ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンターの日々の記録 「未来に向かって」

NPO法人「ジャパンハート」が、ミャンマーの視覚障害者の社会的自立を目指して立ち上げた新たなプロジェクト

学校へ行ける喜び

2011年10月28日 | 日記

本センターでは、今月24日から2学期が始まった。
2学期のカリキュラムには、1学期から学習している医学や実習に関する科目に加え、教職科目も組み込まれている。
その教職科目の一つとして、「視覚障害指導法」がある。
これは、視覚障害教育に関する知識・指導方法を学習し、盲学校教員としての自覚を高めていく大切な時間だ。学期末には、学生全員が模擬授業を行い、来年の教育実習に備える。
今週、視覚障害指導法の第1回目授業のアクティビティーとして、自己紹介をさせた。今更自己紹介?でも、今回のものは、自分の生い立ちについて発表するもの。
盲学校では、国に関わらず色々なバックグラウンドを持った生徒たちが学んでおり、時には信じられないようなドラマに遭遇することもある。
そして、それらの理解に勤め、生徒一人ひとりに暖かい心と厳しさを持って、きめ細かく忍耐強く向き合うことが盲学校教員には求められる。そこで、全国から集まってきたクラスメイトの人生をお互いに考えることがこのアクティビティーの目的だ。

予想通り色々な話が次々に出てきたが、学生たちは私のリクエストを皆快く受け入れ、明るく詳細まで発表してくれた。
ほとんどの学生に共通していたのは、比較的早い段階から盲学校の存在を知っており、学校に行きたくて行きたくてたまらなかったということ。
しかし、両親や親戚が盲学校へ行かせることを嫌がり、家から1歩も外に出してもらえなかったということ。中には、「お父さんとお母さんと僕はどっちが先に死ぬの?その後も僕は自分の力で生きていかないといけない。だから、僕は盲学校に行って皆と勉強したい!」と反対を押し切ってまで盲学校を訪ねて行った話も聞いた。
それから、学校に行きたくても行かせてもらえず、家族が仕事に行っている間一人部屋に残り泣き続け、涙の量を測ったこともあるという女子学生も笑いながら紹介してくれた。

今年度からは、現在行っている「ミャンマー視覚障害者自立支援プロジェクト」の一環として、就学支援にも取り組もうとしている。
これは、日本で行われているオープンキャンパスや入学全教育相談を応用し、既存の盲学校生徒数を増加させることが目的だ。
そして、特に地方部において一人でも多くの視覚障害者に自宅から一番近い盲学校にアクセスし、教育を受けられる機会が提供できればと考えている。
もし、これが軌道に乗れば、ミャンマー各地の盲学校で十分な時間を掛けて基礎教育を受けた上で、職業自立に直結した医療マッサージ専門教育を受けられるようになるだろう。
とても大切な仕事なので、お祭り騒ぎにはしたくない。政府関係当局やオープンキャンパス開催校と協力しつつ入念な打ち合わせを行いながら進めなければならない。
そして、ミャンマー全国の盲学校が独自の力でオープンキャンパスが実施できるような体制に移行できればと考えている。

年明けに予定されている第1回目がどんな感じになるか楽しみだ。1日も早く、「学校に行ける喜び」を一人でも多くの視覚障害者と共有したいと思っている。


    塩崎

念願の日本へ出発!

2011年10月05日 | 日記

先月29日から3泊4日の日程で、日本の国際視覚障害者援護協会(IAVI)より、2名の方がミャンマーへ来られていた。
IAVIは、開発途上国の視覚障害者リーダー要請を目的として、主にアジアの国々から視覚障害学生を日本へ招き、日本での留学生活を全面的にサポートしている。
これまで、約17カ国から70名を受け入れ、その多くが、日本の盲学校や大学などで学んだ知識・技術を活用して、各国の視覚障害者のために活躍している。

今年は、5年ぶりにミャンマーからも留学生を受け入れていただくことになり、IAVIの方々がその新留学生を迎えに来られたのである。
今年選ばれたのは、24歳男性。
昨年は選抜審査に不合格となったが、今年は再度挑戦し、ついに日本留学への切符を手にした。
出発日、ヤンゴン国際空港には、彼のご両親を初め数名の人たちが見送りに来ていた。
先生もかけつけ、ご両親も息子を見送るために、ミャンマー北部の町から夜汽車を乗り継ぎ、2泊三日かけてヤンゴンまで出てこられたとか ・・・。
本人は厚めの長袖上着を着て、リュックを背負い、東南アジアから北国日本へ行く準備も万全のようだ。
私も声をかけ、彼とご両親と握手をしたが、本人からは数年来の夢が適った充実感が漲っていた。
先生やご両親はやはり心配のようで、チェックインの際も特別に許可をもらい、出国ゲートまで送っておられた。
これまで教えてきた先生の気持ち、遠い外国へ全盲の子供を一人で行かせるご両親の気持ちはいかがなものだろうと、私は彼らの様子を見ながら考えた。

しかし、本当に大変なのはこれから。
せっかく獲たチャンスを生かすためにも、ミャンマーの代表としての自覚と責任感を持って、充実した日々を送ってもらいたい。
そして、ミャンマーへ帰国する時には、個人の幸せや自分の関係団体のためだけでなく、ミャンマー全体の視覚障害者のために働くことを考えてもらいたい。

それにしても、彼は生まれてはじめての飛行機の中で何を考えただろう?どんな夢を見ただろう?
日本で生活を始めた彼からの声が楽しみだ。


    塩崎