まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

突然の旅行⑩

2025-02-15 | 旅行記


金山寺味噌のお店「太田久助吟製」に入る。
店内に入っただけで金山寺味噌の美味しそうな香りがする。
少し具の混じった金山寺味噌を購入した。
店を出る際に「醤油蔵はどこですか?」と尋ねると
「ウチから4軒先にあります」と言われて歩き進むが
大阪と違って一軒一軒の間口が広くて、行っても行っても到着しない。
もう何軒を通り過ぎたのか分からなくなった頃に
「長角」の看板のあるお店があった。
正しくは、右から「角長」と読むらしい。
醤油の発祥地である湯浅にて天保12年創業。
昔ながらの製法をそのままに受け継いで手作り醤油を作り続けておられる。



御主人よりその製法について説明を受ける。
専門的なことは分からないが「ホンマモンは買っておくべき」と考えて
湯浅手づくり醤油 300cc入を購入した。
湯浅醤油角長の店舗の向いに角長醤油資料館職人蔵があり
自由に見学が出来るので立ち寄った。

    

足踏み小麦ひき割機や締木(しめ木)、醤油かすり、仕込み桶など
慶応2年(1866年)岡屋彌三右衛門建築の仕込み蔵で
住時の醤油道具を陳列し、古き蔵人たちの労苦を偲び
彼等の秀れた知恵の結晶を保存している。
おそらくかなり前に使われていたと思われる道具が展示されている。
さらに隣には新築された醬油資料館があったのだが
気付くことなく帰宅の途に就く。

   

夜中に突然思いついて急きょ計画を立てた1泊2日の旅は、
帰りも妻の要望で、湯浅駅から天王寺駅まで贅沢な
特急くろしお18号で13時33分に天王寺駅に着いた。

 

今回の目的であった妻の慰安にはピッタリな企画となった。
帰宅してからも妻は、力が入り過ぎないように心掛けながら
無理をせず生活している。
介護が必要だった父も老人ホームに入居して
直接的な介護はお任せできるようになっている。
私自身は当時より体調は悪化していて
妻に頼る比率も増えてきたが、この旅行のおかげで
仲睦まじい関係は変わらない。
旅行好きの夫婦は、こんなもんで終わりはしない。
私の体調や妻の都合を考えながら、また計画するぞ!
と意気込んでいる。

突然の旅行⑨

2025-02-14 | 旅行記
立石道標からは熊野古道を通って深専寺(じんせんじ)の前を通る。
深専寺は、奈良時代には行基の開祖による海雲院という寺院として創建されたが
南北朝時代、1462年(寛正3年)または1431年(永享3年)頃に荒廃していた海雲院を
明秀上人が、浄土宗西山派の教えを持って「深専寺」と改称し再興した。
また承応年間(1652年 – 1654年)の「湯浅の大火」によって深専寺は全焼し
寛文3年(1663年)より浄財公募による再建の際、紀州藩徳川頼宣より財政支援を受けた。
平成10年(1998年)本堂が和歌山県指定有形文化財に指定されている。

  

深専寺を過ぎて次の筋を曲がった辺りから湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区が始まる。
鍛冶屋町通りを北上するが、再び私の歩く速度が増してくる。
気が付けば後方を歩く妻の姿が見えなくなってきている。
しかし待ってやる余裕はなく、とりあえず旧栖原家住宅に入る。
毎回危機的状況にまで陥っていながら寸前のところでセーフとなっている。
トイレから出ると、ちゃんと妻も来てくれていた。

    

トイレから出て庭などを撮影していると
旧栖原家住宅の職員さんから、無料なので館内の見学を勧められたが
私たち夫婦は歴史的なことが大嫌いなので、遠慮して道を進む。
醬油蔵は「この先を左に曲がればある」と説明を受けたので
旧岡正住宅のところを左折する。
この岡正住宅にもトイレがあることをチェックしていたが通過した。
北町通りを西へ進むと、古くからの店舗が立ち並んでいる。

   

道端には有田ミカンが無人販売されている。
今年はミカンも高いけれど、ここでは100円で何個も入っている。
店によってミカンの数も価格も異なるが300円までと安い。
気が付けば、妻は30個くらい購入していて驚いた。
いくら安くても私はミカンを食べると腸に弱いので食べない。
30個は妻だけで食べるには多すぎるとしか思えない。
しかし買い物をする妻が元気なのでありがたい。

突然の旅行⑧

2025-02-13 | 旅行記
約20分で湯浅駅に着いた。
御坊駅~湯浅駅間は、4駅だが駅と駅の距離が長く
普通列車に乗車しているのに、大阪市内の快速電車より止まらない。
駅前には湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区方面への案内表示もあり
地図の見ながら、おちゃと公園の前を通っていく。
「おちゃと」って変わったネーミングだけど本当は御茶殿と書くらしい。



もう少し進むと、味の屋醸造丸新というお店が見えてきた。
おとな旅あるき旅鶴瓶の家族に乾杯で放送されたと張り紙のある店だ。 
金山寺味噌が美味しそうだったが、
まだまだ湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区にまで至らない。
店員さんの姿も見えないし、まだ湯浅の町の入口なので入店はしなかった。

   

だんだんと私の足取りが速くなってきた。
きのくに中津荘を出発前にトイレに行き、御坊駅でもトイレに行ったのに
湯浅駅から歩いているうちにまた行きたくなってきた。
湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区に早く行きたいのではなく
先ずは、トイレマークのある立石茶屋に飛び込んだ。
有名なのは、その向いにある立石道標(みちしるべ)である。
熊野古道沿いに天保9年(1838年)に建てられた2.35メートルの大きな石の道標で
四角い石の面には、東西南北の方角と「きみゐでら(紀三井寺)」「すぐ熊野道」
「いせかうや(伊勢高野)」などと巡拝地名が記されており、
各地へ巡礼をおこなう人々の道しるべとなっていたそうです。
次の写真は、ふつうの町の風景にしか見えないがこれでも熊野古道なんです。

    

突然の旅行⑦

2025-02-12 | 旅行記
昨日からお世話になった「きのくに中津荘」でチェックアウトを済ませると
送迎車が待っていて下さった。
昨日から一歩も外出していなかったため、
せめて外観だけでも撮影しておこうと、荷物を車に積んで車から降りると
従業員総出で見送りに出てこられた。
事情を説明して館内に入って頂いて撮影したが
今度は送迎車が邪魔になって玄関部分しか撮影できなかった。
しかも撮影者(自分)が映り込んでいるため加工している。



送迎車は行きに比べて早く御坊駅に到着した。
妻は「下り道だったからかな?」と言うが、私は寝ていたので分からない。
このまままっすぐ帰るには時間が早すぎるので、
ここから紀州鉄道に乗車して終点の西御坊駅まで行き、
醤油蔵・味噌蔵のある「堀河屋野村」を見学する予定である。
この紀州鉄道は、かつて日本一保有する路線が短かったので
「日本一のミニ鉄道」と称していたが
2002年10月にその座を千葉県の芝山鉄道に明け渡した。
それでも定義によっては、紀州鉄道線がなお日本一短いとみなす余地もあり、
御坊市の公式サイト内では「日本一短いローカル私鉄」と紹介されている。
御坊駅10時5分発西御坊駅行きに乗車しようと
駅前のお土産屋さんに立ち寄ったり、トイレに行ったりして
時間を潰していると、構内放送が入り驚かされた。
『学門駅~紀伊御坊駅間で線路工事を行うため
本日から29日まで午前9時30分から午後4時までの間、運休いたします。』

私は思わず耳を疑い、次の放送が入るまで待ってみた。
やはり今から西御坊駅まで紀州鉄道に乗車することは出来ず、
完全に予定が狂ってしまった。
仕方がないので醬油蔵で有名な湯浅駅まで戻って見学することにして
乗車券は天王寺駅まで(湯浅駅は途中下車)購入した。

突然の旅行⑥

2025-02-11 | 旅行記
翌朝は6時半になるのを待って温泉に行く。
一番風呂を十二分に楽しんだが
男湯も女湯も私たち夫婦以外に入浴する人はいなかった。
ここの温泉は本当にいい。肌への刺激もなく、よく温まる。
こういう名湯ほど人気がない。
しかもインバウンドの外国人の姿が1人もいないのがありがたい。
別に外国人が嫌いな訳ではないが、
文化の異なる人や価値観の異なる人とはゆっくり出来ないからだ。
日本文化に精通した人なら別に問題はない。
国内にはまだまだいい所がたくさんあるので、外国にまで足を伸ばそうとは思わない。
というよりは、高所恐怖症があるので飛行機に乗ろうとは思わない。
そもそもあんな鉄の塊が空を飛ぶこと自体が理解が出来ない。
そんな私でも修学旅行で行った沖縄と
ボーイスカウトの海外派遣で訪れたロサンゼルス、ソルトレイクシティと
給油の為に降りたハワイの地を踏んでいるが
航空機未経験の妻には申し訳ない気持ちがあり、
いつか乗せてやりたいと思っているが、私に乗る勇気が出ないでいる。

   

昨夜の夕食の量が丁度よかったのか、適度にお腹が空いてきている。
朝食が楽しみになってきた。ダイニングルームに行くといい香りがしている。
食事中、テレビでは長居公園でのロケが放送されていた。
大阪と同じテレビ番組なので、いつもの朝の雰囲気のように落ち着く。
すると妻の知っている方がたまたまインタビューを受けていた。
妻は早速ラインでメッセージを送っていたが、
相当前に収録されたロケだったことを知る。

   

食後1時間で送迎車の出発時間だ。それまでに後片付けをする。
思えば昨日、御坊駅から送迎車で送ってもらってから今日まで
温泉と食事とテレビと柿の種くらしかしておらず
この宿泊施設の周辺にはどんな景色があったのかも知らないまま
もう帰る運びとなる。
一般の観光客ならそんなものなのかもしれないが
旅好きの私たちにとっては初めての旅行スタイルで
私の気持ちだけが付いていけていない。
ただ、今回も目的であった妻の慰安については大成功で
ここへ来た時の妻の顔が明らかに一変している。
それで納得をしながら送迎車に乗り込んだ。