まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

お食事処 すゑひろ

2024-01-31 | 美味しい店


以前から行きたかった食堂「すゑひろ」へやっと訪れることが出来た。
一度目は、正午前に無性に食べたくなり訪れたが
開店時間の12時半まで待てずに断念。
二度目は、営業日の15時30分に訪れると17時まで休憩時間で断念。
三度目でやっと入店に成功した。



昭和時代のタイムスリップしたような店内では、
2人掛けテーブルが2台ずつ並べられており、私たち夫婦は4人席で2人だが
個人客には4人席に知らない客と2人相席に座らされるため
怒って帰ってしまう客も見られたが、それでも一気に埋まっていく。




冷奴を戸棚から取り出し、豚汁を頼むと大きな器に驚いた。
でも美味しい豚汁でよく温まる。

 

定番メニューのオムライスと焼き飯を注文すると、昭和の香りがするが
めっちゃ美味しく、食べながらにして次来る日を愉しみにしていた。
次来た時には、何を注文するのか・もう楽しみになってきた。
場所はJR天王寺駅北口を出て、右へ行ったところ。
是非とも井之頭五郎さんにもご紹介したいほどの名店だ。

竈炊き立てごはん 圡井 京都駅八条口店

2024-01-30 | 日記


新年の墓参に行く際、少し早く家を出て京都駅の
竈炊き立てごはん 圡井京都駅八条口店」に訪れた。
9時半頃に到着すると、一巡目のお客が入られて満員状態で
ポツン、ポツンと帰るお客と交代に二巡目のお客が入っていく感じで
私たち夫婦の前のお客以降は15分以上待ったように思う。



土井志ば漬本舗が経営する竈炊き立てごはんのお店で
朝ごはんのバイキングになっており、竈炊き立てごはんとみそ汁のほか
漬物などのおかずが食べ放題になっており、
これで税込み1100円は安いし、なによりも旨い。
並んでいる間に同じASTY ROAD内を見て歩きましたが
やっぱりここが一番と思いました。



京都駅八条口店は、JR京都駅構内1F ASTYロード内にあり、
JR京都駅「西口」改札を出た後、「八条西口」「近鉄電車」と書かれた方へ進み、
近鉄京都駅改札のすぐ隣にある階段から、階下(1階)へ向かいます。
すると左側に「ASTY ROAD」がすぐ見つかります。
(私は、この案内通りに進み到着しました。)

 

KASAGI鍋フェスタ

2024-01-29 | 美味しい店
KASAGI鍋フェスタに行ってきた。JRの駅に置いてある西Navi1月号に
記載されているのを見て、ずっと楽しみにしていた。
関西本線の笠置駅は、奈良駅よりも少し西に位置しているため、
大和路快速で加茂駅まで行き、そこから亀山行きの普通列車に乗り換えて1駅、
7分の乗車である。普段はガラガラのキハ120気動車は1時間に1本しかなく、
このフェスタのおかげで2両の車内は満員になった。

 

とりわけ大和路快速の木津駅で学研都市線からの乗客と一緒になり、
人数が増えたせいかよくしゃべる乗客割合が増えたようにも感じられた。
笠置駅ではワンマン列車だが、満員のほとんどの乗客が降りるため
運転手後方の出口だけでは捌ききれず、全部の扉を開けてICカード利用者は
黄色い所にタッチというだけでは理解出来ない乗客も多く見られた。



駅前ではフェスタのチラシを配っておられ、ガラポン抽選券が付いていた。
駅からすぐの笠置いこいの館前特設会場は、
沢山のテントが建てられすでに大にぎわいだった。
早速、ガラポン抽選をしたがほとんどか末等のウエットティッシュで
ごくたまにサイダーなどが当たってた。到着早々にお楽しみがあり、
そして感染防止グッズを配るのはいい考えだと思い、
これはやられたなという気持ちだった。
さまざまなゆるキャラグッズや地方の名産品などを見て購入した。
中でも和束茶のコーナーでは千円で詰め放題があり、
希望すると係の人が目一杯に詰めてくれた。
妻は思わず「自分で詰めるんじゃないんかい」ってツッコんでいたけれど、
帰って飲んだら美味しかった。

   

鍋のブースは人気のあるブースと閑古鳥状態のブースと格差があり、
どうせならと一番列の長い「雉鍋」に並びながら夫婦で交代しながら見学したり、
空いているブースの鍋を買ってきて並んだりした。

   

約1時間以上並びながら但馬牛骨出しのしゃぶしゃぶ鍋、チーズフォンデュ鍋、
チーズナン、あん肝鍋を頂いても半分くらいしか進まず、
作っておられるお店を見に行ったら、雉肉を1〜2人前ずつ炭火で焼いて、
焼けたらとなりの鍋で炊いて、カップに入れて販売するのを
たったワンオペでやっている。しかも鍋で炊いている時には、
炭火では次の人の分を焼いておらず、これでは1人に5分以上も掛かっている。



しかも友人とみられる客との話を聞いていると「4年ぶりの開催でどれだけ客が
来るかも分からないからあんまり用意してきていない。」と話しており、
早く売り切れないように時間を掛けて調理していることが分かってきた。
気分を悪くした私は、すでにお腹も満たされてきたこともあり、
並ぶのをやめて帰宅の途についた。最初に並んでいた時にいたカップルや
家族連れもすでにいなかった。一杯ずつがそれほど多くなかったため、
いろいろ食べられたけどその割には価格も高いと感じたが、
それも昨今の物価高を考えれば致し方のないことなのだろう。
全体的には結構楽しめたと思う。

母の思い出

2024-01-28 | 感謝
今年も母の命日がやってきた。
満60歳でこの世を去った母の年齢をすでに越してしまったが
まだまだ子どもの頃の母の印象が強すぎて
思い出す時は、自分よりはるかに年上の母である。
遺影を見ても自分より若いはずだがそうは見えない。

母はきれいな人だったと周囲の人たちからよく言われたが
息子の私から見れば、きれいなお母さんという目では
見たことがないから感じたこともない。

それどころか怒られた印象が強く、怖いイメージがある。
大学に入った頃から家を出たせいか、その頃から優しくなったが
高校卒業まではなかなか厳しい母だった。

先日読んだ漫画雑誌に「学校へ行くには10円玉は欠かせない」
という話が載っていた。学校へ行って忘れ物をすると自宅に電話をすると
「あんたシッカリしいや」と言って母が届けてくれるという話だが
我が家では違った。
母に電話すると「分かった。持って行く」と言うのに
一度も届けてくれたことがなかった。
「お母ちゃん、持って行くって言ってたのになんで持ってきてくれなかったの?」
と言うと「ああごめんごめん」と言うばかりで、
その次も、またその次も絶対に持ってきてくれるということがない。
暗に「忘れんように持って行きや」と言われているのだろうけれどそれも言わず
「今度はもってきてな。」と言うと「はいはい。そうやねえ」と言うばかり。
一緒に電話した友達からもバカにされ、笑われるし立たされるし。
そんな母だった。

豊かな時代

2024-01-27 | 受け止め方
長年親しくしていた方が亡くなられた。
彼のご家族から故人が着ていた衣類を処分することの相談を受けた。
私がかつてホームレスに関わる仕事をしていたことがあるからだ。
当時は各公園にホームレスの方々であふれ、
子どもが遊びに行くのも怖かったような頃だった。
当時は大阪にオリンピックを誘致するにあたって
公園に建てられた小屋やテントを一軒一軒訪問し、聞き取り作業をしていた。
当時のホームレスの方々には私がお渡しした古着も重宝され、
故人の思い出の詰まった大切な衣類はけっこう喜ばれた。

しかし時代は流れ、世の中は物があふれ、
手軽に商品が手に入る時代になった。
ホームレスに限らず火災や天災の被害を受けて、
着のみ気のままに逃げたその時には重宝されるのだが
少し慣れてくると、古着は捨てられてゴミとなっていく。

故人の思い出の詰まった大切な衣類とはいえ、
遺族が大切に思われている高級な一張羅ほど着たい方はなく、
安価な衣類ほど重宝されるけれど、いつまでも着てもらえないのだ。
また夏の暑い時期に、冬物のごっつい衣類を持って歩く方を見ないように、
今の寒い時期には昨年の衣類は持ち歩かず邪魔になるから捨ててしまう。

それでも古着を他人に譲る際にはクリーニングを済ませてお渡しするのは当然で
能登半島地震へ寄付された古着の中にはクリーニングされないまま送られた物もあり
結局処分することになるため、被災地の迷惑になっている。
古着を供出される遺族の思いとその古着を使われる方々の意識にギャップがあり、
大切に使われもしないかもしれない古着一着一着に
お金をかけてクリーニングしてもらうのも忍びない。
またサイズの偏ったものなどは頂いても結局処分することになるため
受け取りさえも拒否される支援団体も少なくない。
私自身はご寄付されるお気持ちを大切にして
こちらから出向いて受け取りに行き、
ありがたく使わせてもらいますと御礼を伝えて
物を選ばず受け取ってくるが、結局ほとんどの物を処分するため、
上司からよく「こんな邪魔なものをもらってくるな」と叱られていた。
私がやってきたことが正しかったのかどうかは分からないが、
ご遺族の気持ちに寄り添えたのかなと思う。