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1.本庄宿ー新町宿
本庄宿を出て、約6kmの所で、「神流川」に至る。上州と武州の国境である。幕府は、江戸防衛のために、橋を架けさせなかったようです。
このあたりは、まさに戦略的な重要地で、「滝川一益」と「北条氏」が戦った古戦場の碑もありました。
2.新町宿-倉賀野宿
新町の名前の由来は中山道の中では最も遅く成立した新しい町ということらしい。神流川と烏川に挟まれている為、川留
めも多く、宿泊や休息で利用する人が増加し、遊女や飯盛女といった職業も成立していたようです。
3.倉賀野宿-高崎宿
倉賀野宿は江戸から12番目、新町宿-高崎宿の間の宿場町です。日光例幣使街道との分岐点で烏川を利用した利根川舟運の最大の拠点として発展し、本陣1箇所、脇本陣2箇所が設置され旅籠、宿屋関係は60余棟、舟問屋74軒、舟150余艘あったとされ飯盛女も多数働いていたそうです。
08/09中山道紀行-5(本庄宿~高崎宿)
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