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韓国の反日教授が「ナイキシューズの底に旭日旗」と妄想的言い掛かり 

2016-04-03 21:27:02 | 日記

2016.4.2 08:00

【スポーツ異聞】韓国の反日教授が「ナイキシューズの底に旭日旗」と妄想的言い掛かり M・ジョーダンにも抗議書簡を送付したが…

問題になったナイキのバッシュ

 反日的な言動で知られる韓国・誠信女子大の徐敬徳教授が、またも歪曲した歴史認識に基づいた言い掛かりをつけた。同教授は「旭日旗」を日本軍国主義の象徴と主張し続けているが、今回もナイキが2月末に発売したバスケットシューズの靴底のデザインが「旭日旗」を模していると強弁し「戦犯旗(旭日旗)のデザインを使用するな」などと米国のナイキ社長ら役員8人とマイケル・ジョーダンへ抗議書簡を3月24日に送ったと韓国メディアが一斉に報じた。韓国内ではこの靴を巡って批判が起き、韓国のナイキが3月中旬に販売を中止していた。「反日」に基づく歪曲した歴史認識の典型といえるが、「旭日旗」が軍国主義のシンボルではないのは自明の理。にもかかわらず、韓国ネットユーザーは同教授を「本当に格好いい」と礼賛する声が寄せられていた。

 朝鮮日報によると、徐教授が今回、問題視しているのは「エア・ジョーダン12レトロ・ザ・マスター」というバスケットシューズだという。写真でも分かるが、靴底のデザインは赤い線が放射状に伸びており、勢いを感じさせる。ところが、これが旭日旗という指摘なのだ。

 韓国ではこれが2月27日に発売されると、「日本の戦犯旗を連想させるという批判が巻き起こった」と朝鮮日報は報じる。同教授の主張も同じ。韓国のナイキはこの批判を受けて、3月14日に販売中止を発表したうえ、「敏感な部分に心配をおかけてして」などと謝罪した。

 韓国ではもともと旭日旗を日本の軍国主義の象徴とみなしているが、「旭日旗」批判はロンドン五輪の「独島パフォーマンス」で韓国の朴鐘佑が国際サッカー連盟(FIFA)から処分されたことなどを対日屈辱行為と受け止めたことで、より執拗になったといえる。

 この報復的な措置として、ロンドン五輪の日本体操選手の朝日をデザイン化したユニホームを「日本軍国主義を表すものだから政治的行為にあたる」と言い掛かりをつける形で批判した。これが「反日無罪」という身勝手な主張に乗って急速に広まったものだ。

 旭日旗は「朝日」を図案化したもので広く使われてきた経緯がある。その証拠に、企業の社旗などこの意匠が取り入れられている。だから、国際オリンピック委員会(IOC)やFIFAは政治的表現の禁止規定に背くものではないとの認識を示している。旭日旗の基礎知識があれば、軍国主義と無縁であることが分かる。

 徐教授はこの流れに乗り、これまでも14年サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で日本代表が着たユニホームに「旭日旗」の模様が使用されているなどの批判を米紙ニューヨーク・タイムズに掲載するなど執拗な反日行動を取ってきた。

 朝鮮日報によると、同教授は今回も「韓国で販売が取り消されたからといって解決する問題ではない。デザインが日本の戦犯旗だということを知らない消費者は多い」と自説を展開。ナイキに送付した書簡には「ナチスのハーケンクロイツのように戦争と侵略を象徴する」とも加え、ニューヨーク・タイムズに掲載した意見広告などを添えたという。

 韓国のネットユーザーは「本当は韓国外交部がすべきことだ」とか「ナイキ不買運動をしよう」などのほかに「有言実行する徐教授は本当に格好いい」とたたえるコメントを寄せていた。


”捏造資料で反日宣伝を繰り返していた実態が浮き彫り”の記事

2016-04-03 13:13:28 | 日記
”捏造資料で反日宣伝を繰り返していた実態が浮き彫り”の記事
*毎日の様に報道されるk国の行為が非常に残念に思います。
2016.4.3 05:00 「産経新聞」
【歴史戦】世界遺産登録、韓国民間団体がで日本の登録を妨害 日本人写真「強制連行」として悪用

昨夏の「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録をめぐり、韓国の民間団体が登録と直接関係ない資料を複数作成、関係国の選定委員らに配布し、組織的な妨害工作を展開していたことが2日、新たに判明した。負傷した日本人労働者の写真を印象操作に使うなど、外交の舞台裏で、官民挙げた反日宣伝を繰り返していた実態が浮き彫りになった。

 韓国側が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会の全委員に配った冊子や宣伝ビラを、日本側関係者が入手した。

 冊子は、痩せて負傷した労働者の写真を掲載し、「目覚めよ!ユネスコ 目覚めよ!世界 目覚めよ!人類」との文言が英語で書かれていた。だが、冊子を産経新聞が調べたところ、大正15(1926)年9月に、当時、北海道にあった旭川新聞に掲載された写真の転用であることが分かった。

 記事は北海道で労働者1人が死亡した道路建設現場での虐待致死事件を報じたもので、借金返済のために働いていて虐待から逃れた元記者の証言を掲載していた。ただ、記事中には、朝鮮半島出身者の存在をうかがわせる記述はなかった。

 しかし、冊子は写真について、「強制連行による労働を強いられた施設」「(世界遺産に)登録すれば韓国民の激しい反発を招き、東アジアでの緊張状態を悪化させる」などと虚偽の主張を展開。日本政府が申請した23施設の世界文化遺産への登録阻止を狙い、まったく関係ない写真を意図的に転載していたことを裏付けた。冊子は、5万7千人の朝鮮半島出身者が、「forced labor(奴隷労働者)」として徴用されたとも記述した。

 写真は、国家総動員法に基づく国民徴用令(昭和14年)以前の出来事で、時代も異なるほか、朝鮮半島出身者に限っては19年からの適用で賃金も払われていた。未払いなども、財産請求権の放棄などを決めた40年の日韓基本条約で、完全かつ最終的に解決済みというのが日本の立場だ。

 一方、韓国外務省の真相究明委員会が作成した冊子では、「日本は自己反省なく歴史修正主義をとっている」「多くの女性がだまされ、誘拐された」などと、世界遺産と関係ない慰安婦問題でも虚偽の日本批判を展開。別の冊子は、山口・萩の松下村塾を批判し、長州藩士の吉田松陰が「朝鮮半島への日本の帝国主義を主導した」と断じていた。

 ◇

 ■世界遺産登録問題 「明治日本の産業革命遺産」の登録をめぐり、韓国側が「朝鮮人労働者が強制徴用された施設が含まれている」と反対し、ユネスコ世界遺産委員会が紛糾。韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は昨年6月の岸田文雄外相との会談で協力を約束したが、「朝鮮半島出身者が非人道的な環境で強制労働させられた」と土壇場で反対。強制性の表記をめぐり、各国を巻き込んで最後までもつれた。

死んだわが子が生き返った 蘇生医療の最前線

2016-04-03 09:11:40 | 日記
死んだわが子が生き返った 蘇生医療の最前線 2016/4/3
 (文=ロビン・マランツ・ヘニグ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

                       
死は「瞬間ではなく、プロセスである」。救急医のサム・パーニアは、著書の中でそう述べている。脳卒中では脳の一部に問題が生じるが、死はいわば、全身に波及する卒中発作のようなものだ。心臓が止まっても、すべての臓器がすぐに死ぬわけではなく、心停止後も臓器はしばらくもちこたえられる。つまり「死後かなりの時間、死は逆転できる」というのだ。

 死神から命を奪い返そうとする医師たちの奮闘は、現在すでにさまざまな形で希望をもたらしている。2015年4月4日の正午近く、米国ネブラスカ州のメソジスト・ウィメンズ病院では帝王切開で一人の男児が誕生した。名前はアンヘル・ペレス。体重は1300グラムと小さいが、脳死状態になった母親の体の機能を医師たちが54日間維持したおかげで、それ以外はまったく正常な新生児だった。この子が元気に産声を上げたことは奇跡と言っていい。そう、祖父母が祈り続けた奇跡が、アンヘルの誕生という形で起きたのだ。

■死の淵からの生還

 米国ペンシルベニア州の田舎に暮らすマーティン家の末っ子ガーデルは、凍てつく川に転落し、一度は死の世界へと旅立った。2015年3月、まだよちよち歩きのガーデルは二人の兄と一緒に遊びに出て、家から100メートルほどのところで小川に落ちたのだ。

 弟の姿が見えないことに気づき、兄たちは慌てふためいた。近所の人がガーデルを川から助け出し、救急隊が駆けつけたときには、心停止から少なくとも35分が経過していた。救助から数分後には救急隊が胸骨圧迫を開始したが、ガーデルの心臓は止まったままだった。一番近い地域病院への搬送中も心肺蘇生法(CPR)は続けられた。体温は25℃まで下がっていた。そこからヘリコプターで30キロ先のガイシンガー医療センターに運ばれたが、小さな心臓は依然として動かなかった。

 「生きている兆候は皆無でした。見た感じではもう……肌は黒ずみ、唇は真っ青でした」。ヘリコプターを待ち受けていた小児救急チームの医師、リチャード・ランバートは振り返る。小児麻酔の責任者であるランバートは、凍った川や湖で溺れた子どもが蘇生するケースがあるのは知っていた。だが、これほど長く心停止が続いた患者の回復例は聞いたことがない。さらには血液のpH(水素イオン濃度)値が大幅に下がり、臓器不全が懸念された。

 救急治療室の研修医が、ランバートと同僚のフランク・マフェイの方を見た。もうそろそろCPRを切り上げる頃合いだろうか。だがランバートも、同センターの小児病院で小児救急部門を率いるマフェイも、まだ続けたいと考えていた。回復が望める条件がそろっていたからだ。冷たい水への転落事故で、ガーデルはまだ2歳未満と幼い。CPRは救助後すぐに始められ、中断することなく続いていた。二人はスタッフに指示した。もうちょっと続けてみよう。

 それから10分が過ぎ、さらに20分、25分が経過した。この時点で、心肺停止から1時間半以上が過ぎていた。「ぐったりと横たわる冷たい体に、生命の気配はなかった」とランバートは振り返る。それでもチームはCPRを続行した。2分ごとに交代で胸骨圧迫を正確に続け、大腿静脈とけい静脈、胃と膀胱(ぼうこう)にはカテーテルを挿入して、温めた液体で体温を徐々に上げようと努めたが、効果は見られなかった。

 ランバートとマフェイは蘇生を断念する前に、人工心肺装置につなぐ手術を試みることにした。体温を回復させる、いわば最後の手段に望みを託すことにしたのだ。手術の用意をすっかり済ませ、最後にもう一度脈拍を確認した。

 信じがたいことに、心拍が再開していた。初めはかすかだったが、安定した拍動で、心停止が長引いた後に表れがちな異常は見られなかった。それから4日後、ガーデルは家族とともに病院を後にした。足元がちょっとふらついていたが、それを除けば健康そのものだった。

写真1:2015年3月、幼いガーデル・マーティンは氷の張った川に落ちて心臓が止まった。その後1時間半も生死の境をさまよったが、4日後には元気に退院した。(LYNN JOHNSON/National Geographic)

写真2:米国アリゾナ州のアルコー延命財団では、顧客の遺体を冷凍保存している。共同創設者リンダ・チェンバレンが頬を寄せるタンクには、夫フレッドが眠る。彼はいつの日か解凍され、生き返ることを期待してこの道を選んだ。(LYNN JOHNSON/National Geographic)
(文=ロビン・マランツ・ヘニグ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2016年4月号の記事を再構成]

[参考] ナショナル ジオグラフィック4月号では、蘇生医療、脳死、臨死体験などの最前線を紹介する特集「生と死の境界」ほか、インドネシアの「亡き家族と暮らす人々」などの特集を掲載しています。

4月より新たな期がスタートですね。

2016-04-03 01:08:43 | 日記

4月より新たな期がスタートですね。
皆さまのご健康とご活躍を心よりお祈り致します。

昨日、頂いた写真やカードを桜の写真へ重ねて張り付けて見ました。   スタンプやメールやメッセージも読ませて頂きました。
元の桜が見えなくなりました。(笑) 感謝!