8月3日の写真週刊誌「FRIDAY」が、『旧統一教会”密接交際議員”が「清和会」ばかりの納得の理由』と題する記事を掲載しています。
旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党を中心とした国会議員の名前が取り沙汰される中、特に自民党最大派閥の清和会は、安倍晋三元総理を筆頭に“ズブズブな仲”が報じられていると記事は指摘しています。
実際、自民党の内部調査で判明した“旧統一教会系議連”には100名近い自民党議員が名を連ねているが、そのうち清和会の議員は35名と全体の約4割を占め、他派閥を圧倒しているということです。果たしてそれは何故なのか。
今からおよそ25年前、自民党は経世会(橋本派)が全盛期で、清和会は傍流派閥の一つだった。財務相や外務相など重量閣僚や農林相、経産相、国交相など利権ポストは回ってこず、文教族の森会長が文科省の大臣ポストを何とか手に入れるに過ぎなかったと記事は言います。
そして、その文部省が(当時から)強い影響力を持っていたのが宗教法人。文教族議員の一人としてここに目をつけたのが、安倍元総理の慧眼だというのが記事の指摘するところです。
現実に、2012年の安倍政権下以後の文科相は、下村氏、馳浩氏、松野博一氏、林芳正氏、柴山昌彦氏、萩生田光一氏、末松信介氏の7人で、宏池会(岸田派)の林氏を除けば、全員が清和会。宗教法人を動かすためには文科相ポストを維持することが重要であることを、安倍氏は理解していたと記事はしています。
安倍政権以後の菅・岸田政権でも文科相ポストは清和会で牛耳った。宗教法人が学校を作りたければ、陳情してくる。法人格の維持も必要。その対価として“選挙マシーン”として宗教団体を活用したということです。
そのメリット(価値)はどこにあったのか。国政選挙では、カネもさることながら、無料で働いてくれるマンパワーこそがものを言うと記事は指摘しています。「電話かけ」「ポスター貼り」「戸別訪問」、この3つは一般の運動員から敬遠されがちだが、布教活動で戸別訪問や電話かけなどを日常的に行っている信者には当たり前のこと。布教活動と政治活動は通じるものがあり、信者は極めて優秀な“選挙用運動員”として、安倍元総理は国政選挙6連勝を陰で支え続けたということです。
ともあれ、(創価学会と公明党の例を引くまでもなく)政治と宗教団体の垣根は意外に低く、活動の親和性が極めて高いのは(おそらく)事実です。さらに言えば、宗教団体が政治にかかわる事自体に支障があるという認識もなかったことでしょう。
もしもそうだとしたら、日本の政治の在り方のいったい何が問題なのか。作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が「週刊プレイボーイ」誌に連載中の自身のコラムに、『問題は「政治と宗教」ではなく民主選挙の仕組みにある』(2022.9.26発売号)と題する一文を寄せているので、参考までにその一部を紹介しておきたと思います。
もともと「世界基督教統一神霊協会」は、北朝鮮出身の文鮮明が日本の植民地支配が終わった1945年に布教を始め、朝鮮戦争後の50年代末から日本での布教を開始した宗教団体。その政治との関わりは、文鮮明が68年、自民党の大物政治家で元首相の岸信介や、右翼活動家でフィクサーでもあった児玉誉士夫らと国際勝共連合(名誉会長は笹川良一)を設立したときに始まり、以来、その人脈は岸の娘婿の安倍晋太郎、孫の安倍晋三へと引き継がれたと橘氏はこのコラムに記しています。
国際勝共連合の目的は、その名が示すとおり、共産主義に勝つことにある。アジアや中南米で次々と社会主義政権が誕生。ヨーロッパでも共産党が党勢を伸ばし、日本では全共闘による第二次安保闘争の嵐が吹き荒れる当時の状況を考えれば、右派の政治家にとって、強固な反共理念をもつ宗教団体と手を組むことは意味があったというのが氏の時代認識です。
ところが、その後のソ連の退潮で共産主義の脅威が薄れ、過度の勧誘や献金、合同結婚式などで統一教会が社会的な批判を浴びるようになっても、自民党は関係を切ることができなかった。
その理由は、(まさに)選挙の票にあったと氏は話しています。日本には713名の国会議員(衆議院465名、参議院248名)がいるが、一般の国民が名前をあげられるのはせいぜん10人から20人。ほとんどの政治家が無名であるにもかかわらず、それでも選挙で票を集められるのは特定の団体とつながっているからだということです。
旧統一教会の信者数は、(諸説あるものの)実態は2万から多くても6万人程度とされている。しかしその周辺には、選挙のときだけつき合うライト層がいて、それを合わせると十数万票を動かす力はありそうだと橘氏はしています。
この票を取りまとめていたのが安倍元首相で、7月の参院選で自身の側近を当選させるために教団の票を回したとされている。この候補者は落選した19年の選挙から8万票ちかく上乗せしたが、そのために現職の参議院議員が出馬を断念しており、統一教会の票で当選できたのはせいぜい数名に過ぎないというのが氏の見解です。
(さて、ここからが本題ですが)それにもかかわらずなぜ大きな影響力を持つのかと言えば、政治家は落選すると「ただの人以下」になってしまうからだと氏はしています。
(小選挙区制の下)彼らが生き残るためには、数十票を取りまとめてくれる町内会長や商店会長にまで土下座しなくてはならない。だとすれば、数千票、あるいは数百票であっても、確実な票をもつ団体が支援を申し出ればどうなるかは考えるまでもないというのが氏の指摘するところです。
実際、例えば全国の農協関連団体が動かせる票は、およそ15~20万票と言われている。しかし、(それでも)自民党内の農林族という族議員の人たちが農協の利権を頑なに守ろうとしているのは、日本の政治家が(当てにできる)確かな「支持基盤」を求めていることの証左だということでしょう。
こうした関係は、(実のところ)医療・看護、教育、公共事業関連など、政策とビジネスが直結するすべての業界で同じだと橘氏は話しています。必要なのは、当てにならない都市部のサラリーマンや主婦層の浮動票よりも、利益関係で直接結びついた確固たる支持団体だということです。
彼らが票集めに活発に活動することで、この日本では多くの(おつきあい)票が手に入ることを政治家たちはよく理解している。だとしたら問題は、政治と宗教の関係というよりも、巨人ファンや阪神ファンよりずっと少ない人数の団体が、不均衡に大きな政治的影響力を行使できる民主選挙の仕組みにあるのではないかとこの論考を結ぶ橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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