貧者の一灯 ブログ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。

妄想劇場・特別編

2021年03月22日 | 流れ雲のブログ



















その朝は1時間目のベルが鳴っても、4年2組の教室に担任
のマツダ先生は来ませんでした。

自分達だけで進める朝の会は、先生がいないことをいい
ことに、ふざけ放題で、司会者は「静かにしてください」を
連発していました。

先生が来ない時には、学級リーダーのサキが自習の指示
を出すのですが、なぜかサキもいませんでした。

しばらくしてマツダ先生とサキがいっしょに教室に入って
きました。教室に入るなり先生は開口一番 「みんなサキの
上履きをしらないかな。

朝学校に来たら、サキの上履きがなくなっていたというこ
となんだ。今まで探してたけれど、見つからないんだ。
だれか、いたずらしてるんだったら、後でいいいからわたし
に話してくれ」 と言いました。

サキは、いつもは気の強い学級リーダーでした。しかし、
その朝はしょんぼりと困ったような顔をしていました。
サキの足元を見ると、校名の入った大きすぎるスリッパ
をはいていました。

その日は、休み時間と放課後、みんなで校内を探しましたが、
ついにサキの上履きは見つかりませんでした。

口の悪いわたしたちは、陰で 「サキはいつも、みんなにきつく
言うから、誰かにいたずらされたんだ」 などと勝手なことを
言いました。

翌日、サキは真新しい上履きをはいていました。この日も
みんなで探したのですが、やはり見つかりませんでした。

マツダ先生は、同じように言いました。 「サキの上履きを
かくしてしまった人がここにいるなら、正直に言ってくれ。
誰でも子どもの頃は間違いをする。わたしもそうだった。
だから、責めたりしないから。大事なことは、正直に
話すことだよ」

さらにその翌日も、サキの上履きは出てきませんでした。
先生は言いました。 「サキの上履きはもう出てこないかも
しれない。この学級にいたずらをした子はいないと思う。
いや、そう思いたい。

でも、上履きが見えないのは事実なんだ。このことを一人
一人が心の中で考えてくれ、とても大事なことだから」

しかし、あろうことかその日の体育の前に、今度はサキの
体操着が見えなくなったのです。同じように、みんなで
探そうとしました。

そうしたら、学級で一番背丈の低いトモ子の服袋の中から
出てきたのです。みんな驚きましたが、一番驚いたのは
トモ子自身でした。

トモ子は泣きながら、すぐにマツダ先生に言いました。
「わたしはかくしたりしていない。なぜか、わたしの服袋に
サッちゃんの上着が入っていたの。

わたしは何もしてません」 マツダ先生はすかさず言いました。
「わかる、わかる、トモ子は人のものをかくす子じゃない。
トモ子はそんなことをする子じゃないから・・・」

学級のみんなも同じ思いでした。体だけでなく学級で一番、
気持ちも小さいトモ子がサキの体操着をかくすなんてこと、
できるはずがありません。

上履きに続いてサキの体操着がかくされたことで、黙って
いられないのはサキのお母さんでした。サキのお母さんは
すぐに学校に来て、マツダ先生に詰め寄りました。

「どうして娘のものだけが無くなったり、かくされたりするの
ですか?娘のものだけが狙われる、ってことがあるんですか」

「いえ、そんなことはありません。学級内で起こっていること
なので、わたしの責任です。今後、このようなことがないよう
に気を付けますから‥・」

「トモ子という子の服袋に入っていたということじゃないですか。
上履きをかくしたのもその子じゃないのですか」
「いえ、トモ子は人のものをかくしたりするような子では
ありません」

「それなら、その子の袋に娘の体操着が入ってたという事実
は何なんですか。その子じゃなければ一体、誰なんですか。
そんな悪いいたずらをする子を早く探してもらわないと、
娘を安心して学校にやることはできません」

「いえ、学校は犯人探しをするところじゃないんですよ。
子どもは心の面でも発達途上なんで、このような間違いを
することがあるんです。どうか、わたしに任せてくれませんか」

「いえ、何もしない先生は信用できません。明日、
わたしも登校して学級の様子を見ることにします」
マツダ先生は一方的に押しまくられました。

翌日、サキのお母さんは学級全体を監視するかのように、
一日中教室の後ろにいました。マツダ先生以上に、
嫌な思いをしたのはトモ子でした。

ただでも小さなトモ子はさらに体を小さくし、サキのお母さん
の視界から逃げるようにして過ごしていました。

その週の土曜日でした。 午前授業が終わって、いったん
帰宅した後にわたしは宿題のプリントを忘れたことに気がつき、
学校に向かいました。

校門をくぐった時、誰もいない昇降口からサキが一人で出て
くるのが見えました。 (なんで今頃、学校にいるんだろう、
やはり何か忘れ物をしたのかな) と思いました。

よく見ると手には赤い絵の具箱をもっています。
(ははぁ、サキは絵の具箱をわすれたんだな) しかし、
サキは絵の具箱を持ったまま校舎の裏の方に向かった
のです。

何となくおかしいなと思い、わたしはそっとサキの後を
追いました。 サキは、校舎の裏にある焼却炉の前で周りを
うかがうと、火がついていない焼却炉に自分の赤い絵の具箱
を放り込んだのです。

その直後、どこからかマツダ先生が現れて、サキの肩を
たたきました。サキのびっくりしたような様子は、遠くにいた
わたしにもはっきりとわかりました。

わたしは見つからないようにその場を立ち去り、
足早に家に戻ったのでした。

週明けの月曜日でした。 朝の会でマツダ先生が口を
開きました。 「先週はみんなでいろいろと心配したけど、
サキの上履きは間違って他の学年の子が履いていたんだ。

土曜日に無事、サキの家に届けたからもう大丈夫だ。
体操着も、誰かが間違ってトモ子の袋に入れちゃったんだな、
きっと。本当に悪さをしようとすれば、どっかに捨てちゃう
もんな。

多分、誰かが間違ってトモ子の袋に入れたんだろうなぁ。
そういう訳で、すべて解決だ。

もう、物が無くなることはないからな。サキのお母さんも安心
したようだ。よかった、よかった。やっぱ、この学級には悪い
いたずらをする子なんで誰一人いないよ。

みんないい子だからな、ハハハハハ・・・・・」 すべての件は
落着したと話したのでした。

マツダ学級のクラスメートは、中学生になっても仲良しでした。
ある時、当時のことを懐かしく話していると、サキはポツリ
と言いました。

「・・・あの頃、お母さんが厳しくてね。勉強のことでも、ピアノ
のことでも、何かとうるさく言うものだから、ちょっとお母さん
の関心をほかに向けてほしかったのよ・・・・

トモ子に悪いことしちゃったぁ・・・・・」















その日は、いつもより早かった。ラッシュアワーになる前の、
空疎な車両を西日が満たしている。

洋介が「自閉症」であることを告げられた朝 は、これと
逆行きの列車に乗って職場に向かい、車窓を過ぎる土地
をまるで初めて見るように眺めていた。

それが、同じ場所を通過する夕方は、遠い昔に見た風景
のようで悲しかった。

当時の僕は、国会議員が関与したある事件の取材で深夜
に帰宅することが多かったが、その日なぜ、明るいうちに
帰路についたのだろう。  

青葉台駅の改札を出ると、視界の隅から、小さな影が駆けて
くるのが見えた。洋介だった。

憂い一つない笑顔で、僕のおなかのあたりに飛び込んできた。
そのほんの数秒の映像が、なぜか脳裏に強く焼き付いていて、
思えばその瞬間、僕は洋介から一生分の何か重要なもの
を渡された気がする。

そうだ、その日、ただ無性に洋介と会いたくなって、職場を
早く出たのだった。

「いつまでも」は叶わない  

恥ずかしいけれど、その頃、号泣しながら目覚めた朝も
あった。どんなことがあっても、いつまでも、パパが守って
やるんだと言って抱きしめたのに、夢から覚めると目に
一滴の涙もついてなかった。

だがやがて、「いつまでも」は 叶かな わないと理解しな
ければならなかった。わが子より一日だけでも長く生きて
……と考えるのは責任感ゆえかもしれないが、子どもから
見たら親の身勝手な思い込みだろう。  

障害のある子どもがいる親が、共通して抱える「親亡き後」
の問題。わが家には、やや頼ってよさそうな次男と、
「私が面倒を見る」と言いきれる性格の長女がいる。

しかし、人生の負担にならないよう、次男には進学と同時に
一人暮らしをするよう促した。それが間違っているとは思わ
ないが、最近は「それだけではないのかな」と考えることもある。

過去の写真たちを改めて見直すと、次男と長女それぞれの
歴史に、洋介は決して小さな存在ではなかった。

「君たちに迷惑はかけない」というのは、余計なお世話でも
ある。  そしていつの間にか、僕ら夫婦も50代半ばになって
いる。

これから、公の福祉サービスで暮らせる態勢を作れたとしても、
弟妹は望む形でかかわればいいと思う。

グループホーム問題 

重要なのは「人」 将来的には(といってもあまり猶予はないが)、
洋介の「 終つい のすみか」をどうするのかが最大のテーマ
となる。

地域のグループホームには空きがなく、洋介が通所する法人
では、もう新設する余力がないという。めどが立たない中で、
大規模な施設に入所する子もいるが、どうしても遠方になる。  

保護者が資金を持ち寄ってグループホームを建てることも
構想されるが、実際に共同生活をするとなると入居者同士
の性別や相性も問題となって、思惑通りに住めるとは限らない。

それに、何より重要なのは、「誰に運営を頼めばいいのか」
「必要な人材は得られるのか」ということだ。最終的には
「人」の問題となる。

洋介のセーフティーネットは…  

先日、障害支援区分の再調査を3年ぶりに受けた
(結果は再び最重度の「6」だった)が、その場に、洋介の
相談支援専門員(サービス利用計画の作成などを行う)
になる人が、契約のためにやって来ていた。

洋介が小学校に入りたてから特別支援学校を卒業するまで
通っていた千葉県佐倉市の児童デイサービスと同じ法人に
勤務する人で、「来る前に同僚たちから、洋介君の話をたくさん
聞いてきました。写真も見せられたんですよ」とのことだった。

8年以上も前にかかわった洋介について多く語れる人が、
そこに何人もいてくれることが心強い。  

振り返れば、今でも声をかけてくれる小学校の同級生たち、
洋介のために保護者たちの前で泣いた先生、根気よく相手
をしてくれる歯科医院の人たちや理容師さん、小児科医なの
に今でも主治医でいてくれる近くの先生、脱走して迷い込み
勝手にアイスを食べているのを見守ってくれるコンビニの店長

……これは洋介の立派なセーフティーネットであり、彼が自ら
築いてきた「生きる力」ではないのか。親がすべきは、それを
生かせる「器」をこしらえることだ。 ・・・