左は旧美麻郵便局、右は麻殼(おがら)葺きの土蔵。 旧美麻村 1979.6
路駐の手前の車は、おれが初めて買った日産のチェリー1200GL。チェリーは、日産初のFFとか。
後ろは、三菱のギャランGTOかな。懐かしい。
ようやく新しい車にした。ヤリスのハイブリッド。コンパクト車は、運転が楽だね。
思えば、買うたびに小さな車になった。「次に買うのは、軽だね」とは、女房。
ヤリスは、ひょっとしたら、おれの最後の車かも。
前のインプレッサは、10年で21万kmを走った。大きな故障もなく、よく動いてくれました。
先日、女房と映画を見に行った。久しぶりのこと。見たのは、「ゴジラ −1.0」。
「えっ、こんなの見るの」と、女房。見終わっても、そんな感じだった。
伊福部昭のゴジラのテーマがいいね。映画館に響く重低音。70年前の曲とは、とても思えない。不朽の名作だ。
話が進み、作戦開始のときにこれが流れたが、なぜかウルウルしてしまった。
映画の音楽って、とても大事だよね。
大学時代、「映画音楽」という必須科目があった。
「知らない映画の知らない曲」の話ばかり。おれにはチンプンカンプンで、退屈だった。
ボッーとしていたら、「名簿44番の林君」と指名された。もう、びっくり。
「ロマンチックとは、日本語でどう訳す?」と聞かれた。すぐ「伝奇的」と答えた。
丸暗記した辞書の言葉だ。講師の先生は、一瞬困った顔をした。期待した返答と違ったのだろう。
「伝奇的とは?」と、聞かれないでよかった。「伝奇的」の意味を知らなかったからね(汗)。
この「映画音楽」のテストが大変だった。
もちろんペーパーテストだったが、問題が難しすぎた。で、最後の問題だ。忘れもしない。
「知っている現代音楽家の名前を記せ」というもの。頭がクラクラした。1人も浮かばなかったからだ。
で、どうしたか。とにかく知ってる名前を羅列した。ビートルズ、チャック・ベリー、マーヴィン・ゲイ、エルビス・プレスリー、
美空ひばり、三波春夫、南こうせつ、荒井由美、井上陽水、等々。答案は返却されなかったが、成績はAだった(汗)。
後で聞いた話によると、プレスリーでも美空ひばりでも正解なんだってさ。
加点法式ってやつだから、ひょっとしたら、おれの答案は100点を越していたかもしれない(笑)。
まあ、馬鹿な学生のためのボーナス問題だったのだろう(笑)。
選択科目の「数学Ⅱ」。
友人のYがどこで聞いたのか、「出席は取らないし、試験は超簡単だってさ。取ろうよ」と、おれを誘った。
数学大嫌いだったけど、渋々承諾。授業に出席したのは初日だけで、数カ月後、試験に臨んだ。
問題を見て、やはり頭がクラクラした。「どこが超簡単なんだよ。わかるわけ、ねえだろ」という感じ。
困っていると、10分ほどしたら講師の先生が教室から出て行った。
一瞬の沈黙の後、教室は大騒ぎ。教科書を広げる奴、隣と相談する奴。
おれはというと、隣のYに答えを書いてもらった(汗)。「数学Ⅱ」の成績も、もちろんAだった(汗)。
やはり、馬鹿な学生には、それなりの配慮が必要だということだ。
講師の先生の苦労と諦め、お察し申し上げます。
「映画音楽」で指名されたが、「英語」ではこんなことがあった。
テキストはアメリカだかイギリスの有名な小説(名前は失念)。
文庫本が出ていたので、たまたまそれを持っていた。
「44番の林君。ここから訳しなさい」と、突然言われ、パニクってしまった。
で、どうしたかというと、その文庫本のその箇所を「丸読み、棒読み」した。着席してから、少し冷静になり、反省した。
「もう少しゆっくり、つっかえながら、ところどころ間違えて訳せばよかった」と。まったく冷や汗ものだった。
英語の先生は、なにも言わずに次に進んだ。というか、おれの訳したところの解説を飛ばして、次に進んだのだ。
やはり、馬鹿な学生の相手はしたくなかったのだろう。ごもっとも。お察し申し上げます。
なんの教科だったかな。テストに「テキスト持ち込み可」というのがあった。これが困るんだ。
早い話が、「単位が欲しければ、私の本を買いなさい」ということ。古本屋に行ったが、売り切れ。仕方なく、新刊を買った。
「なるほど、こういう手もあるんだ」と、その講師に感心したことを覚えている(笑)。
三流大学の授業なんて、だいたいがこんなもんだった。
なにもしないで4年間を過ごした。勉強らしい勉強は、ほとんどしなかった。
それでも、ちゃんと卒業できるんだね。日本の大学は、いいね。
大町市の農家 1979.6
おれとYは、ときどき学校の大ホールに入り込んだ。そこの壇上のピアノを弾くためだ。弾くのは、もちろんY。
リクエストすると、なんでも弾いてくれた。2回目に弾くと、さらにアレンジを加えた。
彼は、耳がよかった。たとえば、ピアノで適当な三つの音を同時にたたいても、その三つの音を正確に答えた。四つの音でも同じ。
音楽をやっている人には常識なのかもしれないが・。おれには、そんな彼が異星人に見えた。
Yは子供のころピアノ教室に通ったが、それは2年か3年の間だけ。あとは独学で、自分なりに学んだらしい。
大学3年になると、彼は錦糸町でバイトを始めた。キャバレーのバンドのピアノである。そんな仕事、どこで見つけたんだろうね。
彼に誘われて、その店に何度か遊びに行ったことがある。8人か9人ほどのバンドだったかな。バンマスは、ずいぶん怖そうな人に見えた。
ホステスの控室は、バンドマンの控室の横。人の出入りが多かったせいだろうか。いつもドアが開いていた。
ホステスが化粧をしたり、着替えたりするのが見えて、ドキドキしたことを覚えている。
「知らない曲や譜面のない曲、どうして弾けるの?」とYに聞いたことがある。
「そういうときは、ベースの音に聞き耳を立てるんだ」とのこと。おれには、まったく意味がわからなかった。
バンドマン同士の会話。
例のジャズ用語だ。「エフセン(4千円)とかゲーセン(5千円)なら、ずいぶんスイヤ(安い)だな」なんてね。
上野が「のがみ」で、ハワイは「ワイハー」、うまいは「マイウー」。これは、倒語というやつだ。
山下洋輔が森田一義をタモリと呼んだのは、有名な話だよね。そんな感じで、さらに麻雀、競馬、芸人などの用語が混乱。
「お茶を引く」などという古い遊女の言葉なんかも出て来て、もうカオスの会話だった。バンド内は、今もそうなのかな。
そんな彼、どうして日大の映画学科に入ったのだろうか。不思議。
でも、文学部を出たからといって、文学者や作家になるわけではない。法学部を出たからといって、全員が弁護士になるわけではない。
まあ、大学って、そういうもんだよね。
卒業後のY。
彼は、某ピアノメーカーの調律師になった。
「なるほどねえ」と、つい感心してしまった。彼らしいからね。
Yの職場は地元の北海道だったが、何年もヨーロッパに出張していた。
仕事は、コンサート会場のピアノの調律。ドイツとかフランスを中心に、周辺の国をあちこち回ったらしい。移動も1人、アパートも自分で探したそうだ。
長野の田舎でチマチマ仕事をしているおれからみたら、別世界の話だね。
そんな彼の外国での話は、とてもおもしろかった。
「下宿先のおばさんが、用もないのに頻繁にやって来て、何度も誘惑された」とか「悪い奴に騙された」とか、とにかくいろいろ。
外国に一度しか行っていないおれには、すべて夢のような話だった。
今年の夏、同じ学科のNがたまたま長野にやって来た。
一緒に飲んだが、とても懐かしかった。学生時代の古い友人って、いいよね。共通の話題があるから。
Yに最後に会ったのは、4年前かな、5年前かな。来年あたり、彼のいる札幌に行こうと思っている。積もる話も、たくさんあるしね。
あいつ、少し髪が薄くなったかな(笑)。
本城村の農家 1979.6
大学時代、最も仲が良かったのが、札幌出身のY。
「キザな野郎だな」というのが彼の第一印象だったが、すぐ仲良くなった。
最初の夏休み、1週間ほど北海道でYと過ごした。
帰路、秋田とか東北をぐるりと回って帰った。面白い話がたくさんあるが、ここでは割愛。
彼のアパートは、高田の馬場。神田川の面影橋の近く。アジア荘という、たいそうな名前のアパートだった。
このアジア荘には、どのくらい泊まったことか。学生時代、彼といつも一緒だった。
大学に入ってすぐ、4月か5月の話。
クラス(20人ほど)のある女の子(A子)が、Yに惚れるんだね。一目惚れというやつかな。
A子は、大きな旅館のお嬢さん。小柄で真面目そうな感じの、かわいい女の子だった。
ずっと女子校で、大学は別世界のようだったらしい。それに、1人暮らしを始めたばかりのころだ。
Y を好きになったA子の頭の中は、まるでお花畑。一般的な恋愛の手順なんかどこかに行ってしまった。
Yと何度か話しただけで、恋人気分だったのかもしれない。
A子は、マンションにYを誘うんだね。「こんど遊びに来て」とか「ご飯、作ってあげる」とか言ったらしい。
まだ一度もデートもしていないのにね。それだけ思いが強かったのだろう。
A子の趣味は歌舞伎鑑賞。新幹線に乗り、歌舞伎座に通っていたとか。
イケメンのYが、歌舞伎役者に見えたのかもしれない。
Yは長身のイケメンで、彼の奥さんも美人。
その娘さんも、もちろん美人で、ミス○○に選ばれたことがあるそうだ。
A子に誘われたY、「林も、一緒に行こうよ」と、おれを誘った。
そんなとこ、行きたくないし、行けるわけないよね。
断ったが、Yはしつこかった。で、仕方なく承諾。
「女の子の独り住まい」なるものを見たい気持ちがあったからかな(汗)。
今思うと、YはそんなA子を、あるいはA子に振り回される自分を警戒したのかもしれない。
Yは、そういう奴なんだ。
約束の日の夕方、おれとY は池袋のA子のマンションに向かった。
Yが部屋のチャイムを押すと、笑顔のA子がすぐ出て来た。
「どうして林さんがいるの?」とは言わなかったが、おれを見て驚いていた。
気まずいよね。来たことを後悔した。
エプロン姿のA子が、かいがいしく、いろんな料理をテーブルに運んだ。そこで事件(大袈裟かな)が起きた。
おれとYは、皿の上のハンバーグにびっくり。Yの驚いた顔を今でも覚えている。
Yのは巨大なハンバーグで、おれのは小さかったからだ。
Yは、すぐおれの皿と取り替えた。そのままにしておけばいいのにねえ。
これ、気まずいよね。おれは、またまた来たことを後悔した。
おれはおれで、また皿を取り替えた。おれが大きなハンバーグを食べたら、まずいもんね。
彼女はというと、俯いていた。またまた、おれは来たことを後悔した。
「おれの小さいハンバーグって、本当は彼女の分だったのかな」とも思ったが、料理に時間がかかっていたから、そうでもないらしい。
「おれに対するイヤミかな」とも思ったけど、それも違うようだった。
ただ単に、「大好きなYにたくさん食べてもらいたい」との気持ちだったのだろう。
ある意味、純情だったのかな。
おれを誘うYもYだけど、そのYに付いて行くおれもおれだよね。今も、反省している。
ハンバーグのせいかどうかしらないが、YはA子とは付き合わなかった。
A子にあのときのことを聞いてみたかったが、卒業してからは一度も会っていない。
更埴市(現千曲市)の八幡郵便局 1979.5
芭蕉の「野ざらし紀行」は、門人と伊勢・伊賀・大和・吉野を巡る紀行文である。
その途中の富士川(静岡県)での一節。
如何(いか)にぞや。汝(なんじ)、父に悪(うと)まれたるか。母に、疎(うと)まれたるか。
父は、汝を悪むにあらじ。母は、汝を疎むにあらじ。
ただ、これ天にして、汝が性(さが)の拙(つたなき)を泣け。
芭蕉たちは3歳ほどの捨子に出会うも、少しばかりの食べ物を与え、そのまま通り過ぎるんだね。
猿を聞く 人捨子に秋 風いかに
創作なのか、本当の話なのか。いずれにしても、芭蕉なるものの感性がわかるような気がする。
「ただ、これ天にして」という言葉、心に沁みるね。
さらに、「汝の性の拙を泣け」という言葉にしびれる。
昔、古典(主に江戸時代)をずいぶん読んだ。それで、今も変体仮名のほとんどが読める。
高校時代の話。たまたま手に入れた古い芥川龍之介全集を読んだ。8巻とか10巻ほどあったのかな。
それで、旧仮名遣いと旧漢字をほとんど覚えた。
大学入試の国語の問題で、「おちいる」を漢字にする問題があったが、「陷る」と旧漢字で書いてしまったほど(笑)。
大学の学生証番号を今も覚えている。82044。
8は、昭和48年入学。2は、映画学科。44は入試の成績順だが、トップは82001ではなく、82030。
この82030こそ、友人のB(福岡出身)の番号だ。彼のことは、思い出深い。
映画が好きで好きで、日大に入った男だ。「ぼくね、1年で380本の映画を見たよ」とは、彼の言葉。
すごいでしょ。ビデオなんか、ない時代だよ。すべて映画館で見た本数である。
彼に誘われて、池袋の文芸座や文芸座地下の土曜日のオールナイトに毎週のように通ったものだ。
5本立なんで、終わるのは、明けた朝5時とか、そんな時間。
当時、彼は池袋の要町に住んでいて、よくそのアパートで飲んだものだ。懐かしい。
彼の話。
大学4年、彼は普通に就職活動をした。平凡社だったと思うが、最終選考で落ちてしまうんだね。
どう思ったか知らないが、そこで就職を諦めてしまう。
その後、彼の名前を見たのは、日活のポルノ映画の脚本家として。そこで、何本か書いたようだ。
それから数年後、テレビドラマで彼の名前を何回か見た。「ああ、脚本家として頑張ってるんだ」と、とてもうれしかった。
彼だけは、業界で生きてほしかったからね。
中学、高校、大学と、思い出深い友人が何人もいる。
それを順に書いていこうかな。
サブタイトルが、「遅すぎた夏の帰郷」。
ファンタジードラマというジャンルだが、つい涙ぐんでしまう。年を取ると、涙脆くなっていけないね。
20年前、故郷の倉敷でなにがあったのか。それが、一つずつ、少しずつわかっていく。
こういうのは、二度見るといいね。伏線というか、意味がよくわかるから。
「ニューシネマパラダイス」「ある日どこかで」「異人たちとの夏」など、いろんな映画のオマージュと言えなくもないが、いい作品だね。
ネタバレ
祥子には、超能力みたいのがあって、ライターを点かなくしたり、バイクのエンジンがかからなくしたり、娘からの電話を邪魔したり、いろいろ。
最初のほうで、同窓会名簿が家に届くシーンがある。妻は手元からその厚く重い名簿を落として、足を痛める。
これって。祥子の仕業だよね。嫉妬なのかな。
「メガネかけてないと、パパじゃないみたい」とは、娘の言葉。
祥子は、「眼鏡かけてると、旬ちゃんじゃないみたい」という。
ラストに、旬一がメガネをかけて終わる。
終わりのほうで筒井康隆が出てきたんで、「筒井康隆の原作かな」と思ったが、そうではなかった。
筒井康隆は、もともとは俳優志望だったんだよね。
高校の時、たまたま古本屋で見つけたが、早川書房の「ベトナム観光公社」という本。これを読んで、筒井康隆に惚れた。
主に70年代だが、本を次々に買った。とても、懐かしい。
書棚の筒井コーナー