貧者の一灯 ブログ

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妄想劇場・THE ライフ

2021年03月20日 | 流れ雲のブログ



















「転院する! 転院する!」

「ご主人が仕事先で倒れました。すぐ病院へ向かってください」。
その連絡が私の携帯電話に入ったのは3月のことだった。
安西真理江さん(仮名)は知らせを受けて駆け付けた。

病気とは無縁で、風邪ひとつひかず毎日元気に会社に行って
いた夫が倒れるとは。しかし、夫は165センチで118キロの肥満体。
タバコを1日1箱吸い、高血圧だったのだから、考えてみれば
不思議はなかった。

生まれて初めて病院のICU(集中治療室)に足を踏み入れる。
夫を見つけ、少しだけほっとした私に、医師はこう言った。

「大動脈解離です」。 当時その病気を知らなかったが、
大動脈解離は、体の中で一番太い直径約2.5センチの大動脈
の3層の内壁の一部が裂け、そこから血液が流れ込んで血管
の通りが二重になる病気だ。

裂け目からできた血流(偽腔)が本来の血流(真腔)を圧迫
するため、大動脈が送るべき血流が阻害され、脳や内臓、
下肢などにトラブルを引き起こす。

「ご家族の方、こちらの書類にサインをお願いします」。
看護師の声で我に返った。入院期間は3~4週間、などの
説明の後、「安静を保つため拘束することもあります」という
同意書にサインを求められた。

あの人は手足を拘束されるなんていやだろうな、と思いながら
サインした。 また「差額ベッド代は3万円です」と言われた。
一瞬、ちょっと高いなとは思ったが、もちろん承諾した。

元気になって家に帰ってくれるなら、お金なんてささいなことだ。
貯金だってある。ところが、その話を聞いていた夫は違った。

「ダメだ。転院する!」 こんな、生きるか死ぬかという場面で
差額ベッド代をケチるとはなんという人だろう。

高血圧の薬を飲まず、浮いた薬代をタバコ代に充てていたこと
を私はうすうす知っていた。 「大丈夫、大丈夫だから。何とか
なるから落ち着いて入院して、パパ」

「転院する! 転院する!」 夫はなおも言い張ったが、点滴の
薬が効いてきたのかそのうち静かになった。その後、夫は
降圧剤やら鎮静剤やら薬の投与によって眠りについた。

ICUには10台ほどのベッドが並べられ、重篤な患者さんが
常時治療を受けていた。

看護師いわく、「どうぞ毎日来てください。せん妄を防ぐためにも」。
環境の変化によってせん妄になると、認知症に似た症状が出る
ようである。

せん妄を防ぐには家族ができるだけ面会に来て話しかけたり、
家族の写真やカレンダーを持ち込んで病室を自宅のように
したりするといいそうだ

腎臓内科の医師から「透析の準備をする」と連絡があったのは
入院4日目のことである。

大動脈解離によって腎臓の血流が阻害され、2つある腎臓
のうち1つはすぐに、残りの1つも今ではほとんど機能しなく
なったという。

それからしばらくして夫は週2回のペースで血液透析を受ける
身となった。

医師の一言に心が軽くなる

あるとき夫は「水が飲みたい」としきりにせがんだ。飲水制限が
あり、勝手に水分をとることはできないので、私は優しく断った。

すると今度は面会に来ていた娘に「ジュース買ってきて」と、
パジャマのポケットに手を入れ、あるはずのない小銭をまさぐる
仕草をした。

水がだめならジュースもだめだということがわからない。
自分が入院中でお金を持っていないことも理解していないのだ。
これがせん妄というやつか。

「せん妄は一時的なもの」という医師の言葉を信じるしかない。
そして少しずつだが病状は回復し、入院14日目にして、ようやく
一般病棟に移ることができた。

無事日常を取り戻したとして、夫は行状を反省し、タバコを
やめ薬を飲んでくれるのか。そんな心配を夫には内緒で
担当医に訴えたところ、「それはその人の生き方ですから」
と言われた。

一瞬、「なんて冷たい」と思ったが、すぐに、「そうだ、あれが
あの人の生き方なんだ。だからもう以前のように夫に注意しなく
てもいいんだ」と、思い直した。

4月初旬、3月分の請求書を受け取った。

差額でまた夫が大騒ぎしないよう、「決して病室に届けない
でください、会計に取りに伺います」と伝えておいたのだ。

また無差額の部屋もあると聞いたので、我が家の経済状況
をお話しして順番を待ち、何日間か入ることができた。

医療費は高額療養費制度を使って13万円、
差額ベッド代は15万円で、支払ったのは税込み
約29万円だった。

しかし実際かかった医療費はというと、429万8850円とある。
会社の健康保険に入っていてよかったとつくづく思う。

また傷病手当金といって、申請すれば働くことができない期間
の給料の3分の2も支払われる。本人は治療に専念できるし、
家族も生活の不安なく暮らせる。

4月半ばの退院の日、私は朝暗いうちから起きだして車を
運転し、夫を迎えに病院へ向かった。

40日の入院生活は思いもよらぬことの連続だった。しかしまだ
終わったわけではない。大動脈解離の治療は不要となったが、
腎臓は相変わらずで透析を続ける必要がある。

次の病院で何が待ち受けているか、わからない。夫は歩ける
ようになるだろうか、透析を中止できるだろうか、まったく
わからない。

不安になったとき、私はあの医師の言葉を反芻する。
夫がどう生きようと私には関係ない。

別の人間、別の人生なのだ。私には何の責任もない。
どうぞ自由にやって。呪縛から解き放たれ、心が軽くなる
気がした。 ・・・















日本には「鶴の恩返し」という昔話があるが、白鳥も義理人情
に厚い生き物のようだ。

トルコにて、怪我で羽が折れ飛べなくなっていた白鳥がいた。  
その白鳥を発見した男性は、家に連れて帰り傷の手当てを
して甲斐甲斐しく面倒を見た。

そのおかげで白鳥の傷は癒え、飛べるようになったものの、
白鳥は男性のそばを立ち去ろうとしなかった。  

そのまま37年もの長い間、常に男性のそばに寄り添い
暮らしているという。

怪我が治り飛べるようになっても旅立とうとしない白鳥  

ミズランさんの看護のおかげでガリップの傷は完治し、
自由に飛べるようになった。ところが、ガリップはミズラン
のそばから離れようとしない。

どこに行ってもその後を追ってくる。野生に還すことを
あきらめたミズランさんは、ガリップの好きにさせてあげる
ことにした。

命を救ってくれたあるミズランさんのそばにいることが、
ガリップなりの恩返しのつもりだったのかもしれない。    

ミズランさんは結婚していたが子供がいなかった。
彼は牧場にいた犬や猫、その他の動物たちを我が子のよう
にかわいがっていたのだが、ガリップもその仲間に
くわわったのだ。

37年の長きにわたり、深い友情を築いた白鳥と男性  

ミズランさんがガリップを保護して既に37年がたった。その間、
ガリップは一度もミズランさんのそばを離れたことはないという。
名前を呼んだら、ちゃんと私のところに来るんだ。

この辺りが洪水に襲われた時でさえ、ガリップは逃げようとせず、
私のもとを離れようとしなかったんだ。  

ミズランさんによると、ガリップは、牧場に専用の小屋を持って
いて夜はそこで眠るが、日中はミズランさんが雑用をしている間
ついて回り、日課である夜の散歩も一緒についてくるという。  

数年前に妻に旅立たれたミズランさん。現在は郵便配達人を
退職し、毎日自宅での日々を送っているが、いつでもそばに
寄り添ってくれるガリップの存在は心の支えとなっている。

だが生き物には寿命がある。オオハクチョウは飼育下では
30年ほど生きると言われているが、ガリップはその平均寿命を
はるかに超えている。

ガリップは、今ではすっかり年取ってしまったよ。もし、
ガリップが死んだらこの牧場に墓を作って埋めてやるつもり
だけれど、もっと一緒に過ごしたいから長生きしてほしいね。  

ガリップだってミズランさんと離れたくないはずだ。ミズランさん
の愛情という栄養をたっぷりもらって、白鳥の世界最高寿命を
更新して欲しいものだ。 ・・・