・これからの旅とイスタンブールからシンガポールまでのルートの話
今、私が持っている旅費はトラベラーズチェックで230ドル(1ドル360円。外貨持出し最高額500ドルの内、ソ連の旅行代金は70ドル建てで、既に200ドル使った)、イギリスのお金10ポンドと少々の小銭、それに15万円相当のM&M乗船券引換券(これはエール フランスの航空券も買える便利な券)でした。私はこのM&M乗船券の書替え手続きの為、ロンドンに滞在しなければならなかった。それに滞在したお陰で内側からイギリスの情勢やロンドンについて知る事が出来、更に色々な体験する事が出来ました。
しかし、レストランの皿洗いの仕事は生活するのにやっとで、今後の旅費の足しには、全くならなかった。金銭的な事だけを考えたら、手持金を余り減らさずに滞在する事が出来た、と言うだけであった。
今後の旅の事を考えると、これだけの旅費では、心細かった。しかし15万円相当の乗船券があるだけで、『何か最悪の状態になった場合、日本までこれに多少のお金を足せば帰れる』と言う保証が有り、多少の安心感があった。
「シンガポールまで陸続きで行く」と言ってもビルマは、渡航が禁止されて入国出来ないし、東パキスタンの道路は全く不明・不備の状態であるらしく、陸路で行くのは困難な状態が予想された。又、国によって政情不安や、自分の気まぐれによりどんなコースを取ったら良いのか、全く分らなかった。
2週間ほど前に受け取った妹の手紙と共に、鶴村さんの手紙が同封されていた。鶴村さんはヘルシンキからストックホルムまで照井さん、鈴木さんと共に行動を共にした4人仲間であった。その彼からの手紙によると、「ストックホルムで我々と別れた後、弟さんと車でヨーロッパ旅行をしてからトルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンを列車・バスを使ってインドのニュー デリーから飛行機で帰国した」との事でした。そして、彼からの助言・忠告として、「イスラムの国とインドは分けの分らない、信用出来ない人達が多く、死に物狂いの旅であった。中近東、インドへは行かない方が良い」と書いてあった。
しかし、英語も全く知らないおじさんが、その経路を通ってニュー デリーへ行けたのだから、私だって出来ない事はない、と確信した。又、「行かない方が良い」と言われれば、どんな所であるのか、余計に好奇心が沸くのを感じ得なかった。
今の時点(1968年11月11日現在)、シンガポールまでのルート、行く方法等について私は全く分らなかった。後日、何処で逢ったか忘れてしまったが、複数の旅人(アメリカ人かカナダ人か、或は日本人か定かではない)から、イスタンブールからシンガポールへ行く幾つかのルート、方法の情報を得た。纏めて見て以下のルートが最も良かった。
イスタンブール→汽車3等62リラ(2,480円)→エルズルム→バス25リラ(1,000円)→バザーゲン(イラン国境)→バス320リアル(1,536円)→テヘラン→バス200リアル(960円)→メシェッド→150リアル又は100アフガニ(720円から800円位)→ヘラート→バス240アフガニ(1,920円)→カブール→バス165アフガニ又は15ルピー(1,140円、7ルピーは通行税)→ペシャーワル→汽車16ルピー(1,216円)→ラホール→タクシー又バス5ルピー(380円)→国境→力車5ルピー(240円)→バス発車所→バス4ルピー(192円)→アムリツァール→力車・輪タク2ルピー(96円)→アムリツァール駅→汽車2等25ルピー寝台料金6.5ルピー(合計1,600円)→ニューデリー→汽車2等40時間95ルピー寝台料金12ルピー(合計5,350円)→マドラス→船(デッキクラス22ドル・3等34ドル月2度出航)→ペナン島→汽車3等20マレーシアドル(2,400円)→クワラルンプール→汽車3等132マレーシア・ドル(1,560円)→シンガポール
尚、この情報と併せて中近東やインドは、道路も整備されておらず、自動車の通行量は殆んど無い状態との事であった。従って、ヒッチは出来ないからバスや列車を利用した方がより効率的で、しかも金銭的に返って安くつくとの事であった。
これによると、乗り物料金は約98ドル(約35,000円)、ロンドン~アテネ間約1ヶ月掛かるとして最低1日3ドル要するとして旅費は約90ドル(32,400円)、アテネ~シンガポール間2ヵ月間、最低1日1.5ドル要するとして約90ドル(32,400円)、合計278ドル(100,080円)。ロンドン~シンガポール間は食事代、乗り物代、ユース ホステル、或は安いホテルを利用して、最低限の概算で280ドルから300ドルは必要なのだ。しかし手持金は230ドルと数ポンドしか持ってないので、50~70ドル程不足であった。
『陸続きで行って見たい』と言う想いだけで、金銭的に厳しい旅になる事は予想出来たが、ロンドンを去る時点で、この様なハッキリとした数字的裏付けは全く無く、常にお金に対する心配や心細さが付き纏っていた。
ヨーロッパ、特に北欧やロンドン、パリ等大都市のユースに於いては、旅に必要な情報交換が全く無かった。その反面、非西洋諸国のユースや安ホテルでは、旅人同士が密接にルート、乗り物、宿泊所等についての情報交換がなされていた。
例えば、ニューデリーで旅人が集まる場所で、シンガポールから来た者がテヘランへ行く場合は、テヘランから来た旅人からテヘラン~ニューデリー間のルート、安い宿泊所、交通等の情報を得て、その逆にその人がシンガポール~ニューデリー間の情報を教えてやる、と言った情報交換をしていました。
又、アメリカ人やカナダ人は、『1日5ドル世界の旅』とか『1日10ドルで経済的なヨーロッパ旅行』と言った本を片手に旅をしている者が多かった。その本には世界各国の最も安く行くルート、方法、宿泊所、観光、レストラン、買物等が集約され、彼等の旅の手助けになっていた。
私も外国へ行く前に本屋を見て回ったが、主にヨーロッパや北アメリカの物ばかりで、アフリカ、中近東、インド周辺、東南アジア、特に地方の情報が掲載されている本は無いに等しかった。情報があったとしても険約旅行を求める旅人に参考になる本は無かった。欧米の他に線で結ぶ旅をした者がいない様であり、それらの本は出版されてなかった。アメリカやカナダでは、それらの本が若者の間でポピュラーになり、彼等は世界を線で結んでいたのでした。
イスタンブールからシンガポール間を陸続きで旅をすれば、私も先駆者の1人として仲間に入れるであろう。そんな意味で鶴村さんも先駆者の1人になったのだと思う。
所で、鶴村さんの「死に物狂い」とはどの様な事か、ある程度想像が出来た。私もそのルートを旅して見たかったので、彼に先を越された様な感じがした。私は高校時代からユーラシア大陸に憧れ、何度も世界地図を広げて見ていた。特にイスラム諸国特有の文化、何処までも続く砂漠、そして昔栄えたシルク ロード、或いは中学の時に見た映画「砂漠は生きている」の場面を一目でよいから垣間見たいと思っていた。
そんな訳で、中共(現中国。当時「中国」と言えば国連から承認された中華民国であり、台湾政府の事を示す。現中国は承認されてなく、大陸の事を「中共」と言っていた。渡航制限の処置が取られていた)へは行けないが、せめてシンガポールからヨーロッパへ列車、バス、徒歩等で横断したいと思っていた。その中間にある中近東諸国は、イスラムの教えに従って生活しているらしく、そう言う中のシルク ロードの旅は、考えただけで何かゾクゾクするものを感じた。このルートは、世界でいろんな意味で一番変化に富み、旅を志す者にとって先ず目に付く地域であろう。