おれが育った実家の住所は、長野市川中島町上氷鉋(かみひがの)。戦国時代、ここで上杉謙信と武田信玄が戦った。その当時の川中島と今の川中島とではエリアが違うのだろうが、「川中島の戦い」という名前で今に伝わっている。
川中島小学校の遠足では、史跡の八幡原(はちまんぱら)に必ず行く。もう50年近く前かな。当時の八幡原は、田んぼ中にポツンとある神社で、人気のない静かな場所だった。今とはずいぶん違うね。
戦国時代、多くの戦いがあった。その中でも激戦と言われているのが、この川中島の戦い。第4次の戦いでは、上杉軍三千余、武田軍四千余の戦死者を出したと言われている。これは、全軍の25パーセントという数字だとか。
負けると見るや、すぐ逃げる。これが当時の戦いだった。農民なんかも戦場に駆り出されていたからね。有名な関ヶ原の戦いの戦死者は数パーセントというから、川中島の戦いがいかに激戦だったかわかる。実際、武田方はこの戦いで、信玄の弟の信綱、軍師山本勘助、両角虎定など、数多く討ち死にしている。
この戦いでは、両軍ともに勝利宣言をしているが、戦いの後も武田軍が支配。そんなところから、武田軍の勝利ということになっている。
両将ともに、他国の人。地元長野では、特に人気があるわけではない。当時は、「おいおい、なんで川中島なんだよ。他所でやってくれよ」という感じじゃなかったのかな。ずいぶん迷惑な話だもんね。
上の写真は、その浮世絵。額に入れて飾ろうと思っているが、ずっとそのままになっている。
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