も~さんブログ

日常の生活を書いています。

3月7日 ストーブのすすが詰まった

2025年03月06日 | 日記
朝は5時に目が覚め布団の中で「海猫」を読ん
だ。
函館どつくや五島軒のながら出てくる。
知っている場所ばかりなので楽しく読める。
20パーセントは読んだ。
起きてそろそろ薪ストーブの灰を取らなくてはとなり、静かにスコップを入れて取る。
乱暴にやると灰が舞い散る。
10kgくらいはあった。
終わってから薪ストーブに火を入れた。

すると煙が逆流して部屋に広がる。

これは煙突掃除をしなくてはならない。
煙突を外して外で煤取りをする。
結構詰まっていた。
今シーズン初めての煙突掃除だ。

煙突を組みたてて昼前には終了した。

ストーブに火を入れたら随分勢いよく燃える。
来シーズンは2ケ月に1回くらいにしよう。
薪も無くなったので5本切る。
これで軽トラ2台分頂いた薪が全て無くなった。

夕方立て続けに電話が来た。
マスターズ会長から講演のタイトルを聞かれ、2人で発表するやり方を聞いてきた。
終わって直ぐに一緒に講演する佐々木さんから電話が来る。
園田牧場の位置が正確に分からないという。
親戚の家に行って聞き込みしていた。
でも明治の事なので分かっている人は居なくなった。
大まかに分かるのでそれで行こうとなった。
私も園田牧場についてさらに調べていた。
凄い人が桔梗町にいたものだ。
園田牧場主は園田実徳で九州薩摩藩だった。
北海道に来て色々な事業を行っている。
あの1万円札の渋沢栄一とも仲間だった。
事業拡大に伴い、園田牧場は弟に管理を委託す
る。
その弟は武家に養子に入った方だ。
武家は昔から馬に関わる事業をしていた。
桔梗の牧場で生まれた武の子供に武邦彦がいる。
騎手である。
その子供が名騎手の武豊だ。
誰かの葬儀に桔梗に来ている。
亀葬会館にその時の写真があるそうだ。
園田実徳も凄い色々な事業を行っている。
私の勤務していた函館どつくの取締役に渋沢栄一ともになっている。
長女ののぶ子は西郷隆盛の息子、西郷寅太郎に嫁いでいる。
歴史をやると次から次へと分かってくる。
インターネットが無い時代には絶対分からないことだ。
歴史って楽しい。


3月6日 今日も雪がチラチラ

2025年03月06日 | 日記
昨夜は相当強い風が吹いていた。
朝起きたら雪がチラチラで今日もパソコンと睨み合っていくしかない。
先日伺った明治天皇が立ち寄った山岸さんの家では当時の様子が全く分からないという言う。
先々代のおばあちゃんが函館から来たと言っていたくらいしか知らない。
お世話になったし、奥さんから美味しいスイーツと果物も頂いたので、お返しに当時の様子を小冊子に纏めて渡そうと色々調べたら、色んな事が分かった。
明治天皇は6回の行幸の内、北海道には明治9年と14年に来ている。
1回目は函館方向から来て桔梗で休憩し近くの牧場を視察している。
この時も山岸さんの庭で休憩した可能性が大である。
そうすれば先代の話と合っている。
その後、明治14年に東京〜青森〜札幌〜室蘭〜森〜函館と行幸している。
途中の蓴菜沼では宮崎重兵衛が鯉と蓴菜を献上した。
これが今人気の大沼名物「鯉のあらい」の起源になった。
桔梗には午後3時30分に着いて4時10分に出発している。
この休憩場所が山岸さんの庭だった。
必ず水を用意しなくてはならないが、山岸さんの家にも当然井戸水はあった。
私と同じ年代の人は通学の途中でよく飲んだと言っている。
下の写真は軍艦「芙蓉」。
これで青森から小樽に来た。
下は隊列で警備や近衛隊、宮内庁など大行列だった。

良いものを見つけた。
七重(現七飯)の赤松街道を行列が歩いている絵だ。
これは今回の講演で見てもらおう。
昼には温泉に行く。
今日は都合で午後1時からでないと入れなかった。
40分あるが娯楽室で待つ。
ストーブが暖かくて眠くなるくらいだった。
1時になったら一気に人が来た。
そうか1番風呂狙いか。
先に体をしっかり洗ってからゆっくり湯船に浸かり帰る。
夕食を作って早めに頂く。
今日もジャパンの野球の試合が有る。
昨日は日ハムの水谷が先頭ホームランで4番万波も良い当たりで出塁している。
日ハムは今年は良いぞ。
狙え優勝。