も~さんブログ

日常の生活を書いています。

2月28日 春のような天気だ

2025年02月28日 | 日記
昨日は7時に寝て午前1時20分に始まる「シービリーズカップ」を観る。
11時過ぎには目が覚めた。
何しろ対戦相手のアメリカには1勝8分け31敗だ。
パリオリンピックでも負けて、アメリカが金メダルを取った。
世界ランクもアメリカは1位だ。
開始早々なでしこが1点決めた。
初めてのスタメンの選手だった。
その後1点を返されたが、後半で出場した選手が1点を返し逆転した。
その後はがっちり守って勝利したが実に12年ぶりの勝利だった。
試合は日本ペースで進んでいたと思われる。
ボールの支配率は60パーセントだった。
再びベッドに入る。
起きたのは8時だった。
妻から電話が来る。
喉の調子が悪く、病院に行きたいと言う。
来るならついでに結婚記念日の昼食を食べようとなった。
診察が終わったが風邪でないかとの事だった。
薬を貰って帰る。
その前に回転寿司「函◯」に行く。
寿司をお腹いっぱい食べた。
締めはとんこつラーメンだ。
実家に戻って来月に講演するSさんの家に行き打ち合わせ。
3月22日だと思っていた講演日が15日だった。
これは急がなくては。
明日、10時から打ち合わせとスライド用写真を撮ろうとなった。
今日の夕食はお腹いっぱい食べたので無し。




2月27日 結婚記念日だ

2025年02月27日 | 日記
今日は雪がちらついている。
気温は5度まで上がるって言うのにまだ冬さんは頑張っているのか。
外の片付が中々出来ないでいる。
もうやってしまおう。
炊き付けを段ボールで1箱作る。
これはもう来年用かな。
更に廃材的な材料を切って薪にするものとゴミで捨てる物とを分ける。

2日分くらいは切った。
後は薪小屋に残っている板類を燃やしてしまえば薪は全て終了する。
後1週間ですっかり無くなるだろう。

午後から講演資料を作る。
一気にやらないので中々進まない。
今日は縄文時代についてのスライドを作っていた。
するとNHK教育テレビで縄文の話だった。
パソコンの画面と同じ様な説明でどこも同じだと想いながら聞いていた。
ただ初めて知ったのは縄文人は北からも北海道に来ているのだった。
今はDNA鑑定で色々調べられるそうだ。
北海道のアイヌの人には縄文人の60パーセントのDNAが入っているそうだ。
北海道は縄文時代から弥生時代に移行できなかったのは、寒くて稲作が出来無くて続縄文になったそうだ。

TVで涙活と言うのを放映していた。
1粒の涙で1週間リラックス出来るそうだ。
何時も水戸黄門で涙している私はこれでリラックス出来ているのだろうか。

今日は結婚記念日なのだ。
特に大々的なイベントは無く、昼食を食べに行く程度だ。
因みに結婚記念日って何時なのか。
結婚披露宴の日が60パーセントで入籍日が20パーセントだそうだ。
高齢者は結婚披露宴で若い人は入籍日が多いそうだ。
明後日が食糧費支給日なので実家に行くがどうなるか。
普段美味しいのを食べていないので回転寿司でも行きたいものだ。
行ってから相談だ。
北海道は会費制なので、結婚披露宴の会食の会費は1500円だった。
安かったな。

2月26日 ワンルーム生活を終える

2025年02月26日 | 日記
朝から雪がちらついている。
でももう弱々しい雪だ。
冬の間快適に暮らしてきたワンルーム生活を終える事にする。
薪ストーブの温かみが壁や天井に蓄えられて寝ている間も暖かい。
でももう春になる。
気持ちを春に変えよう。
少しベッドの改良をしよう。
どうしても毛布や掛けふとんがずれる。
何か無いかなと探したらキャンプ用の椅子の廃材があった。
これを利用する。
適当な長さにしてタップを切り止める。
これでずれないだろう。
ベッドメークをする。
シーツや掛けふとんカバーは洗濯した。
薪ストーブだと数時間で乾く。

居間にはトレーニングのローラー台を設置した。
床は薪ストーブなのでやはり汚れる。
全面拭き掃除をした。
終わってから温泉に行く。
雪がちらついているので車で行く。
受付のお姉さんに昨日はどうしたのと聞いたら入浴者がすごく来たのでカランのお湯が足りなくなったそうだ。
連休だったから明けて一気に人が来たんだ。
写真はおつまみ。
お浸しときんぴら。
この後、夕食だ。

友人に恵庭のSさんがいる。
彼もブログを発信しているのでお互い見ている。
大学ではラグビーをやっていて、退職と共にロードレースをしている。
レースで知り合った仲間だ。
恵庭には数人がロードレースをやっていて毎朝練習をしていた。
私も千歳からその練習に参加していた。
30分位のレース状態の練習だった。
最初は集団で先頭交代をしながらスピードアップし、後半には坂もある。
そこが勝負で誰が何処でアタックするかと探って誰かが仕掛ける。
それにしっかり着いてゴール前で差すのが楽しい。
成功あり、失敗ありで楽しいひと時であっ
た。
終わってから会社に行く。
このトレーニングで随分強くなった。
そのSさんも60歳で退職してから、MTBで
旅してる。
今年は小豆島に行くそうだ。
尾崎放哉が極貧の流浪遁世の果てに最後を過ごした島だ。
左足は大丈夫かなと言ってるが頑張れ。
あちこちから旅の話が聞こえて来る。




2月25日 旅カブの完成

2025年02月24日 | 日記
最高気温は7度になると言う。
でも外は風が強くて寒い。
今日も室内作業にする。
カブのバックモニターを付けてしまおう。
モニターは付けたのでバックのセンサーの取り付けだ。
付ける位置は後部になる。
車用なのでやたら線が長い。
切ろうともおもったが、車で使うことも考えて、シート後ろの格納スペースに入れる事にした。
写真は上から見たものだが、コンテナ構造物に切り込みを入れて線を通す。
センサーはコンテナボックスに付けた。
配線の取り回しがある。
線をどう固定するかと考えていたがアイデアが浮かばない。
まあ中断して温泉に行こうとなった。
ママチャリで行く。
着いたら入浴中止の張り紙がある。
カランに出るお湯の残量が無くなったためと書いてある。
そんな事があるのか?
どんなシステムなんだろう。
仕方が無く戻るがペダルを回す足に結構効く。
冬場の運動不足に毎日スクワットを朝晩やっている。
最初は100回ずつ2回で200回だったが最近は150回2セットにしている。
足の大腿部がパンパンになっている。
だから自転車に乗るにも足に効いてくる。
戻って100均に行く。
線の固定をクリップでやろうと思いついた。
下はセンサーの配線だが止めないとだらっとしている。
クリップで止めた。
手で広げる部分の金属が邪魔なので取ってしまう。
更に白だと目立つので黄色のペイントをした。
まあこれで良いだろう。
これで旅カブの全ての工事が完了した。
いつでも旅に出られる事になった。

夕食は昨日失敗したザリージを作る。
ニンニク、生姜、醤油で味付けし、そこに小麦粉を入れ卵を入れ、最後に片栗粉を入れる。

温度は180度で揚げ、更に190度の2段階揚げ。
表面がカリカに仕上がった。
これで十分か。
良い色に揚がった。




2月24日 バックモニターが付いた

2025年02月24日 | 日記
朝5時に起きてサッカーなでしこジャパンの試合を見る。
19歳の谷川が開始18秒で30mのロングシートを決める。
バイエルンミュンヘン所属だ。

試合は4対1で勝利。
見終わって1度寝て7時半に起きる。
朝食はうどんにした。
寒い台所でうどんをゆがくと蒸気がもうもうと出る。
外の整理整頓をしようと思っていたが、寒いので室内の作業にする。
バイクにバックモニターを付ける事にする。
インパクトドライバーのビットを、ドリルの刃に変えようとしたが固くてびくともしない。
インターネットで調べたら、叩いて今のビットが入っているのを取るしか無いと言う。
本来は下のようにスチールボールが窪みにぴったり入るはず無のだが、安いビットの中にはサイズが今一合わなくて取れなくなることがあるという。
下のように噛んでしまうようだ。
安いビットにはこのような現象が多いそう
だ。
安物買いのせいなのか。

色々叩いているうちに外れた。
これでドリルに変えられる。
先ずはバックモニター用の電源スイッチを付けた。
DC電源が無いので充電器に繋いだら極性が逆だと表示する。
諦めてベイクの蓄電池に繋ぐ。
いずれはそうしなければならないのでやってしまおう。
配線は中々難しい。
電線を通す所がスペースが狭くて中々線を通させてくれない。
ひと休みしていたらテレビで大阪マラソンを放映していた。
内容的にはデッドヒートで面白い内容だった。
雪が降っている中での試合で日本人の初マラソンに出た近藤が残り1kmでエチオピアの2人の先頭に出る。
1人のエチオピアのランナーが落ちて残り1人のエチオピア人ランナーとの一騎打ちになった。
最後の10m位でスパートされ追い抜かれた。
初マラソンで2位とは凄い。

このマラソンで折り返し地点を20m間違えて先で折り返した。
タイムが大きくロスして日本記録が消えた。
先頭に白バイが居るのに、白バイも間違えたのか。
再びバックモニターの工事。
殆ど終えて後はヒューズが来れば良い。
予定は明日なのだが、郵便受けを覗いたら置き配で有った。
凄い量のヒューズが入っていた。
早速配線して工事が完了する。
センサーを外に出してテストしてみる。
この写真はモニターをスマホで撮ったが、生で見ると高画質で鮮明に見える。

センサーの位置はバイクを外に出して決めよう。
走っている際のトレーラのモニターも出来そうだ。
夕食は「炸里背」ザリージまたはザリジで
開国が早かった函館に中国から入ったと言われている。
当時鶏肉が高かったの豚肉の料理が好まれたようだ。
この料理は国内では函館が発祥となった。
今日は失敗だった。
いつもは味付けして小麦粉を付け、その上溶き卵を付けパン粉を付けて揚げていた。
今日はふと小麦粉とか片栗粉を付けないとどうなるかと試したくなった。
結果はやはりパン粉が付かない。
素揚げの様になった。
それでも美味しかったが、明日はもう一度正規バージョンで作ろう。