まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

ダイヤは乱れているけれど

2024-11-08 | 考え方
いつもの時間に出たら、列車が10分遅れていると表示があった。
近畿圏内を走るJRでは、毎日何かしらの列車トラブルがあり、
遅れていたり、運休していたりしている。
学生時代や会社勤めをしている頃には、朝は少しでも寝たいからと
毎日遅刻ギリギリに起きて、朝食も食べずに出かけていたが、
定年退職後となった今日は、年齢のせいか早起きにもなり
朝食も食べても余裕をもって出かけられるようになったから焦ることはない。
結局、列車は10分の遅れがさらに5分遅れて乗車する駅に到着し、
下車する駅には、17分遅れて終点に到着した。
この駅では違う路線に乗り換えるのだが、こちらの路線も遅れていて
ほとんど待ち時間もなく、25分遅れの列車に乗り換えた。
トータルでは30分くらい乗車するのだが
最初に乗車する際に列車の到着が遅れた15分の遅れが
そのまま移行する形で、約15分遅れで目的地の最寄り駅に到着した。

帰りに乗車する際もダイヤはまだ乱れていたけれど
35分遅れで到着した電車に乗ると、
いつも降りる駅では、いつもの時間よりも3分の遅れで自宅の最寄り駅に着いた。

なかなか発車しない列車にイライラして運転士に相談に行く人もみられたが
イライラしても信号が変わらなければ出発できるはずもなく
運転士も指令センターからの指示を待つより仕方がない。
時間を持て余している私には、少々の遅れも生活のワンポイントと思われ
今日も書くブログのネタ作りに貢献してもらっている。

幸せホルモン

2024-10-30 | 考え方
ホストに貢ぎ続ける女性たちか後を絶たない。
立ちんぼうをしてまでもホストのために頑張る姿を見て思うのは、
自分の推しに貢ぎ、力になれるということは
脳内物質が分泌されて幸せホルモンが出ているのだろう。

一方の貢がれる側のホストは、金を取り立てて上納するだけだから幸せホルモンは出ない。
物理的にはお金をもらう方が幸せであるはずなのにそうではない。
宗教に1億円もお供えして家庭がむちゃくちゃになった話はよくニュースになったが、
あれもお供えした本人には幸せホルモンが分泌されるので1億円分の幸せが感じられるが
一気にお金がなくなり貧しくなったご家族の怒りは言うまでもない。
お供えをした人と、ご家族との温度差があるから不幸なのだろう。

例としては適当でないかもしれないが
彼氏のために毛糸のセーターを編むようなもので、その苦労こそが幸せなのだ。

その最たるものは子育てであり、自分はボロを着てでも子どもにはお金をかけたい
ということで、幸せホルモンが分泌される。
先日も鉄道の日のイベントに行くとベビーカーを押して来ている人も多かった。
小さな子ども用の乗務員の制服を着せてもらい撮影するブースがあり
親たちは必死になって子どもの姿を撮影しようと必死だが
肝心の子どもたちの中には訳が分からず、泣き叫んでいる子どももいた。
おそらく親たちには幸せホルモンが分泌されているのであろう。

   

今の時代、子どもがいるとお金がかかる。
彼女がいるとお金がかかると、自己中心的な考え方の人が増えていると耳にするけれど、
果たして自分のことだけにお金を使って幸せになれるのだろうか疑問である。

みんな自分のことで精一杯

2024-09-29 | 考え方
マンションの駐輪場に行くと、
私の自転車のハンドルが他人の自転車のハンドルとブレーキワイヤーの間に入っていて、
自転車を出せない。
どうやら私の駐輪している自転車の隣に無理矢理入れたため
自転車のハンドルとブレーキワイヤーの間に私の自転車のハンドルが刺さっている。
駐輪場は可動式なので、隣との間に隙間を開けてから入れればいいのに
これでは私の自転車が出せないだけでなく、自分のブレーキワイヤーも切れてしまう。
もっと自転車に感謝をして大切に扱えばいいのにと思う。



駅に着いたら、駐輪場の自転車が10台くらい転けていた。
風もあまり吹いていないので、これも自分の自転車を出そうとして動かした際に
両隣から先の自転車が将棋倒しになったまま放っていった感じである。
電車の発車時刻までは10分くらいあったので、改札口に入らず自転車置き場に戻って
転けていた自転車を起こしておいた。
その際、ブレーキ先のチョボがとなりのカゴに引っかかると取れない。
おそらくハンドルを持った時に手が滑り落ちないための工夫だろうが
街中の自転車にはふさわしくない。



そうこうしていると一人の女性がやってきて通路上に自転車を停めていった。
急いでいるのだろうと見過ごしたが、その後改札口に入り、
エレベーターに乗るとさっきの女性も後から乗り込んできた。
私は後方から乗る人を確認している最中に、すぐさまエレベーターを閉める。
何も急いでなければ通路に駐輪しなくてもいいのにと思い
「あんな場所に駐輪したら盲人には危険な行為になりますよ」
と声を掛けると、ホームの私と反対の方向へ歩いて行ったが
しばらくすると私の方へと歩いてきてベンチに座った。

別の日に地下鉄に乗り、次の駅で降りようとドア付近に立っていると、
席に座っていた小柄な女性が私と隣に立っている人との間に無理矢理入り込んできた。
相当急いでおられるのか? そうでなければ厚かましい人だなあと思いつつ、
「私も次で降りますから」と伝えたが、隣に立っていた人は降りることなく立ったまま。
最近は、降りもしないのにドア付近に立ち塞がっている人が増えたから
ああいう行動をとらないと電車からスムーズに降りることもできないんだと理解した。

また今日乗ったJRでは4人掛け向かい合わせの座席の通路側にだけ
座っている人たちを見た。
ふつうは斜めに2人座る場合はよく見られるが、ああいう座り方は初めて見た。
他の人に座らせたくない気持ちの表れだろうか?

どの人も自分のことで精一杯になっていて余裕がみられない。
社会の中の一員として生きているのに、自己中心的過ぎる人たちが目立つ。
なんとなく誰もが切羽詰まったようにも見える。
この社会はどうなってしまったのだろうか?
昔から人情の町大阪と言われてきた土地だけど、今は人に冷たい街になってきた。
大阪はもう「悲しい色」になってきたね。

口中調味(こうちゅうちょうみ)

2024-09-18 | 考え方
最近、「口中調味」という言葉を知った。口中丼とも呼ばれており
味噌汁を飲み込んだ後に、残っている味で白飯を食べるとか
おかずが口に残っている状態で白飯を口に入れる食べ方のことで
口内丼や口中調味は、日本の伝統的な食事様式だそうだ。

なぜこの話題になっているのかというと
海外ではコース料理のように一品ずつテーブルに出されるために
口内丼や口中調味と言われる食べ方の文化はなく
インバウンド客の増加により「気持ち悪い食べ方」とみられるようになっている。
またワンプレートにさまざまなおかずが盛られていることに
違和感を感じているインバウンド客も居ると聞く。

言われてみれば、口内丼や口中調味という食べ方は
ふつうにやっている。
焼肉を食べながら白飯を口に入れる時に
あらかじめ白飯の上にon the(オンザ)して食べることもあるが
タレの付いた焼肉を口に入れるとすぐに
白飯で追いかけながら食べている。これが正に口内丼である。
「これのどこが悪いんだ」という感じなのだが
日本の伝統的な食事様式だと聞いて2度驚かされた。

子どもの頃には学校の給食で「三角食べ」を勧められた記憶があるが
あの時には「味が混ざって美味しくない」と感じて
先生の言うことを聞かない子どもであったが
調べてみると、ご飯とおかずを交互に食べる
「稲妻食べ」というのもあるという。

日本には古来に定められた「禁じ箸」「嫌い箸」というものがあり
お行儀の悪い行為として教えられてきたが
横箸(箸を二本揃えて、スプーンのように食べ物を掬い上げる所作や箸を舐める所作)や
寄せ箸(遠くの食器を手元に引き寄せるために箸を使う所作)など
ついやってしまいがちな禁じ箸もある。

日本人は、つい海外文化に追従しようとする傾向にあるが
お箸を使って食べることをはじめ
日本文化を大切に重んじることも大切であり、
そんなに意識しなくてもいいように思っている。

令和の時代

2024-08-27 | 考え方
電車に乗ると、みんな耳にイヤホンやヘッドホンを付けて
スマホを開き、小型扇風機を顔に当てている。
今では当たり前の光景なのだがどうも私には滑稽に思ってしまう。
スマホを見ながら歩いたら危ないと言われて久しいが
最近ではけっこうな高齢者も、若者に習って歩きスマホをしている。
一昔前なら高齢者が若者を𠮟りつける場面も見られたが
今や逆転していて、高齢者が若くなったのかどうかは分からない。

最近はたまに昭和の時代の生活を放映するテレビ番組もあり、
令和の時代では考えられないようなことをしていた昭和時代の映像を見て
若者に「意味が解らん」とか言いながら批判されることもあるが
当時はそれこそが最先端であって、当時を生きてきた者としては
プライドを傷つけられるやら恥ずかしいやらさまざまなことを思う。

例えば飛行機でも電車でもタバコが吸えたし、
病院の待合室でもふつうに吸えた。
映画館でも吸えたし、職員室では先生も吸っていた。
タバコを吸いながら仕事をすることも当たり前だった。

車の運転にはシートベルトも必要なかったし
ノーヘル(ヘルメットなし)でバイクにも乗っていた。

携帯電話もないから街のあちらこちらに電話ボックスがあったし
テレホンカードがない時代には、10円玉をたくさん集めてきて
3分ごとに投入しながら長電話していた。

・・・と、書き始めたらどんどん思い出してくるけれど
当時がそれが当たり前であって疑う余地などなかったが
令和の時代に思うと、馬鹿馬鹿しいことも多い。

そう思うと、今じゃ当たり前になっている
スマホにイヤホンと小型扇風機を持つ姿も
20年くらいしたら笑いものの種になっているかもしれない。