MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2606 「ガチャ思考」の問題点

2024年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 「配属された部署がハズレだった」(いわゆる「配属ガチャ」に外れた)ことなどを理由に、入社研修が終わった時期などに退職を決意する新入社員が増えているとのこと。特に今年はGWの連休明けには新卒者からの「退職代行サービス」への問い合わせが急増したことが報じられており、こうした傾向は一層顕著になっているようです。

 一方、結婚相談所やマッチングアプリに登録し、「当たり」の相手を引くまで何度でもデートを重ねるのが「婚活ガチャ」。プライドをかなぐり捨て、なりふり構わず気合と根性でトライし続けた結果、お金と気力、そしてギリギリの若さを使い果たした…などというのもしばしば耳にする話です。

 親ガチャに始まり、上司ガチャ、配属ガチャなど、若者の間で「ガチャ」という言葉がますます存在感を増しているのは、昨今の、「悪いのは自分でなく相手」「今回は運が悪かっただけ」という風潮の表れか。全てを運命のせいにして「ダメなら次」「それでもダメならまた次」へと繰り返す若者たちの姿に、その努力が不毛なものに終わらなければよいが…と、老婆心ながら感じてしまうのは私だけではないでしょう。

 そうした折、5月8日の経済情報サイト「東洋経済ONLINE」に経営学者の舟津昌平氏が、『「ガチャ化する社会」でZ世代が持つべき考え方』と題する一文を寄せていたので、小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 長い人生において、ままならないものはたくさんある。努力しても無意味だし、人生はガチャで全て決められてしまうというのであれば、そうした「ガチャ」を当てる方法を考えるのは当然のことだと氏はしています。

 商店街の店先にたくさん並んだ「ガチャ回し」。そこから望むガチャを当てるには、一体どうしたらよいのか。そこでまず思い浮かぶ単純明快かつ唯一の方法は、試行回数を稼ぐことだということです。

 確率が固定されていて介入できないにしても、何度も引けば当たるかもしれない。何回も引けるガチャなら、時間とお金が許す限り引き続ければいつかは当たるに違いない。ただし当然ながら、親も上司も配属も何度も引けるガチャではない。そこは困った点である。しかし、半永久的に引けるガチャがある。それは「婚活ガチャ」だというのが、この論考で氏の指摘するところです。

 ガチャを当てる方法、それはズバリ、当たりが出るまで何度も引くことだと氏は言います。しかし、この必勝法を実践しているはずの人が、当たりを掴めずなぜかガチャを引き続けている。なんだこのガチャ、当たりが入ってないのか?…もうお気づきだと思うが、ガチャ概念は決定的な弱みを抱えている。それは「当たりがどこかにあると錯覚している点」にあるというのが氏の見解です。

 条件の完璧に合った運命的な出会い。自らを顧みることのない妄想の中のパートナー…そんなものがカプセルに入れられて、いつかは目の前にコロッと飛び出してくると期待しているとしたら、確かに一生はずいぶんと短いものになってしまうことでしょう。

 同様に、「自分、配属ガチャ、外れたんですよ。上司ガチャもハズレ。やってられないですよね。こんな会社、辞めた方がマシだわ」…なんて言っている人に本当に忠告すべきは、「あなたはあまりに他責すぎますよ」とか、「同僚に失礼な物言いですね」といった言葉ではないと氏は言います。

 それは、もっと別のこと。「じゃあ、あなたの思う当たりとは何であって、どこに存在するのかご存じなのでしょうか?」「当たる見込みはありますか?」という問題なのだというのが氏の主張するところです。

 当たりが何なのかも認識できないままに、またハズレだと運と他人を恨みこうしてガチャを回し続けている人は、(ある意味)そういう人を顧客にしているビジネスにとってみれば「お得意様」、格好のカモでしかないということです

 「じゃあなんだ、ガチャ外れても我慢しろってことか」…みたいな反論も聞こえてきそうなところだが、一つだけ、人間の主観世界は変わりうるものだということはお伝えしておきたいと、氏はこの論考の最後に綴っています。

 最初はイヤな人だ、合わないなあと思っていても、なんだか慣れてくるとよい所も見えてくる。そういう楽観的な見通しを持つことは、(少なくとも)ガチャを回し続けるよりは賢明に思えると氏はしています。

 一見しただけでは、ハズレのガチャが世にありふれているように見えるこの世の中。しかし、当たりを決定づけるあなたの主観確率は、今後時間を経るごとにいくらでもよい方に転がっていくよと、(ガチャが外れて嘆く方には)ここで強調しておきたいということです。

 確かに、最初から「当たり」を決めつけてそれ以外のものを排除していっても、それはだけでは自らの可能性をぐっと狭めていくことに繋がるばかりなのかもしれません。

 特に、まだまだ時間が残されているZ世代ならばなおさらのこと。片っ端からハズレ認定するよりは、泥の中に蓮を見出す力を磨いた方がよほど当たりが待っているはずだと話す船津氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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