更埴市(現千曲市)の八幡郵便局 1979.5
芭蕉の「野ざらし紀行」は、門人と伊勢・伊賀・大和・吉野を巡る紀行文である。
その途中の富士川(静岡県)での一節。
如何(いか)にぞや。汝(なんじ)、父に悪(うと)まれたるか。母に、疎(うと)まれたるか。
父は、汝を悪むにあらじ。母は、汝を疎むにあらじ。
ただ、これ天にして、汝が性(さが)の拙(つたなき)を泣け。
芭蕉たちは3歳ほどの捨子に出会うも、少しばかりの食べ物を与え、そのまま通り過ぎるんだね。
猿を聞く 人捨子に秋 風いかに
創作なのか、本当の話なのか。いずれにしても、芭蕉なるものの感性がわかるような気がする。
「ただ、これ天にして」という言葉、心に沁みるね。
さらに、「汝の性の拙を泣け」という言葉にしびれる。
昔、古典(主に江戸時代)をずいぶん読んだ。それで、今も変体仮名のほとんどが読める。
高校時代の話。たまたま手に入れた古い芥川龍之介全集を読んだ。8巻とか10巻ほどあったのかな。
それで、旧仮名遣いと旧漢字をほとんど覚えた。
大学入試の国語の問題で、「おちいる」を漢字にする問題があったが、「陷る」と旧漢字で書いてしまったほど(笑)。
大学の学生証番号を今も覚えている。82044。
8は、昭和48年入学。2は、映画学科。44は入試の成績順だが、トップは82001ではなく、82030。
この82030こそ、友人のB(福岡出身)の番号だ。彼のことは、思い出深い。
映画が好きで好きで、日大に入った男だ。「ぼくね、1年で380本の映画を見たよ」とは、彼の言葉。
すごいでしょ。ビデオなんか、ない時代だよ。すべて映画館で見た本数である。
彼に誘われて、池袋の文芸座や文芸座地下の土曜日のオールナイトに毎週のように通ったものだ。
5本立なんで、終わるのは、明けた朝5時とか、そんな時間。
当時、彼は池袋の要町に住んでいて、よくそのアパートで飲んだものだ。懐かしい。
彼の話。
大学4年、彼は普通に就職活動をした。平凡社だったと思うが、最終選考で落ちてしまうんだね。
どう思ったか知らないが、そこで就職を諦めてしまう。
その後、彼の名前を見たのは、日活のポルノ映画の脚本家として。そこで、何本か書いたようだ。
それから数年後、テレビドラマで彼の名前を何回か見た。「ああ、脚本家として頑張ってるんだ」と、とてもうれしかった。
彼だけは、業界で生きてほしかったからね。
中学、高校、大学と、思い出深い友人が何人もいる。
それを順に書いていこうかな。