実家は饅頭を作っていたので、全ての饅頭つくりにはあんべらは欠かせません。
私も小さい頃は仕事に関わることはゆるされなかったけれど、ある程度大きくなってからは、色々やりました。
先ずは下働き。私が中学生になった頃は父はもう55歳くらいだったのかなあ?
だんだん体が辛くなってくるころです。
こし餡作りは結構体力を使います。
先ず大がまに炊き上がった小豆を専用のバケツで運んで石臼で引きます。
大きな浅目の樽を3つ用意して、一つは石臼の下で潰されて出てくる餡を受けます。
次の樽では粗めの篩い(フルイ)にかけて小豆の皮をはがす作業です。
最後の樽には水を張って細かい篩いで水にさらします。
全部中腰の作業です。
最後に、底に沈殿した餡を布袋で漉すのですが、それはさすがに父がやっていました。
そして餡を炊くのは大がまで、ボートのオールの様な櫂で休みなく混ぜ続けます。作業をする時、父は田端義男の「かえり船」をよく歌っていたのを思い出します。
そして、餅つきも昔ながらの臼と杵。
臼取りもある時期は更年期?の母に代わって私がやっていました。
兄の代には餅つきは機械でやるようになっていましたが・・・
饅頭を作るのも全てやらせて貰えるわけではなく、私がやらせて貰ったのは六方焼きを焼くこと。そして餅饅頭、あんころもちを包むこと。最中程度かな?
桜餅や柏餅の葉をくるんだりするのは助手の仕事。
昔はよく祝儀にも不祝儀にも紅白、あるいは黄白のお饅頭が使われました。
それに、焼印をつけることもありました。そんな仕事もやったし・・・
修業から兄が帰ってくると、お茶席で使うような上品な和菓子を作るようになりました。
それの助手もよくやりました。あれは楽しかったなあ!
色もきれいだし、色々な花になったり、和菓子に名前がついて、まるで魔法の様でした。
あ!又昔の思い出話になってしまいました。
とにかく餡べらは便利な代物です。