まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

時代錯誤③

2024-07-31 | 反省
現代の若者のことをZ世代と呼ばれる。
諸説はあるようだけど
1965年〜1974年生まれを「X世代」と名付けたことからスタートして、
1975〜1990年代前半生まれが「Y世代」、
そして1990年代後半〜2015年生まれを「Z世代」と呼び
それ以降は「α世代」と呼ぶそうです。
それぞれに育ってきた時期によって価値観が異なると言われています。

単純に考えてもX世代以前の私で言えば、生まれ育った頃には
身近にはコンピューターはほとんどなく、テレビの中だけの世界だったが
次第にパソコンを買える時代となり、
私の初パソコンは就職1年目のボーナスで、FM-77だった。
当時は最新型で3.5インチフロッピーディスクドライブが2つ標準装備だった。
Windowsはまだ無く、BASICのみだったなんて「Z世代」に通じる訳がない。
テレビゲームもアーケードゲームが主流で、
単純なテニスやブロック崩しが出来るテレビゲームが自宅で出来たのに感動したが
「Z世代」にしてみれば石器時代の話をされているようなものである。

このように考えてみると、私たちは同じ社会をずっと生きてきたから
「Y世代」も「Z世代」も同じ価値観でいるものと勘違いしたまま
暮らしてきたが、思い返せばそれぞれの年代で価値観は異るものだ。
例えば私たちは高度経済成長期の戦後の復興が進み
誰もが幸せを感じるような時代に生まれ育ったが
私たちの上の世代は団塊の世代と言われたベビーブームに生まれ
つねに競争社会の中を生き抜いて来られた。
それだけに根性論を私たち世代に押し付けられてきたし、
その上の戦前、戦中生まれの方々からは
戦争体験を話されて、私たち世代がいかに恵まれているかを聞かされてきた。
そのことから考えてみても、昭和、平成、令和へと激動の時代の中で
最も変化してきたことは、アナログ社会からデジタル社会に変化し
目まぐるしくどんどん進化してきた。

生まれて初めて自宅のパソコンからインターネット接続した時には
ゲームを楽しみながらチャットでボロクソに罵られ腹を立てたのを覚えている。
顔が見えないということは、この口の悪い相手は必ずしも年長者とは限らず
近所のガキんちょかと思うとアホらしくなってきて
こんなストレスを溜めてまでする必要はないと辞めてしまったことがある。

前述したようにコンピューターが身近になかった時代から知っている
私たち世代と、生まれる前からネット社会が構築されていた世代では
当然価値観が異ることなど少し考えれば分かることだったと反省している。

時代錯誤②

2024-07-30 | 反省
『カズレーザーと学ぶ。』7/16「大ハラスメント時代の生き抜き方」の中で
私たちが昭和、平成、令和へと時代が進むとともに
パーソナルスペースの歪みを説明された。



昭和の時代には同じ価値観のもと、みんなが同じ思考で
距離感が近かったけれど、
令和の今日では価値観が多様化し、それぞれのやり方で目標を目指す
というように考え方が変わってきた。
たしか平成に入った頃だったか私の同期入社の友人が
同僚らに呼び掛けてスポーツをしたり飲みに行くなどの
企画を考えて同僚らの意識をまとめようと努力していたことがある。
私たちの世代ならすぐに集まっていたものが
なかなか集まらず、相談されたのを思い出す。
思えばその頃から時代は少しずつ変わってきていたのだろう。
会社主催の飲み会にも参加しない若者が増え、
世代の差を感じるようになっていた。
終身雇用制の会社ではあったが、ある程度仕事を覚えて
幹部候補生になれば辞めて転職していくような若者もその頃から増えた。

『ウルトラセブン』第47話「あなたはだぁれ?」に登場したフック星人を
思い出した。
侵略計画を進めるため、ふくろう団地の地下に偽の団地を建造し、
夜になると偽の団地と地上の本物の団地と丸ごと入れ替える。
深夜になってから団地に帰ってきた男性サラリーマン(小林昭二)が
自分の家も隣の家にも知らない人が住んでいることに気付き
ウルトラ警備隊による調査を経て計画が明るみに出る。

このように私たちの知らないうちに世の中が変わっていることに
これで少しずつ分かり始めた。
(分かりにくい比喩でごめんなさい)

時代錯誤①

2024-07-29 | 反省
私が「Z世代」に関心を持ち始めたのは最近のこと。
それまでも単語としては知っていたが、
若者のことを十把一からげにした言葉くらいにしか思っていなかったが
意識をし始めたのは、カスハラ(カスタマーハラスメント)問題からである。
カスハラとは、 顧客が企業に対して理不尽なクレーム・言動を意味する。



『カズレーザーと学ぶ。』7/16「大ハラスメント時代の生き抜き方」の中で
カスハラの加害者の75%以上が50代~70代に集中している。
中でも私の年代である60代が最も多いことを知り、
自身も気付かないままにどこかでカスハラの加害者になってはいないか?
という不安に襲われるようになった。
番組の中で「カスハラの加害者」になる要因として
「おもてなし文化」があるという説明だったが
私がお世話になっている人の最近の鉄板ネタに
三波春夫さんの「お客様は神様です」という話について
“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで
買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。
お客様は神様でしょ?」という風になり、
クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。
店員さん側は「お客様は神様です」、って言うからって、お客は何をしたって良い

という訳ではありません。
むしろ客の方も店員様は神様ですという気持ちで接することが大切で
私が子どもの頃には、店で買物をして帰る時には
「ありがとう」と言って帰っていたのを思い出す。
このように私たちは東京オリンピック誘致の際に話題になった
おもてなし文化をどこか間違えて捉えてきたように反省している。

田中のおばちゃん

2024-07-28 | 感謝
昨日のブログで、人のいい妻の話を書いたが
そういう人がもう一人知っている。
それが「田中のおばちゃん」という人で、
近所では有名なおばちゃんであった。
おばちゃんはいつも買い物かごを持って買い物に行くんだけれど
道で私や妹、従兄、近所の子どもなど知った子どもに会うと
買い物かごの中から何かをくれる。

おばちゃんの家の前で買物から帰ってきたおばちゃんに会っても
いつも買い物かごから何かをくれるので、
妹なんかは、おばちゃんはそれが必要だから買ってきたのに
それをもらうのは追い剥ぎに遭うようなものだと
よく拒んでいたが、それでもおばちゃんは何かくれる。

商店街でおばちゃんと出会った時も買い物かごから何かくれるのだが
まだ何も買っていない時に出会うと、何かを買ってきて
わざわざ追いかけてきて何かをくれる。

用事があっておばちゃんの家に行くと
「ちょっと待ちや」と言って家の中を探して何かくれる。
私も子どもの頃は嬉しかったが、年齢が上がるにつれて
そんなに無理にもらわなくてもいいと拒んだり
待たずに黙って帰ったこともあるけれど、
そんな時はおばちゃんは我が家にまで来て、なにか置いて帰る。

おばちゃんがくれる物は、お菓子やお惣菜などがほとんどで
ソーセージやかまぼこなんかも多かった。
おばちゃんとこの子どもが小さい時に遊んだようなものももらった。

またおばちゃんは、人からもらったと言って半分おすそ分けにくれた。
そんな時、ふつうなら「つまらないものですが・・・」というところを
「これ、美味しいでえ」と言って持ってくる。
自分が頂いた喜びを他の人にも分けることで、喜びを分かち合う
これこそが究極のボランティア活動と理解した。
しかもせっかくもらったものを「つまらない」というよりも
「美味しいでえ」という方が作った人にももらった人にも失礼にならない。

そんなおばちゃんも昨年亡くなられた。
亡くなる直前に妹が病院へ面会に行くと
「ミカンが足元にあるから持って帰り」と言われたけれどミカンはなく
それでも「おばちゃん、ありがとう。もらって帰るね。」と別れたのが
最後の会話だったという。

人がいい

2024-07-27 | 感想
私の妻は人がいい。お人好しというのか、お節介焼きというのか?
それは今に始まった話ではない。新婚時代からおかしいなあと思っていた。
妻がよく着ていたすごく似合ってた服を最近着なくなったなあと思っていると
偶然なのか義姉が着ていたことがあった。
不思議に思っていると、義姉の着ている服はどれも見慣れた服である。
それから妻が自分の着ていた服を渡していたことが判明した。
私と結婚する前からやってきたことなのだろう。
私としては義姉さんにあげることは別に構わないけれど、
あの服だけは着続けてほしかったなあというのは何着かあった。

最近では近くの喫茶店で掃除機が潰れたという話を聞いて、
「我が家にある掃除機を持って行ってあげようかと思う」と相談された。
友人とはいえ他人の商売用の掃除機をどうして家から寄付してやるんだ?
「お前は人がよすぎる」と意見すると、
しばらくして、納得したから断ってきたと告げられた。

部屋を片付けていたらオリックスバファローズの応援タオルが出てきたので
妻がオリックスファンの私の後輩に
「タオルいりませんか?」と写真入りのDMを送ったが返信がなく、
結局、頼まれもしないのにたくさん切手を貼って送付していた。

すべては妻の善意の賜物であり、そこには何ら企みもない。
その姿を見た私は、それが妻の良いところであり、
いい人すぎる人であることを素直に認め、
自身が最もその恩恵を受けていることに感謝して
喫茶店に掃除機を持って行ってあげるよう促した。
しばらくは、「もう断ったことだから」と拒んでいたが、結局持って行った。
ホンマに人の良すぎる妻である。