突破すれば官軍 危ない橋を渡って16強の西野ジャパン【解説】
2018/06/29 07:27
ロスタイムを含めれば、残り時間は10分以上あった。日本は0-1で負けている状況にもかかわらず、攻撃をせずにDFラインでボールを回す時間稼ぎの戦術をとった。他会場でコロンビアがセネガルから1点のリードを奪ったため、そのままのスコアで無駄なイエローカードなども受けずに試合を終えれば、決勝トーナメントに進出できる状況になっていた。すでに勝ち進む可能性が消滅していて、1勝だけが目的となっていたポーランドも、追加点を奪いにこなかったから、それ以降はピッチ上から攻防が消えうせた。
82分から出場し、ベンチの指示を選手に伝えた主将の長谷部誠が、試合後のインタビューで話していた。「見ている人にとって、もどかしいサッカーになってしまった。でも、これが勝負の世界」だと。
その通り、というほかにない。両チームとも攻める意思のないサッカーを観客に見せることは反則でも何でもないし、道義的にも責められる筋合いはない。厳しいグループリーグを突破するための作戦であり、狙い通りの結果になった。出場6大会で3度の決勝トーナメント進出は、世界的にもかなり立派な成績であり、喜ばしい。「勝てば官軍」という言葉があるが、サッカーでは「負けても、突破すれば官軍」ということだ。
終盤に時間稼ぎでボールを回す光景は、サッカーの国際大会では決して珍しくない。日本がワールドカップ(W杯)の本大会でやるのは初めてで、こんなことが日本にも起こるのかという感慨がわく。日本女子代表(なでしこジャパン)の国際大会では、2012年ロンドン・オリンピックのグループリーグ最終戦で、DFラインでのボール回しによる時間稼ぎがあったが、あの時は決勝トーナメントで顔を合わせる相手を選ぶのが目的だった。
もしもセネガルが追いついていたら…
前半、指示を出す西野監督。右はポーランドのレバンドフスキ(28日、ロシア・ボルゴグラードで)=三浦邦彦撮影
とはいえ、今回のポーランド戦で、あの時間帯からあの作戦をとることに、私は賛成しない。
リスクが大きすぎるからだ。時間稼ぎをするにしても、後半ロスタイムからではないか。それまでは、同点ゴールを積極的に狙いに行きたかった。あの時間に投入するなら、長谷部ではなく香川真司。ポーランドは日本以上に足が止まっていたから、攻撃をスピードアップさせれば、点が取れる可能性は高かったと思う。
日本―ポーランドのスコアを凍結することはできても、コロンビア―セネガルのスコアが10分間あまりも1―0から動かないという保証は、どこにもない。セネガルにスーパーゴールが生まれたり、コロンビアに致命的なミスが出たりして、スコアが1―1になってしまったら、セネガルが首位でコロンビアと日本が勝ち点で並ぶもコロンビアが上位になるため、日本は決勝トーナメント進出を逃していた。
つまり、コロンビアへの「他力本願」の色合いも帯びた作戦だった。かなり危ない橋を渡った印象が残る。もう追いつくには時間が足りないという時間になるまで、ボール回しは控えるべきではなかったか。今大会のグループリーグ最終戦では、フランスとデンマークも1試合丸ごと両チームが本気で攻めないという状況で戦った。だが両チームの場合は、他会場の2チームと勝ち点に差があった。日本とは状況が違う。
セネガルが終盤のゴールで引き分けてしまったら、西野朗監督は「時間稼ぎが早すぎた」と、すさまじい非難を浴びていたはずだ。それも承知で、あの策を打った。1996年のアトランタオリンピックで、西野監督が率いた日本の五輪代表チームは、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こしたにもかかわらず、グループリーグを突破できなかった。そんな経験を持つ指揮官のグループリーグ突破にかける執念が感じられる作戦でもあった。
ゲーム内容に響いた香川不在 先発は戻すべき
それにしても、日本は今大会、11人対11人で戦っている時間帯に一度もリードを奪わないまま、勝ち点を4も稼いでグループリーグを突破した。サッカーは、本当にいろんなことが起きるものだ。
私の研究室でまとめたデータによると、ポーランド戦の日本は、相手のバイタルエリア(ベナルティーエリア手前のゾーン)に攻め込んでのパス成功率が47%と、相手を10ポイントも下回った。それが0―1という試合結果に表れた。セネガル戦のバイタルエリア内パス成功率は80%以上だったから、ポーランド戦の数字は、香川の不在が響いたとも思える。
6人入れ替えた先発メンバーを元に戻し、好機でのプレー精度を取り戻して、決勝トーナメントを戦ってほしい。8強以上へ勝ち進むには、それが条件になるだろう。(談。聞き手=読売新聞メディア局編集部・込山駿)
プロフィル 浅井武
あさい・たけし 筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。スポーツバイオメカニクス、スポーツ工学専攻。1956年9月12日生まれ、愛知県出身。81年、筑波大大学院体育研究科コーチ学を修了。筑波大文部技官、山形大助教授などを経て、2005年に戻った筑波大で教授になった。選手の動作解析やボールの軌道計算といった「サッカーの科学」における日本の第一人者。14年W杯ブラジル大会の公式球の特徴を分析した論文は国際的な物理科学雑誌に掲載された。筑波大蹴球(サッカー)部の顧問も務める。