした。

 駅の正面には品川の埠頭に向かって道が一本まっすぐに伸びており、その先にはかすかに船のマストのようなものも見え隠れしていました。

 駅周辺は、タクシーや港湾工事のダンプが埃をまき散らしながら行き交うばかりで、女、子どもの姿はほとんど見当たりません。

 そこに行き交う(おそらくは港で働いているであろう)屈強な男たちの背中には、ランニングシャツで隠し切れない入れ墨なども見え隠れしていて、この場所が大人の世界であることが子供心にもはっきりわかるような風景でした。

 そして、何よりも記憶に残っているのは、それまで感じたことのないような強い潮の香りです。

 「どうしよう…」 

 駅に向けて風が運んでくる強烈な海の匂いに、なぜだかくらくらした不安な気持ちが不意によみがえります。あれから50年以上の月日が過ぎているというのに、記憶というのは何と不思議なものなのでしょうか。

 自分が齢いを重ねる間に、気が付けば品川の海もまたずいぶんと遠くに離れて行ってしまったようです。

 リニアモーターカーの始発駅となることも決まり、すっかり飼いならされてしまった観のある品川駅の景色を前にして、かすかな潮の香りとともに立ちすくんでいる自分に何故か気が付いてしまった(少しだけ特別な)夕方でありました。



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