まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

訪問者数にびっくり!

2024-09-09 | 感謝
読者の皆様が当ブログをどうやって見つけられたのかは分からないが
ブロガーの私としては、自分の思いついたことを書いているだけなので
正直5人でも10人でも構わないのだが、
たまにビックリするような人数を叩き出すことがある。
最近では、9月5日にアップした舞鶴港とれとれセンター⑤
310名(3821位)もの閲覧数があった。
いったい何が起こったんだろうか?と不安になった。

私はかつて10年以上も前に別のブログで炎上したことがある。
立ち上げた初日から50人を超え、次第に訪問者も増えて
1000人を超える日もあったが
毎日平均300人以上に閲覧されて調子に乗っていた頃に
炎上してしまい、多くの人たちにご迷惑を掛けてしまった。
自身も心に傷を負い、それから何年かは書くことは出来なかった。
そんな経験もあって100名以上も訪問者があると
喜びよりも不安が先立ち、当ブログでも翌日に消したりしてきた。

昨日の舞鶴港とれとれセンター⑧
で舞鶴港とれとれセンターシリーズは終了したが
リベンジ編最初の舞鶴港とれとれセンター⑤の訪問者が多くなったことを考えると
まだとれとれセンターには到着しておらず、
考えられるのは「今日は223系祭りや!」というフレーズが
おそらく鉄道ファンの人たちの関心を呼んで一気に増えたのだと感じられる。
その証拠に9月7日の舞鶴港とれとれセンター⑦は23名しか来られていない。
しかも9月7日の23名が「このブログの人気記事」の第2位にランクインしている。
せっかく「223系祭り」に引き寄せられた300名あまりの人たちが
ブログを読んでみて落胆している姿を想像すると、笑ってしまう。

過去にも私が美魔女と呼ばれるタイプの女性が苦手で
ほうれい線のある女性が好きな話を書いた「ほうれい線が気になる方」の時も
おそらくほうれい線を気にされている女性たちが大勢訪れて下さった。
最近では「ガイコツのような女性」というテーマで書いて
100名を越えたので翌日に消している。

読書の苦手な私は、書くばかりの生活を送っているが
自分でも毎日毎日よく続けられているもんだと感心している。
毎日好きな電車に乗って、人を観察し、社会問題に興味を持ち
延々書くばかりの生活のおかげで老後生活を愉しみ
認知症状防止に役立っている。
そんな私にお付き合いして頂いている皆様には
いつも感謝しております。これからも宜しくお願い致します。

舞鶴港とれとれセンター①

2024-08-26 | 感謝
今日、本当は妻が行きたがっている舞鶴港とれとれセンター
行く計画を立てていたが、あいにくの空模様なので
明日か明後日に延期することにした。
しかし働いていたら、そうはいかない。
台風でも来るならいざ知らず、雨くらいなら決行していただろう。
定年退職をして毎日遊んでいるから
そんなふうに優雅に考えられるのだろう。

しかし同じ世代の人たちは今でも真面目に働いている。
厚生年金の受け取れるは65歳になるまでの5年間は
ほぼ無収入で、貯金の切り崩しで生活をしている。
先日訪れたセールスマンは、資産生活ですねと仰ったが
そんなもんじゃない。
厚生年金をもらうまでの予行演習であり、
年金額に合わせた生活の仕方を模索している。
西舞鶴までの往復も草津市立水生植物園に行った時の
青春18きっぷの残りを使うので今回の旅費も不要。
ただ昼食に間に合うように行こうとすると
丹波路快速もなく、すべて鈍行となる。
青春18きっぷには期限もあるから
また改めて旅行記としてアップすると思う。

まあこんなことでもしてなかったら
当ブログも毎日書くことがなくなるからね。

田中のおばちゃん

2024-07-28 | 感謝
昨日のブログで、人のいい妻の話を書いたが
そういう人がもう一人知っている。
それが「田中のおばちゃん」という人で、
近所では有名なおばちゃんであった。
おばちゃんはいつも買い物かごを持って買い物に行くんだけれど
道で私や妹、従兄、近所の子どもなど知った子どもに会うと
買い物かごの中から何かをくれる。

おばちゃんの家の前で買物から帰ってきたおばちゃんに会っても
いつも買い物かごから何かをくれるので、
妹なんかは、おばちゃんはそれが必要だから買ってきたのに
それをもらうのは追い剥ぎに遭うようなものだと
よく拒んでいたが、それでもおばちゃんは何かくれる。

商店街でおばちゃんと出会った時も買い物かごから何かくれるのだが
まだ何も買っていない時に出会うと、何かを買ってきて
わざわざ追いかけてきて何かをくれる。

用事があっておばちゃんの家に行くと
「ちょっと待ちや」と言って家の中を探して何かくれる。
私も子どもの頃は嬉しかったが、年齢が上がるにつれて
そんなに無理にもらわなくてもいいと拒んだり
待たずに黙って帰ったこともあるけれど、
そんな時はおばちゃんは我が家にまで来て、なにか置いて帰る。

おばちゃんがくれる物は、お菓子やお惣菜などがほとんどで
ソーセージやかまぼこなんかも多かった。
おばちゃんとこの子どもが小さい時に遊んだようなものももらった。

またおばちゃんは、人からもらったと言って半分おすそ分けにくれた。
そんな時、ふつうなら「つまらないものですが・・・」というところを
「これ、美味しいでえ」と言って持ってくる。
自分が頂いた喜びを他の人にも分けることで、喜びを分かち合う
これこそが究極のボランティア活動と理解した。
しかもせっかくもらったものを「つまらない」というよりも
「美味しいでえ」という方が作った人にももらった人にも失礼にならない。

そんなおばちゃんも昨年亡くなられた。
亡くなる直前に妹が病院へ面会に行くと
「ミカンが足元にあるから持って帰り」と言われたけれどミカンはなく
それでも「おばちゃん、ありがとう。もらって帰るね。」と別れたのが
最後の会話だったという。

運がいい時

2024-06-28 | 感謝
電車に乗ろうと改札口を入り、エレベーターの前に来た時
偶然なんだけど、ちょうどのタイミングで
エレベーターが下りてきて扉が開いた。
そんなことがあると、今日は何かいいことがありそうな気がする。
誰かが降りる時に1階ボタンを押しておいてくれたのだろう。

私も、いつも自分がエレベーターに乗った時に
後から来る人に便利なように、
1階ボタンを押して降りるようにしているが
私のおかげで、幸せな気分に思わせていたことを知って
改めて自身がいつもやっていることの意義を感じるところとなった。

そういうラッキーな境遇に出会うと
「今日は運がいい」という気持ちになって気分が良くなるが
偶然という名の下で誰かに助けてもらっているようなものなのだろう。
すべて自分の力で生み出したように思っていても
見えない誰かに御礼を言わねばならないと感じる。
そういう時は私は、
神仏を頭に思い浮かべて御礼を伝えるようにしている。

結納の品

2024-06-20 | 感謝
義母の家を整理していたら
私たち夫婦の結納の品が出てきた。
私たち夫婦や私の両親はそういう儀式の必要性は
あまり重視しない性格だが
妻のお母さんがきちんとした性格であり
義母の希望により結納式を執り行った。
私たち夫婦は職場結婚であったために
当時は夫婦で同じ職場で働くことを良しとしない風潮があり
正社員でなかった妻には転勤命令が出来ず
正社員の私に転勤の内示があったのだが
娘を嫁にやる時は、白無垢という考えから
仕事も辞めさせると言われ、
所長からなんとかお義母さんを説得して
妻には仕事を続けてもらい、
私に転勤するようにとお願いされたが聞き入れず、
私の転勤の話がなくなった。



結納の品は父と私たち夫婦で松屋町に買いに行き、
見場のいい中の一番安価な商品を選んだ。
当日は、仲人さんにはご迷惑を掛けないよう
私たち夫婦と私の両親、義母だけで執り行ったが
私の母はよっぽど興味がなかったらしく、
途中で居眠りをしていたのを覚えている。

当の義母本人は認知症が進み、そんな思い出も記憶から消えている。
今回の片付けでは、妻の七五三の時の帯もきれいに保管されており、
もし私たち夫婦に娘が居たら、その孫に
七五三の時に着せようと思っていたのかと思うと
母親として娘を思いやる優しい気持ちを感じて妻の目が潤んだ。
きっと「お母さんありがとう」と思っていたに違いない。