いま読み終えました。
浅田次郎の「蒼穹の昴」。
最後の展開はあまりすっきりしない。
続編があることを考えれば、このもやもや感は納得だけど。
ストーリーそのものは希望のある話だし含蓄が多いです。
舞台は中国清朝末期。
西太后、李鴻章、栄禄、袁世凱、伊藤博文などなど
歴史の教科書でもおなじみの人物が多数登場。
史実をもとに紡ぎあげられた大河物語です。
主人公の春児(チュンル)は、糞拾いで生計を立てていましたが
天下の財宝のすべてを手中に収めるだろうという予言を受けて
赤貧から逃れるべく自ら宦官となり都へ赴きます。
密かに占い好きのわたしとしては、本書の「宿命」という言葉には
強烈なトキメキを感じるのですが、ふっと疑問に思ったのは
「宿命」って何?ってこと。
調べてみれば、「宿命」とは前世から決められている運命
または生まれ持った運命とある。
ものによっては、宿命とは変えることができない運命とも書いてあるけど
著者は宿命は変えられる、運命は切り開けるものと思っているようで
それは本書のあちこちにちりばめられた台詞から窺い知ることができます。
「人間の力をもってしても変えられぬ宿命など、あってたまるものか」
「天命に逆らう人間の力というものも、まんざら捨てたものではないのう」
「運命なんて、頑張りゃいくらだって変えられるんだ」
老いも若きも、男も女も、高貴も下賤も、希望を胸に努力を怠らず邁進すれば
宿命と思い込んでいるもの、思い込まされているものから解き放たれ
思いもかけない結果が生まれることがあるんだと励まされる一方、
もちろん立場によってその重責は異なれども、自らの行動の責任は
重く重くその肩にのしかかっているんだよという諭も。
わたし自身は、程度の差こそあれ、どちらかというと
ラッキーな人生をこれまでは歩んでこられた。
とにかく出会う人に恵まれている。
周りの人たちや状況から何か必ず学ぶことがある。
わたし自身にどんな天命があるのかとか
どんな宿命があるのかということはよくわからないけど
これから益々重くなる社会的責任を全うするために粛々と自己研鑽するのみ。
そうやっていく中で、いい影響のスパイラルが続いていけばいいと思う。
誕生日の朝に思ったことさ。