まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

人混みを歩く

2025-02-18 | 受け止め方
最近「大阪人のほうが人混み歩くの上手い?
という記事を読んだ。
東京旅行で駅構内や路上でいきなりぶつかってくる
「ぶつかりおじさん」にたまたま遭遇したが
うまく除けられたという話である。

たしかに私たち世代が20代だった頃の
キタ(梅田周辺)やミナミ(難波周辺)の繁華街の人混みは
今よりもハンパなく多く、人々が縦横無尽に歩いていた。
その中を他人にぶつかることなく歩けることが
いつしか得意になっていた。
私たち世代が人にぶつからずに歩く能力を身に付けたのは
当時、他人にぶつかっていちゃもん(因縁)を付ける
人が横行したからであろう。
しかし今は違う。
スマホを見ながら歩く人が多くなり、
前を見ていない人が増えたと感じられる。

私なんかはスマホを見ながら歩かないので
60代になった今もうまく交わせる自信があるが
相手がスマホを見ながら歩いているので
相手の動きが読めないことも多く
ぶつかられることも最近は増えたと感じている。
逆に言えば、こんな人混みの中を
スマホ片手に歩いている怖いもの知らずの若者の方が
すごいと感じる時があるけれど
あんまり考えていないのであろう。

今回の記事を読むと、
投稿が寄せられたのが大阪府の60代女性と書いてあり
「やっぱりなあ」と感じた。
私と同世代ならスマホを持って歩かないし
人混みの中を歩いていて、わざとぶつかってくる
「ぶつかりおじさん」をうまく除けられたのも頷ける。
けれど大阪人ならうまく除けられるということではない。

希薄な人間関係

2025-01-20 | 受け止め方
家族代行サービスのトラブル問題をテレビでやっていた。
家族代行サービスというのは、入院や施設入所、緊急時連絡先の身元保証や
買物や病院付き添いの支援、死後の葬儀・納骨、遺品整理などを
代行してくれるサービスで、単身の方だけでなく
身寄りはあっても「子どもたちには迷惑を掛けたくない」という人も
利用されており、利用者も右肩上がりだが
このサービス事業を開くにあたり特別な資格も必要なく
調査監督する省庁もないため、追加料金が発生したり
知らないうちに遺言書を作られていて財産をと奪われたなどのトラブルや
解約しても一銭も戻らないなどのトラブルを紹介していた。

友人レンタルなどの代行業もある。
結婚式の参列者数を合わせるためにレンタル出席者をレンタルしたり
家族イベントの一員としておじいちゃんをレンタルしたり、
音楽イベントなどの観客動員するために利用できる。

単身の高齢者などそういうことを必要とする方々にとっては
本当にありがたいサービスなのだろう。
けれどもそれだけ人間関係が希薄になってきている表れでもある。

未だになくならないオレオレ詐欺や還付金詐欺
国際ロマンス詐欺なんてものも一人で悩むから被害に遭っている。
中には息子からの電話で詐欺に引っかかったけれど、
息子さんは2階にいたなんてニュースもあるくらいだ。

とにかくメールやLINEで簡単に済まそうとする傾向にある。
私の父なら、お金を出してもらいたかったら
直接実家まで来て、ちゃんと説明して頭を下げろと言われそうだが
親の方も優しくて友達が受け取りに来ても渡してしまうことが
犯罪を助長しているとも考えられる。

何でも簡素化にして便利なように思えるけれど
なにか大切なものが抜け落ちているような気がしてならない。

とある知人に「いいお正月だったか?」と尋ねると
「一緒や。普段と何も変わらない。」という言葉が返ってきた。
お正月というものは、わざわざお迎えしないとやってこない。
普段と同じ生活をしていては、いつもと同じように
太陽が昇り沈んでいくだけで、テレビ番組が正月バージョンになるくらいで
お正月をお迎えするために何日も前からお掃除をして
おせち料理を作り、年賀状を書き、鏡餅をお供えして
しめ縄を飾り付ける。そうやって普段と異なる準備をして
お正月をお迎えしないことにはお正月はやってこない。

おせち料理も作らず買う時代になったが、
なにもおせち料理が食べたい訳ではないと買うのもやめ、
年賀状も書くのもやめて、鏡餅もしめ縄もやめて・・・となれば、
盆も正月も決してめでたい行事ではなくなっていく。

年賀状終いする年代は、まだまだ若いからメールやLINEで十分に思えるけれど
配偶者も亡くなり、寂しいお正月になった時にこそ
年賀状のありがたさが感じてくるような気もしていく。
私はたとえ時代遅れになっても昔ながらの生き方にこだわっていきたいと思う。

参考:「家族代行」…高齢者サポート事業 カンテレニュース

震災30年(読まなくていいよ)

2025-01-19 | 受け止め方
1995年(平成7年)1月17日5時46分兵庫県の明石海峡を震源として、
マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。
私の住んでいた大阪市内でもかなり揺れ
住宅の壁のひび割れもまだタンスの裏に残っている。
(と言ってもすでに売却しており、今は住んでない)
当時はゴジラが暴れたかの如く、
神戸の街々は惨憺たる被災を受けたというのに
電車でたった30分の距離であるというのに
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車にもみくちゃにされて通勤しながら
この世の中はどうなっているのだろうか?
と感じていたのを覚えている。

私の周りでも有給休暇を利用してボランティアに行く人もあり、
自身も願い出たが、当時ずっと病欠をしていた同僚の分まで忙しく
土日を利用して一度だけ、神戸市職員だった友人宅を訪れたが
地域の方も含めてすでに住める状態になく、
家族も奥様の実家へ生活拠点を移動していたこともあって
後片付けを手伝い、残っていた食料品を持ち帰った。
当時は支援物資をどんどん現地に送られていく時期なのに
被災地から持ち帰ることにずごく背徳感を感じたが
避難所に一人分くらい寄贈しても迷惑になることを理解していたのだろう。

職場にはとあるビル解体のために、
大阪のあいりん地区まで人夫集めに来た人が週末に遊びに来ていた。
彼の話ではすでに立入禁止になっているそのビルに入ると
社員の引き出しやロッカーの物がそのまま残っており
女性の着替えや小銭もたくさん残っていて取り放題とニコニコしながら
その会社がお客様に配るためのライターを何個も持ってきた。
土日を挟んで月曜日から仕事だと言っていたが
日曜日の夜に再びそこそこの余震があり、
月曜日には集めていた人夫たちが一斉に逃げてしまい
誰も集まらず困り果てて泣きついてきた。
しかしどうすることもできず、あれから彼の姿は見ていない。

大震災から30年を前に東灘区まで用事があって出かけた。
当時の遺物となったものも残っているのかもしれないが
住民じゃない自身から見える景色は、都会の姿でしかなく
すでに街は復興を果たしていたが
昨日(1月17日)は朝から晩まで震災当時の映像が流れ
インタビューされている人たちの心の傷は癒えていない。
その映像を見ている私は、さまざまな忘れていたことを思い出されて
自分は神戸の人たちのような被災者ではないというのに
自分の胸の奥が何とも言えない気持ちの悪い気分になってきた。
大阪に居た私がそう思うくらいだから
被災者の方々にはどう見えていたのだろうか?
そう思うと、追悼するのは大切だけど
平気に流される映像には心が詰まる。

当時を追悼するためにもブロガーとしては
思い出として書いておかなければならないと思って書いてみたが
こんな文章でも読み返して気分を害する方もおられるかもしれないので
題名に(読まなくていいよ)と付け加えたけれど
逆効果だったかもしれない。

関西空港に向かう女

2025-01-18 | 受け止め方
JR大阪環状線関空紀州路快速に乗っていた時のこと。
京橋駅からスーツケースとリュックを持った女性が乗り込んできた。
乗車するなり「この電車は関空に行きますか?」と聞いて回っている。
座った前の座席の女性客から「たぶん関空に行くと思いますよ」と言われて
少し話し込んでいる最中に、車内放送で「この列車は関空紀州路快速」と
伝えているが聞いていない。
その矢先にスーツケースを固定していなかったため、車内を転がって行った。
受け止めてくれた別の乗客から声を掛けられて気が付き、取りに行った。
さらにはスマホに夢中の学生さんにも関空行きかどうかを聞いて回っている。
突然声を掛けられた学生さんも困り顔。
その女性は、4人がけの席が空いたので移っていかれ、
スーツケースやリュックを隣の席に置いたけれど、次の駅は大阪駅。
どっと大勢の客が乗ってくることを思えば、
元の席の方がゆっくり座れるのになあと思って見ていた。
私は先に降りたけれど、社会性のない迷惑な人だなと感じられた。

年賀状

2025-01-15 | 受け止め方
今年の年賀状は、友人、親族など合わせて190枚購入し、
そのうちの136枚が私の知人・友人に送った。
そのうち100枚(元日に50枚、LINE・TELを含む)が届いている。
このほか住所不明で返送が2枚と
昨年までに送らないと聞いている5通を合わせた計107枚とすると
返信率78.7%となる。(1月16日到着分まで)
これがいいのか悪いのかは分からないが
これまで毎年届いていた人から来ないと心配になってくる。
御病気でもされていないだろうか?

郵便代も高くなったし、年賀状をやめる気持ちも理解はできるが
その代わりにどうするのか?が大切になってくる。
本来なら菓子折りを持ってお正月に挨拶回りをするところを
年賀状1枚で簡素化している。
言い換えれば1人当たり85円の交際費までケチらなければ
生活が出来ないというなら仕方がない。
結局は今までの付き合いのあった人を断捨離するか否かも判断であれば
断捨離された側としては悲しくてやってられない。
中には高齢になって送れなくなったと仰る先輩方もあるが
今はお金を出せば代行してくれる会社もあり、
要はその人の価値観の問題だと思える。

「もう出せません」と年賀状ではなく口頭で言って下さった方々には
返信がないのを承知で送付している。
それはお世話になった方々への感謝の気持ちとして送るとともに
年に一度その方を思い出す機会にもなっている。
さらに年賀状のやり取りがあれば、訃報の連絡ももらえるからだ。
相手が生きてか死んでるかも分からないような気薄な付き合いはしたくない。

会社でさえ、この会社が自分の未来の為にならないと思えば
簡単に辞めて転職する人もいる時代だから
今後、この人との付き合いは必要ないと断捨離する人もいるが
人間関係というのはそんな希薄な関係でいいのであろうか?
例えば学生時代の友人や先輩後輩。
同じ部署で働いていたが異動していった人。
かつて同じ趣味に没頭していた仲間。
もう同窓会も無ければ久しぶりに会うこともない人たち。

年に一度の手間までも惜しむような付き合いはしたくない。
いつまでもその人への感謝の気持ちを持って
来年もまた送りたいと思う。

参考:【悲報】年賀状、35%値上げしたところ34%減ってしまう