いのち・・・って
何なんだろうなぁ・・って思う。
義理の兄の命が短いという知らせを電話で受けたのは
「オレンジロード」CD作成の真っ最中だった。
「オレンジロード」を完成させるにあたっては
色々な難関があった。
でも、
人間、やってやれないことはない。
今回ほどそれを感じたことはなかったかもしれない。
この詞が私の元に届いたのは11月。
震災後、実はまだまだ心の傷は癒えておらず
その気持ちを詞に託したと。
わたしは一週間後に作曲し
メロディを録音してハートランドに聴いてもらった。
しかし、変調の部分だけ
どうしても納得のいくメロディにつなぐことができない。
そこで、音楽仲間のshinyaさんに相談してみると
すぐにメロディをつけてくれた。
メロディを聴いた私は
私ではできなかったフレーズに感動し
とても新鮮な気持ちになった。
これならイケる!と思った。
そして、shinyaさんにアレンジをお願いし
shinyaさんは快く受けてくれた。
本当にありがたいと心から感謝した。
しかしそのあと、色々アクシデントがあり
結局、最終的にできあがったのが
2月23日だった。やっとたどり着いた!
Heart to Heartの震災復興ソングがやっと誕生したのだ!
が・・
まさかこの一週間後に義兄が急死するなんて
想像もしていなかった。
どれかがあと、一週間ずれていたら
このタイミングでCDを完成させることはできなかっただろう。
何しろ、期限は2月末。
そしてできあがったCD150枚を、被災地の高校の生徒さんに
プレゼントするという大きな課題があったのだ・・・!
そのCDをハートランドに郵送し
残りの作業はハートランドに託した。
間に合った・・・!
本当に本当に奇跡のような気持ちだった。
絶対に間に合わせる!
その気持ちが天に通じたような思いだった。
私たちの熱い想いが、生徒さんに届くか・・届け・・!どうか届いてください!
そう 私は強く念じるばかりだった。
義兄は私よりひとまわり以上年上で
わたしの実の叔父と同じ年齢である。
なので、兄と言うより「叔父」という感覚だが
まだまだ若く、スポーツマンで
わたしも大好きな人だった。
夫は四人兄弟の末っ子なので
一番かわいがってもらっていたし
ある意味、親以上に親子のような関係だった。
義兄はきっちり健康診断も受けていたそうだ。
酒・タバコはやるけれども
病気らしい病気をしたことがなかった。
しかし、長年腰痛に悩まされていて
整形外科に通っていたという。
でも、この「腰」の痛みが内臓に関係していたことは
整形外科ではわからないことだった。
しかも、癌ではなく「肉腫」という病気で
「忘れられた癌」といわれる珍しい病気だった。
死のほんの数日前までは
普通に生活していたし
仲間と飲み会で楽しんだと言っていた。
ちょっと疲れたようで風邪の症状かと思い、
病院に行くと、精密検査を進められ
この病気が発覚し、一ヶ月の命だと言われたそうだ。
なんということだろう・・・
前の日記にも書いたけれど
こんな突然の言葉を言われても
実際はぴんと来ないのではないだろうか。
(もちろん本人には伏せていた事だったそうだが)
そのとき、肝臓に水がたまっていたと言うことで
その水を抜くために治療をしたところ・・・
一気に衰弱し、あっという間に逝ってしまった。
葬儀の時、弔辞を読んだ人々は皆
「信じられない」「納得できない」「まさか」と語った。
義兄は
息子、(つまり私の義甥)に向かって、まっすぐに目を見て
「おう!」と、たった一言 叫んで、天国に召されたそうだ。
いかにもスポーツマンらしい最後の言葉だと思った。
2月27日の朝だった。
でも、義甥は
「おう!」じゃ何もわかんねぇよ・・!と・・
義兄は、大きな農家を営み、
これから農業を始めたいと考えている人を育てる学校
のような会社を立ち上げ、街の活性化のために
多くの貢献をしてきたそうだ。
そのほか、様々なことを手がけていたらしく
全く畑違いの仕事をしていた息子・・つまり義甥は
頭が真っ白になってしまったという。
義甥には、弟が二人居るが、この二人も家を出ている。
そして義甥には、母、嫁、そして3人の子供が居る。
この先どうすればよいのか・・・
せめてこれから自分がしなければならないことを
遺言として残してくれていたら・・・
でも、「まさか」という「坂道」は
本当に急な坂なのだ。
「止まれ!」と誰が叫んでも
もう、止まることはできないほど、急な・・・・。
無念の気持ちもあるが、それ以上に
これから養っていかなければならない家族のことを考えると
信じられないほどの重い荷物が
義甥の体中にのしかかっているのだと思うと
私たちが出来ることがあれば
なんでもやってあげなければと思う。
でも
別れは「卒業」だという。
彼にとって親との別れは
意味のある「独り立ちの出発」だったのかもしれない。
強くなれ!という親父からのメッセージだったのかもしれない。
2012年、2月は、2つの大きな事が重なり
ラッキーナンバー「2」を持つ私にとっては
一生忘れられない出来事になった。
そしてもうすでに3月。
あの3.11も「まさか」の出来事だった。
でもそれは現実。
その現実を受け止めることができない人は
まだまだたくさんいると思う。
ニュースで流れる映像も
もしかしたら一生見たくないと思うかもしれない。
故郷に住む友人などは、「もうやめて!」と苦しみをあらわにしている。
心の葛藤は本当に辛い。
日々、闘わなければならない。
兵士のようなものだ。
でも、やはり前を向いて歩かなければ
何も進めないことは確かで
周りの者がどんなに同情しても慰めても
それは癒されることはなく
自分自身で闘っていくしかないのだ。
だから 強くなるしか 方法はないのだと思う。
強くなって 今よりも少しは「動じない自分」になれたらいいと思う。
そして、「まさか」という坂を今度は上って行けたら最高だ。
「障害」が起こったとき、私たちはそれを“問題”とするのではなく
“挑戦”に変換し、乗り越えていけたら・・・・・!!!
と、わたしは強く強く思っている。
オレンジロードは いつも そこに ある。
だから がんばって前に進まなければ・・・!生きてるうち 生きてるうち・・・!
「ORANGE ROAD 」Heart to Heart -萌香-
※この音源はYOU TUBE用に録音したものです。
この先の予定としては、新たにCDを製作し、細く長く、
義援金活動のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。
プロではないので、ぜんぜん完璧な歌い方はできませんが
色々な事を想いながら一生懸命歌いました。
私たちにはこんなことしかできません。だから頑張っていきます!
どうぞ宜しくお願いいたします。