日本映画全盛期、東宝など大手5社が競うなか、セックス
をテーマに独自の路線で活動してきたのが1962年
スタートの「ピンク映画」だった。
“18歳未満入場禁止”が逆に好奇心をあおり、男性の
息抜きの館でもあった。
ピンク映画の旗手となったのが「大蔵映画」。
創設者の大蔵貢氏は芸能史に残る名言を残した人と
しても知られる。
専属女優との愛人関係を記者会見で指摘された大蔵氏
は動じることなく言い切った。
「私は女優を愛人にした覚えはない。
愛人を女優にしただけだ」
反論した記者は誰もいなかったそうだ。
不倫報道が絶えない現代。こんな反論をする人物が現れ
ないかとも思う。
ピンク映画を定着させた自信が強い言葉になったと思うが、
大蔵映画に刺激を受け誕生したのが日活ロマンポルノ
だった。
石原裕次郎、小林旭らスター俳優を輩出した日活が映画興行
の不振から経営難に陥り打開策として「ロマンポルノ」が産声
をあげたのは1971年のこと。
新たな顧客の確保に成功。息を吹き返した。
活気づいた宣伝部からは「取材に来てください」と資料を
持ち出版社によく営業に来ていた。
当時の出版社は男社会。「この子可愛い」「いい体してる」
と鼻の下を伸ばし、取材に行きたい一心から、日活ネタ
が何本もプラン会議でかぶることもあった。
撮影所のスタジオで前張りをつけた男女が動き回る
のはどことなく滑稽でもあったが、ポルノ女優は取材でも
映画女優とは違っていた。
質問に対する答え方もどことなくたどたどしい。大半の
人は大手事務所に所属しているわけでもない。
基本的に取材は日活宣伝部の方が立ち会っていた。
女優も取材に慣れると何でも話す。「同棲している彼が
いるけど、ポルノに出ていることは教えてない。
映画会社でバイトしていると言っている」という人もいれば、
「撮影がない時はキャバレーで働いている」とあっけらかん
と話す子もいて、宣伝部員が「その話は記事にしないで」
と慌てることもあった。
男優も取材した。
男優の多くは役者志望。食べるためにピンク映画に
身を置き、次にロマンポルノからも声がかかった。
「前張りはしていますが、素っ裸で女性と絡む仕事は
多少の抵抗感はありました。
女優が主体のポルノ。黒子に徹しましたが、そのなかで
いかに光る演技を見せられるか、ポルノ映画は次のステップ
への勉強にもなりました」
事実、ポルノからメジャーになった人は少なくない。
東てる美・美保純ら女優だけでなく、男優は風間杜夫・
石橋蓮司らもポルノ映画経験者。
監督界でも滝田洋二郎・和泉聖治らを輩出している。
また、天地真理・黛ジュン・大信田礼子らアイドルや歌手が
記念映画として話題になることもあった。
しかし映画界に一大革命を起こしたロマンポルノも80年代
に入ると斜陽になっていく。その要因になったのがAV
(アダルトビデオ)の台頭だった。
なかでも村西とおる監督の出現はメディアをも動かす
ものだった。 (つづく)
お釈迦さまは、悪事にはまる4つの心理状態を説かれます。
「好み、怒り、恐れ、無知によって、正義を踏みにじるならば、
黒分の月のように、その人の栄光は失墜する」
人間の過ちは判断の間違いから起こります。
そして判断を間違うのは、欲や我が儘、怒り、恐怖感などの
感情に支配され、無知の状態で物事を判断する時です。
お釈迦さまは、物事を客観的、論理的に検討し、理性に
基づいて判断したほうがよいと説かれています。
さらに財産が消える6つの落とし穴を防げば、六方礼拝の
準備は整います。
「サイコロ、女、酒、歌、踊り、昼は寝て、非時に出歩く
悪友を好む、物惜しむ性格 人を破滅に追い込む
六つの理由」
収入が足りないと不満を漏らす人も、どこで収入が
消えていくのかと客観的に調べることにはそれほど興味
がありません。
そこでお釈迦さまは、収入が無駄に消える落とし穴を親切
に教えるのです。
酒、夜遊び、集まり事、賭け事に耽り、悪友に親しみ、
怠けが身につくこと。これは複雑な現代社会にも見事
に当てはまる落とし穴です。
中でも悪友については念入りに説かれており、善友のふり
をする偽者も含めて、自分を道徳的に駄目にしてしまう悪友
と関わりを持たないこと。
困った時には助けてくれ、時には苦言も呈して自分のことを
心から心配してくれる人を、財産の如く大事にしなさい
と説かれています。
仏教の世界では、善友とは呼吸と同じ価値なのです。
最後の怠けについてお釈迦さまは、寒すぎる、暑すぎる、
朝が早すぎるなどといって仕事を放棄する人は、幸福から
見放されると説かれています。
努力を軽視する人に対して、あなたは間違って人間になった。
努力なしに生きられる世界はないと厳しく戒めるのです。
仏教というと、拝んだり、御守りをいただいたりして 願い事を
聞いてもらうといったイメージがあるかもしれません。けれども
お釈迦さまが実際に説かれたことは、人の生き方です。
あなたがどんな行為をしたか、それによって人生の幸、
不幸が決まるという真理なのです。
「たぶん一生寝たきりか、車椅子の生活になるでしょう」
首の骨を折る大けがにより、充実した教員生活から一転、
人生の奈落に叩き落された腰塚勇人さん。
一時は自殺まで考えたという苦悩の底から氏はいかにして
立ち直り、見事社会復帰を果たしたのか?
(腰塚)
実は怪我をするまで、僕は競争が大好きな人間でした。
「常勝」が信条で、人に負けない生き方をずっと貫いて
いたんです。だから「助けて」なんて言葉は口が裂けても
言えない性分でした。
それが怪我ですべて人の手を借りなければならなく
なりました。僕が一番したくない生き方でした。苦しいし、
泣きわめきたいし、「助けてっ!」って言葉が口元まで
出かかってくるけど、プライドが邪魔してそれを言わせない。
ここで弱音を吐いたら、家族に余計に心配をかけてしまう
と思うと、なおさら言えませんでした。皆に迷惑をかけた分、
なんとかしたいって気持ちでいたんですが、そのプレッシャー
や苦しさに押し潰されそうになってしまって……
僕はとうとう舌を噛んだんです。だけど結局、死に切れ
なかった。あとには生きるという選択肢しかなくなりました。
じゃあ明日から前向きに生きられるかといったら、それは
無理です。自分を押し包む苦しさがなくなったわけでは
ありませんからね。
そんなある晩、苦しくて寝つけないでいると、看護師さんが
声をかけてくれました。
「腰塚さん、寝ないと体がもちませんよ。睡眠剤が必要
だったら言ってね」って。
その言葉に僕の心が反応しちゃったんです。
おまえに俺の気持ちが分かってたまるかって、
無意識に彼女をグッと睨みつけていました。
僕の様子にハッと気づいてすぐに言ってくれたんです。
「腰塚さんごめんね。私、腰塚さんの気持ちを何も考えずに、
ただ自分の思ったことを言ってたよね。
でも腰塚さんには本当に少しでもよくなってもらいたいと
思っているから……、なんでもいいから言ってほしいです。
お願いだから何かさせてください」
看護師さん、泣きながらそう言ってくれたんです。
彼女が去った後、涙がブワッと溢れてきました。あぁ、この人
俺の気持ちを分かろうとしてくれてる。この人にだったら俺、
「助けて」って言えるかもしれないって思えたんです。
それまで僕は周りからずっと「頑張れ」って励まされていました。
僕のことを思って言ってくれているのが分かるから決して
言えなかったけど、心の中は張り裂けそうでした。
俺、もう十分頑張っているんだよ……、
これ以上頑張れないんだよって……。
だから救われたんです。あの時以来、凄く思うんです。
人の放つ一言が、人生をどうにでも変えてしまうんだなって。
だから自分は言葉を丁寧に使おう。言葉をちゃんと選んで、
丁寧に使おうって。
泣くだけ泣いた次の朝、
目が覚めるとベッドサイドに飾られていた お見舞いの花が
ふっと目に入りました。その時思ったんです。「せめて花みたい
に生きることはできないかな」って。
手足は動かないけど、顔は動きます。だったらできるだけ
笑顔でいよう。口も動くんだから、できる限り「ありがとう」
って言おう。心も使えるんだから、周りの人がきょう一日
元気に、笑顔で過ごせますようにと願おうって。
そう決意したら、いろんなものがどんどん変わって
いったんです。ドクターとも、看護師さんとも、リハビリ
の先生とも、凄く仲良くなって、毎日が楽しくって。
首の神経が全て切れていなかったのも幸いして、
3週間後には奇跡的に車椅子に移ることができたんです。