以前にも書いた覚えはあるのですが、何でもそれぞれの人の考えは違って、それは当たり前で、だから民主主義はその最大課題を政治に反映して良いのだと。
私の80代前後の友達全員一致の考えは、もう完治する見込みはない病気に苦しい、ただ延命のみの治療は中止してほしい。患者本人の希望があれば安楽死を認めてほしいということです。
以前に比べたら高齢患者の気管切開(声が出なくなる)や胃ろう(口から食べられなくなる)は本人・家族の希望は通りやすくなったようですが。
因みに夫の看取りにもその希望は伝えてあります(今の施設に)
認知症になる前にそのことについて夫と話し合ったことがなかったのが悔いですが、私の全責任において。
万一、夫より私が先に死んだら、透析障害のある息子や東京在住の娘が難儀するでしょうし。
カナダでは安楽死法案があります。
重篤で耐え難い苦痛のある時ですが、精神疾患にも対象を拡大予定とか。
オランダはその前に実施しています。
こんなことを言ってはなんですが、延命治療費は莫大だと。若い人は言えないでしょうが、高齢の私は言っても許されるかと。
私も勿論、エンディングノートに無駄な治療はお断りと書いておきます。
「亡くなる時は点滴とか胃ろうとか一切せず、自然に枯れる様に亡くなるのがベスト」と、承知しています。
母も施設でその様にお願いしてあります。
今、母は看取りも何のその。
譫妄はありますが食事も摂れ、一応元気に施設のお世話になっております。
最後にお世話になった病院のドクターも、「食事が摂れないと入院するより、施設で好きなようにさせてあげた方が長生きされますよ。」と、仰っていました。
そうですか、最近はそういう傾向になってきたのかもですね。
以前は本人・家族の願いでも医師が反対したケースも多かったようです。
夫も在宅時は、水分しか摂れず寿命かと思ったのですが、施設に移ってから軟食が食べられるようになりました。施設様様です。