労働組合の「連合」が一昨年の5月に有職者を対象にインターネットを用いて行った「仕事の世界におけるハラスメントに関する実態調査(2019)」によれば、「職場でハラスメントを受けたことがある」と回答した人は回答者全体の38%に及び、(労働組合による調査であることを割り引いても)それなりに高い割合であることがわかります。
上司からのハラスメントで多いのは「脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言などの精神的な攻撃」(いわゆる「パワーハラスメント」)で、同僚からのハラスメントで多いのは「隔離・仲間外し・無視などの人間関係からの切り離し」などの(いわゆる「職場内いじめ」)だったということです。
その結果、ハラスメントを受けた人の54% が「仕事のやる気を喪失」し、22% は「心身不調」に陥り、 19% が「退職・転職」に追い込まれたと回答しており、中でも、ハラスメントを受けたと回答した20歳代の3割近くが「離職を選択した」としていることから、問題の深刻さが伝わってきます。
仕事の生産性を下げるばかりか、働き手の健康にも大きく影響する職場のハラスメント(特に業務遂行上の上司などによるパワーハラスメント)を防ぐにはどうしたらよいのか。
ハラスメント問題に詳しい日本橋江川法律事務所代表弁護士の江川淳氏が、11月30日の日本経済新聞に、「パワハラ予備軍の把握と対策を」と題する論考を寄せています。
職場のハラスメント防止を企業に義務付ける「パワハラ防止法」が6月に施行されたが、(事後的な対応の必要性はもちろんだが)最も大切なのは「どうすれば(その発生を)未然に防げるか」という視点だと、江川氏はこの論考に綴っています。
パワハラ事案の原因として氏が実際に企業から相談を受ける中で、最も多いのは「仕事のできる上司」が「行き過ぎた指導」として行うケースだと氏は言います。
これはつまり、実績ある有能な上司が部下に物足りなさを感じ、いら立ちのあまりパワハラを行ってしまうというものです。
実際にパワハラをするかどうかは本人の個性や価値観によるところが大きく、感情をコントロールできない人は、家庭でも職場でも感情を爆発させると氏はしています。
一度爆発させてしまうと二度、三度と続くことになるが、それが職場の長である場合には周囲も言い出しにくく、萎縮を強いられる職場環境が生まれるというのが氏の認識です。
ここで経営陣が念頭におかなければならないのは、ひとたびパワハラが発生すれば加害者と被害者の社員をともに失うリスクだと氏はこの論考で説明しています。
一旦そうしたことが起これば、時間と費用をかけて育てた(優秀な)社員を一度に失うことになる。それを回避するためには、パワハラをしそうな「パワハラ予備軍」が実際に加害者とならないようにする視点が重要となるというのが氏の指摘するところです。
実際、どこの企業内にも多くの「パワハラ予備軍」が埋もれていると江川氏は言います。なので、パワハラを未然に防ぐには、予備軍を積極的に掘り起こして自覚を促す必要があるというのが氏の見解です。
さて、ここからが重要なところですが、予備軍を掘り起こすためには、社内で相談を受け付ける際に「パワハラか否か」ではなく「パワハラ予備軍か否か」を基準とし、ハードルを下げて幅広く端緒をつかむことが効果的だと氏はこの論考に記しています。
普段の上司としての行動の中に、パワハラとまでは言えなくても(「また始まったよ…」というような)周囲を憂鬱にさせたり職場の風通しを悪くするような、問題をはらむ言動が見られないか。
そんな時、部下の指導・評価をめぐる悩みについて、同程度の職位の社員が話し合って共有する場を設けることも有効だと氏は説明しています。
そうした作業によって得られた指摘は、上司本人の指導スキルの向上のみならず、指導や評価に極端な考え方を持つ「予備軍」社員のあぶり出しにつながるということです。
もとより、パワハラ予備軍は自身の不適切な感情発現への認識が薄く、会社からの指導に反感を持ちやすいと氏は指摘しています。
そうした人々に自覚を促す際には、予備軍以外も含めた複数社員に対する講習の形を取ったり、上司や弁護士など専門家による個別カウンセリングを行ったりすることで効果が上がる。対象者を直接とがめるのではなく、指導の悩みに共感しながら丁寧にリスクを説いて自覚を促すのが適切だということです。
さて、私のサラリーマンとしての記憶を振り返っても、確かにどこの職場にも「こいつはちょっとやり過ぎ」と感じさせるような「厳しい上司」「嫌味な上司」はいたような気がします。
部下全員に厳しいわけではなくても、好き嫌いが激しく、特定の気の合わない部下だけを徹底的に叩いたり干したりするサディスティックな上司の記憶も、誰もが一人や二人は持っているのではないでしょうか。
しかし、大きな組織の中では、そうした人たちも「多少乱暴だが問題は起きていないのだから…」「彼は厳しいけど業績は上がっているし…」と放置され、場合によってはどんどん昇進していったりする。
彼の歩いた後は「ぺんぺん草も生えない」などと陰口を叩かれていることにも、本人は全く気が付いていないということもしばしばでしょう。
(そうしたこともあって)自分自身がそうした状況に陥らないために、厚生労働省は自分がパワハラの行為者になる可能性の大きさをチェックするための「管理職向けチェックリスト」なるものを公開しています。
参考までに紹介しますと、
① 部下や年下の人から意見を言われたり、口答えをされたりするとイラッとする。
② 自分が間違っていたとしても、部下に対して謝ることはない。
③ 自分は短気で怒りっぽいと思う。
④ 感情的になって、すぐその場で叱っている。
⑤ 厳しく指導をしないと、人は育たないと思っている。
⑥ なんとなく気に入らない部下や目障りと感じる部下がいる。
⑦ 仕事のできない部下には、仕事を与えないほうが良いと思う。
⑧ 業績を上げるためには、終業時刻間近であっても残業を要請するのは当然だと思う。
⑨ 部下が自分の顔色を窺っているような雰囲気がある。
⑩ できる上司は、部下の家庭環境などプライベートな詳細情報まで把握しているものだと思う。
⑪ 学校やスポーツで体罰をする指導者の気持ちは理解できる。
というようなもの。
以上の項目に3 つ以上該当したら要注意。日頃の言動に注意するとともに、一度、パワーハラスメントの具体例に関する研修やパワーハラスメント問題を防ぐ指導法に関する研修を受けることをお勧めするということです。
気が付かないうちに(いつも機嫌の悪そうな顔をして)職場の雰囲気を悪くしてはいないか。自らがパワハラの加害者にならないためにも、各人が十分に気を付けていく必要がありそうです。(^^)
ご指摘の通り連合の調査ですから、38%という数字には多少のバイアスがあるかもしれません。でも、ほぼそんな感じでしょう。
ただし、厚労省の調査結果も連合の調査結果も見過ごしてはいけない点があります。それは、それが実際にパワハラだったか、ではなく、パワハラを受けたと「感じた」ことについて回答を得ている点です。実態では残念ながら真のパワハラではないものもある程度含まれており、中には恣意的な回答も含まれていると推測できます。
しかし、ハラスメント関係の労働問題について恐らくもっともお詳しい東京ゆまにて法律事務所の井口博弁護士は「この数字は、日本中で3組に1組の上司部下のあいだで深刻なコミュニケーション不全がある、ということを意味している」とおっしゃっていますので、そういう視点での留意は必要でしょう。
さて、記事中の江川先生のご指摘・ご提案はごもっともなのですが、「予備軍」についてかんたんにあぶり出しができ、内省していただければ苦労はない、というのが現場の声です。まず本人にパワハラ行為者予備軍であるという自己認識が決定的に欠けていますし、欠けているからこそ治らない、という恨みがあります。
例えばご提案のように、本人を狙い撃ちするのではなく他の人とも交えて研修、と言っても、本人は最後まで他人事としか捉えていません。「自分は違う。誰か他の人が対象なんだろう」と信じ続けているからです。実際の研修後のアンケート回答に「研修を通じて自分はパワハラ行為をしていないことがわかり安心した」と書いたパワハラ行為予備軍も居ました。
したがって、未然予防は確かにハラスメント問題の最優先ですが、残念ながら決定打はありません。
喩えて言うなら、どうしても非常識なスピードを出して運転したがる人に、「スピード違反とはなにか」を具体的にあの手この手で徹底的に教えて、かつその行為がどれだけの悪影響とデメリットをもたらすかを繰り返し叩き込み、一方で「スピードを出さなくても楽しく走れる方策」を体験させていくしかない、と思っています。