貧者の一灯 ブログ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。

妄想劇場・妄想物語

2021年03月17日 | 流れ雲のブログ
















※注意
掲載されている情報には危険なものも含まれています。
閲覧したり実践したりすることで発生する一切のことがらに
責任を負いかねます。必ず、自己責任でお願いします。
不快感がある方は、読むのを中断してください。・・・



私は、母を1歳の時に病気で亡くしました。
そんな訳で、私には母との記憶は殆どありません。

私は父と父方の祖父母の4人で生活を送る事になりました。
父方の祖父母は私を大変可愛がってくれました。
そして幼稚園・小学校・中学校・高校など進学の節目や、
春休み、夏休み、冬休みなどの長期休みには、父から
必ず母方の祖父母の方へ泊まりに行く様に言われており、
3泊程していました。

父は、母を愛していたんだと思います。
小さい私がいて大変だったかと思いますが、再婚もせず
いまだに独身です。母方の両親との交流も止めませんでした。

私は当然写真でしか母を知らず思い出も何もないのです。
そんな環境で育ったせいか、私の中で女性は体が弱く自分
の前からいなくなるという思いが強く、恋愛をする事が出来
ない状態でした。

いつになっても結婚する気配もない自分に心配する父や
祖父母に対して、私はマイペースで仕事と趣味に没頭して
充実した日々を送っていました。

私が28歳になった時でした。ある日友人に誘われて合コン
に行きました。あまり合コンなど好きではなく誘われても
断っていましたが、人数合わせで頼まれ仕方なく参加しました。

そこで、妻となるA子と初めて会う事になりました。

最初に会った印象は笑顔が素敵な女性だなといった感じで、
特に私からアプローチはしませんでした。女性を好きになる
よりも、失うのではないかと…という恐怖が強かったのです。

しかし、自分の何が良かったのかA子は電話番号とアドレス
を交換して欲しいと言ってきて、積極的行動に負けた私は
教える事にしました。

その後、私は翌日仕事が早いのでと1次会で帰宅しました。

メールと電話番号をA子と交換していた事をすっかり忘れて、
1週間が過ぎていました。自分としては、仕事も忙しかったし
今更こちらから連絡をしても忘れていて迷惑だろうなと思い、
放置していました。

ところが2週間ほど経った金曜日に、A子から「お久しぶりです。
お元気ですか?なかなかメールいただけないので、こちらから
メールしてみました。

日曜日お暇でしたら何処かいきませんか?」と言った内容の
メールがあり、私は「仕事が忙しくメールが出来ませんでした。
申し訳ありませんでした。

日曜日は休みです。ドライブでもどうですか?」とお詫びも
かねて返事のメールをし、A子と出かけることになりました。

そして日曜日、ドライブで山へ行きました。
途中昼食でレストランに寄り、山がよく見える所で車を止めて
景色を眺めました。

そこでA子から初めて会った時から気になっていたので、
恋人として付き合って欲しいと告白されました。

私は自分が抱えるトラウマの話をしましたが、A子は「私は、
健康だけが取り柄だから大丈夫だよ」と笑顔で答えてくれました。

もしかしたらこの人となら…と思った私は、彼女と付き合う
ことになりました。

付き合ってから1年も経つと、A子の両親が結婚を勧めてくる
ようになりました。私は当然A子のことは大好きでしたが、
どうしてもトラウマが頭から離れず、なかなか結婚には踏み
切れないでいました。

そんなある日です。
私は、1人で考えたく 母の墓参りに行きました。

母の墓に手を合わせ
「A子という女性と結婚を考えているが、結婚すると母の様に
いなくなるのではないか…」と心の中で話しかけていました。
すると、後ろに人の気配がするのです。

振り返ると若い女性が立っていました。
懐かしくて優しい感じの印象があり、どこかで見た事のある
顔だなと最初はピンときませんでしたが、それは母でした。

写真でしか見た事がありませんでしたが、私にはわかりました。
不思議と怖いとは思いませんでした。

母は私に「今まであなたの成長を見てきたよ。
A子さんは大丈夫!迷わず結婚しなさい!」
と笑顔で言うと、消えてしまいました。

私は思わず泣きました。
そして母のお墓に再度手を合わせお礼を言い、そのまま
の勢いでA子へ電話して「大切な話があるので次の日曜日
会って欲しい」と伝えました。

今では、私は1児の父親です。
あの時、母が出て来て後押ししてくれなければこの幸せは
なかったと思います。

母の墓参りへ家族を連れて出かけるのが、今の私にとって
は親孝行なのかなと思っています。 ・・・











年々、増加傾向にあるセッ○スレス夫婦。
夫に「拒まれ続けた」妻たちが、誰かに愛されることを実感
したい切なる思いから婚外恋愛へと走ってしまうケースは
少なくない。  

・・・ただ、その相手が「同性」ならばどうだろう? 
そして女性とのセッ○スが、これまで経験したことのない
快楽と心の充足感を与えてくれたとしたら・・・?  

全身が甘美な痺れに包まれ…

「Dさんとのセッ○スを思いだすと、今でも体が熱くなります。
彼女からはもう離れられないと思いました……

すごく幸せな分だけ、つらい」 複雑な幸福を噛みしめるように、
Y子さんは言葉を選びながら話し始めた。

「丁寧なクンニリン○スと指でイカせられたのち、私の乳房や
脇腹、内腿……全身あますところなく、甘い接吻が浴びせ
られました。

時おり、髪を撫でてくれたり、頬や唇にもキスをしてくれたり
過去に付き合った誰よりも的確に私の性感帯を探り当て、
蕩けるような愛撫を与えてくれたんです」  

男性とは違うソフトながらも情熱的な刺激に、その後、もう一度
イカされたY子さんは、「私にもDさんを愛させて」と口走ったという。  

しかし、彼女は首を振った。
「Y子さんは、女性とは初めてでしょう?無理しないで」

「あっ!」  思わず悲鳴を上げたのは、脚を広げたDさんが、
Y子さんのヴァギナにアソコを押しつけてきたからだった。

二人の膣口がクチュリ……と密着する。
「『貝合わせ』っていうのよ……とても気持ちいいの」  

恍惚の表情でヴァギナをなすりつけたD子さんは、ゆっくりと
腰を振りだした。  

クチュッ……ニチャ……。 「あ……ああっ」  
ベッドのきしみに合わせて、粘膜が卑猥な水音を響かせる。  

すでに2度も絶頂を味わい、性感の研ぎ澄まされたY子さん
の体は敏感に反応した。  

もたらされる微細な圧迫は、やがてクリトリスや膣の奥にも
響きわたる。全身が甘美な痺れに包まれ、稲妻に打たれた
ような電流がいくども背筋を駆け抜けた。  

ペ○スの挿入なくしても十分達することができたという。
「気づけば、5回もイカされていました。それでも、彼女は
まだ物足りないみたいで『Y子さんをもっと狂わせたい』って
……(笑)。

男性とのセッ○スではありえない。女のセッ○スが底なし
という意味を存分に味わわされました。

とうとうやってはいけないタブーを

その夜をきっかけに、二人の密会が始まった。  
夫には「女友達と食事」と言っていれば怪しまれない。
愛しあうホテルではエステ付きの「レディースプラン」なども
利用したという。  

頬を紅潮させながら話していたY子さんの表情が、
ふっと沈んだのは、Dさんがレズビアンになった経緯に
触れた時だった。

「彼女のお父様がパイロットで、とても立派な方だった
そうです。10代、20代とお付き合いした男性とはセックス
もしたそうですが、いつも『何か違う』と違和感があり、
結果的に、自分は父を超える男性を愛せない……と
悟ったようです」  

Dさんは父親を慕うあまり、異性との恋愛ができず、女性
を愛するようになったという。 「Dさんに抱かれている時は
本当に幸せです。

恋愛って男も女も関係ないですね。でも、私が既婚者で
ある以上「不倫」という言葉が付きまといます。

今は幸せですが、そう遠くない未来に、もしDさんに別れ
を切り出されたら……私、きっと生きていけません」  
Y子さんは、ギュッと唇を噛みしめた。

「先日、とうとうやってはいけないタブーを犯しました。
私、『友人よ』と言ってD子さんを家に招き、夫に紹介
したんです」  

しかも、客室に泊まらせたDさんの部屋に夜中こっそり
忍びこみ、セッ○スまでしたのだという。

「いつものセックス以上に興奮しました。
彼女もそうだったみたい。

隣の部屋には主人が寝ているんですから。でも……もし、
このことが主人にバレたら離婚ができると、心の隅で思う
もう一人の自分がいるんです。

最低の女だとわかっているけれど、Dさん無しの生活は
考えらえません。もう戻れない場所まできてしまったんです
……」  

Y子さんは切なげに微笑んだ。
「これからどうなるかわからない。でも、彼女と抱き合っている
時は、何もかも捨てていいほど、幸せなんです」  

罪悪感を抱きながらも、誇らし気な彼女の表情が
印象的だった。 ・・・。