ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンターの日々の記録 「未来に向かって」

NPO法人「ジャパンハート」が、ミャンマーの視覚障害者の社会的自立を目指して立ち上げた新たなプロジェクト

防災対策

2012年06月28日 | 日記

本センターも新年度が始まってからもうすぐ1ヶ月になろうとしている。
全国各地の盲学校から集った新入生たちは大分生活になれ、明るい声がキャンパス内に響くようになってきた。

そんな中、今年度第1回目となる避難訓練をした。今回は、午前10時半に厨房から出火したとの想定。
「火事!火事!」と言う知らせを聞いて、学生全員が職員の指導の下、外へ非難した。
出火想定時刻の10時半は、たまたま実習の授業時間。もちろん、緊急時は着替えに帰ったり、部屋に大切な物を取りに行ったりする時間などない。全員が実習用の白衣のまま、実習室から直接非難した。更に、本センターも含め、盲学校の学生たちは視覚障害があるため、お互いに声を掛け合い、周囲の腕に繋がって皆で逃げる必要がある。正に、職員の視覚障害ガイドテクニックとクラス内のチームワーク、お互いの信頼関係が試される。

また、今年は、センターから火災発生の連絡を受けたジャパンハートヤンゴン事務所担当者が、タクシーでセンターに実際にかけつける練習もした。
年度初めのこの避難訓練は毎年、「学生・職員全員が緊急事態発生時の対応方法に付いて理解すると共に、防災に対する日常の意識を高めること」を目的としている。そのため、前もって予告して授業時間内に事前指導を行い、避難訓練の目的・避難方法やその際の心構えに付いて学習させた。そして、訓練直後には全員を教室に集めて、訓練の反省と日常生活における防災対策に付いて指導した。

ほとんどの学生たちにとって初めての経験だったが、予告して行ったためか全員が余裕の様子だった。中には、出火予定時刻数分前から「そろそろかなあ」と周囲に耳を済ませて待っている学生もいた。しかし、災害は忘れたころにやってくるもの。

今回学んだことを、普段の日常生活の中で思い出し、高い防災意識を持ったセンター生活を贈ってもらえれば幸いだ。


    塩崎

数百年見え続けている眼

2012年06月13日 | 日記

医療が高度に発達した現代でも、数百年見え続けている眼と言うのはまだ聞いたことがない。

この前、センター行事の一環として、「杉山和一記念行事」をした。入学したばかりの新入生たちにとって、毎年この行事は、センターでの学習意欲を高めるとても良い機会となっている。

杉山和一は1600年代に活躍した全盲の鍼医で、日本独自の管鍼方の考案者としても知られている。彼は、裕福な家庭に育ち将来も保証されていたが、「自立し自らの手で生計を立てたい」との一心で周囲の反対の中、家を離れ江戸へ行く。初めは覚えが悪く入門先から破門されるほどだったが、その後数多くの苦難を乗り越え、将軍綱吉の侍医を勤めるに到った。

ある日、褒美を与えたいという将軍に「一つでよいから眼がほしい」と彼は答え、将軍は江戸の「本所一つ目」と言う土地を与えた。ほしいといっていた眼はもらえなかったが、彼はその土地に「杉山鍼治稽古所」を設立し、当時徒弟的に按摩のみをしていた視覚障害者に対して、体系的なカリキュラムに基づく鍼と按摩の教育を開始した。この教育機関の設立された1680年前後は、世界最古の盲学校といわれるフランスのパリ盲学校創立よりもやく100年も早い時代である。

これをきっかけに、日本の視覚障害者の多くが鍼灸、按摩マッサージ指圧による職業的・経済的社会自立を果たし、国民の健康の維持・増進に寄与すべく社会参加すると共に、自らの力で家族も養ってきた。この間、多くの視覚障害先人の方々やそれに理解を示すたくさんの関係機関・関係者の方々のご努力で、教育制度や資格制度も確立され、世界でも有数の「視覚障害者職業自立先進国日本」を形作ってきた。そして、彼の誕生から400年が過ぎた21世紀の現在、日本をモデルとして、アジア・太平洋地域の国々で様々な取り組みが行われている。ミャンマーにおける本プロジェクトもその例の一つと言える。

私はよく考えることがある。杉山和一が将軍からプレゼントされた土地の一つ目は、「肉眼の視力だけでは見えないほどのまぶしいサーチライトを照らし、数百年にわたり日本・世界の視覚障害者の職業自立の道筋を指し示す大切な眼そのもの」だったのではないかと ・・・。また、人生で何かの出来事に向かい合う時、それが嬉しいことであれ困難なことであれ、それをどう展開するかは、私たちの心と判断力・努力にかかっている。もし、杉山和一が視覚障害のために人生をあきらめたり、一つ目に豪邸を立て自分の幸せのためだけにすごしたら、一つ目はただの家の建設地で終わっていたに違いない。

何かの縁で出会えたミャンマーの視覚障害者。この機会を与えて下さった多くの関係者に感謝しつつ、今日も半そでシャツ1枚と裸足で、滝のような汗を流しながらミャンマーの学生たちに真っ直ぐ向き合っている。


    塩崎