まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

豚まん

2024-06-30 | 反省
駅公共施設のトイレに入って用を足しながら
昨日アップした「お腹が弱い」の原稿を書いていた時に
隣の個室から懐かしい声が聞こえてきた。
個室の中でなにか独り言を言いながら用を足しているのだが
現役時代に仕事で担当していた
豚まんが好きだった彼の声にそっくりなのだ。

彼にはちゃんとした名前があるが、
全体的にぽっちゃりとした体つきで、豚まんみたいな顔をされていた。
私が「豚まんみたいな顔をして」と言うと
「ああ俺のこと、豚まんって言うたな。」と言い返すので、
「誰があなたの顔を豚まんと思てるねん?」
「自分で豚まんみたいと思ってるから、
 自分のことを言われたと思ったんじゃないんか?」とごまかして
何度も二人で笑ったことが懐かしい。

彼は買い物が好きで、スーパーへ行くといっぱい買い過ぎて
ヘルパーさんから叱られている。
それでも運動は大切ということで、
スーパーまでヘルパーさんと歩いていくのだが、
買物はさせてもらえず、外で待たされるのを聞いて
「それはイヌと同じ扱い」という話でもよく一緒に笑ったし、
ヘルパーさんに内緒で頼まれて、豚まんを買ってきてあげた。

最終的には不幸にして病気で亡くなられたが身寄りもなく、
デイサービスの職員さんも誘ったが葬儀に来てもらえず、
家で蒸してきた豚まんを棺桶に入れて手を合わせてお別れをした。
まさか亡くなった彼が隣の個室に入るとは考えにくく、
どうせ似た声の方だとわかるけれど、
彼が遊びに来てくれた気持ちになった。
また会えてありがとう。ご冥福をお祈りしています。

お腹が弱い

2024-06-29 | 反省
恥ずかしい話だが私は子どもの頃からお腹が弱く、
何度も失敗してきた。
特にミカンが大好きなのだが、ミカンが私の身体に合わないようで
必ず腹を下してしまう。
ミカンの中の薄皮のまま食べる人もあるが、
私の場合薄皮を除いても無理で、そこは我慢するしかない。

また朝、出かける時には必ず催してくるのだが
いくらトイレに座っていても一向に出てこない。
そのために毎日遅刻することになり、
中学生の時にクラスメイト全員からの年賀状に
「遅刻をしないように」と書かれたこともある。

おそらくは外出中に失敗したことがトラウマに
なっているのであろう。
それは定年退職するまでずっと続いたが、
最近は持病の薬の副作用で便が固くなり、便秘傾向にある。
それ自体はありがたいことではあるが、固すぎるのも考え物で
排便を促す薬の服用により3ヶ月に一度くらいは失敗してしまい、
妻と遊びに行った先で突然のゲームオーバーを宣告されて
妻にも嫌な思いをさせている。

それでもあんまり出ない時には、お腹が苦しい時もあり、
失敗してもいいから出てほしい時も思う時もあるくらいだ。
前に録画していたビデオを見ていたら、失敗したことが話題になっていた。


ウンコ漏らしたことあるを年収別に調査!悲しむ必要はない?より引用

この表を見ると、これまでの失敗がむしろ誇れるのが凄い。
定年退職後の現在は無収入となってしまったが、
現役時代の年収から考えれば、納得のいく数字が叩き出されている。
昔から女性に比べて男性の腸は短く、お腹を壊しやすいと言われてきたが
男性の方がアルコールや冷たい飲み物、脂っこい食べ物を多く食べるので
消化不良を起こしやすく、男性はなんと約3割が下痢に悩まされているそう
だ。

そういう今も公共施設のトイレに入って用を足しながら、
原稿の下書きを書いている。

運がいい時

2024-06-28 | 感謝
電車に乗ろうと改札口を入り、エレベーターの前に来た時
偶然なんだけど、ちょうどのタイミングで
エレベーターが下りてきて扉が開いた。
そんなことがあると、今日は何かいいことがありそうな気がする。
誰かが降りる時に1階ボタンを押しておいてくれたのだろう。

私も、いつも自分がエレベーターに乗った時に
後から来る人に便利なように、
1階ボタンを押して降りるようにしているが
私のおかげで、幸せな気分に思わせていたことを知って
改めて自身がいつもやっていることの意義を感じるところとなった。

そういうラッキーな境遇に出会うと
「今日は運がいい」という気持ちになって気分が良くなるが
偶然という名の下で誰かに助けてもらっているようなものなのだろう。
すべて自分の力で生み出したように思っていても
見えない誰かに御礼を言わねばならないと感じる。
そういう時は私は、
神仏を頭に思い浮かべて御礼を伝えるようにしている。

自力本願と他力本願

2024-06-27 | 考え方
自力本願と他力本願という言葉があります。
他力本願というのは一般的には阿弥陀如来様に身を委ねることを意味し、
宗派を越えた話で言えば神仏に身を委ねる信心と考えます。
一方、自力本願という言葉は他力本願に対する造語という説もありますが
自ら生み出すこと、つまりは悟りを開くことを意味すると考えられます。
信心をするうえで神仏に身を委ねることはもちろん大切なことだが、
それだけではなく自ら練りだすことが大切だと思っている。

定年退職後、日々の生活中でいろいろと考えてきたことの大半は、
自力本願か他力本願かで整理がつくように思われる。
以前NHKで放送された高知県出身の植物学者牧野富太郎氏の人生を
モデルとした『らんまん』では、
「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」
植物図鑑を作っていたように
一見ではただの雑草にしか見えない草草でも、意識をもって
見るべき人から見れば、植物園のようにさまざまな植物が咲き誇っている。
同じように普段何気なく乗車している電車でもそれぞれに形式があり、
私たち鉄道ファンにとっては宝の山でもある。

そう考えれば、わざわざ高い入場料を支払ってユニバーサルスタジオや
東京ディズニーランドやディズニーシーまで足を運ばなくても
いくらでも楽しめることはあるのだが、
ああいう箱ものがなければ楽しむことが出来ない人たちがいる。
同じように公営ギャンブルや麻雀などお金を掛けなければ楽しめない人もいる。
さらに言えば、電車に乗ればパカッとワンカップを開けるように開くスマホ。
もう既にスマホなしでは時間を潰せず、
スマホなしでは人との交流さえも出来なくなってきている。

最近はAIを搭載したマッチングアプリがあるそうで
出会いがない人たちによく利用されている。
しかし私は「出会いがない」という人が知れない。
千日回峰行でもして山の中にこもっているのであればそうかもしれないが
日々生活していれば、他人に会わないことはない。
私の場合、手話サークルをはじめさまざまなグループに属しており
常に新しい人との出会いが尽きることがない。
毎日家族以外の誰かと会話し、その人を通じて新しい人とも出会う。
もっとも今の時代だから、一日中ネットを介してでしか他人との接点もなければ
リアルに人と会話もしない人であれば、
マッチングアプリを通じて知り合ってもざっくばらんに話が出来るのか分からない。

つまりは自力本願でリア充出来ている人たちと
他力本願で、何か具体的な媒体に遊んでもらわなければ
遊ぶことさえもパートナーを探すことも幸せを見つけることも
出来ない人たちがいる。
そういう人たちは既にアルコール依存症、薬物依存、ギャンブル依存へと
何事にも依存させられる傾向にある。
これからもっともっとAIが充実していけば
職を奪われるだけに終わらず、自身の価値さえも奪われていくかもしれない。
どうせならAIの開発に携わって、AIを利用してAIに稼がせる側でありたい。

リア充

2024-06-26 | 考え方
「リア充」という言葉をあまり目にしなくなった。
まだ現存しているのかどうかもあやしく、
若者からは老害とバカにされそうな古い言葉だが
むしろ新鮮に思われるかもしれない。

日々こうやってブログを書き続けている人間だが
どうもネット社会とは親しくは成れない。
いまだにネットバンクも信用できないし、
ネットでの売買もあまり好きにはなれない。

そんな中マッチングアプリが流行しているという話をよく耳にする。
実際、マッチングアプリで結婚し子どもも生まれて
幸せな家族も知っているし、
マッチングアプリと言われる前の出会い系サイトで知り合って
結婚したがうまくいかなかった元夫婦も知っている。
最近ではAI搭載のマッチングアプリがあり、
あらかじめ趣味などを入れておくことでAIが判断して
自分にピッタリのパートナーを捜してくれるという。

私だったら「鉄道ファン」と入れておくと
鉄女の女性を紹介してくれるのかもしれないけれど
あんまり詳しい人が来ても困るし、
逆に「鉄道マニア」と聞いてドン引きされても困る。
今でこそ妻も私の影響を受けて鉄道ファンになり
私以上に鉄道写真を撮影してはインスタグラムに投稿しているが
元は鉄道にも旅行にもそれほど興味がなかった。

夜空をボーっと見ている時に星座の詳しい人が居れば
だんだんと星座を好きになっていくように
野球に興味がなくても、詳しい人に教わって選手名を覚えていくと
いつのまにか阪神ファンになっていくように
外側から見える世界と内側から見える世界には乖離(かいり)があり
まったく興味のないことでも人に影響を受けて
好みが変わることがある。
ラグビーに無縁だったのに結婚相手に感化されて
ラグビーファンになった女性を知っている。

私なら直接会って話をした感覚で相手を判断し、
お友だちになりたい性格であり
知らない人を紹介されるくらい不安なことはない。
つまりは機械や知らない他人を信用していないことでもある。
まあそういう信用できる人がいるから
息子を名乗る人からの電話を信用してオレオレ詐欺の被害に遭うのだろう。
私なら、息子がそんな大事な話を電話で済ませようなら
自宅に呼びつけて一喝してからの話になるだろう。