△パルマからアペニン山脈を望む(PFN)
・昭和43年11月19日(火)晴れ雪曇り(リヴィエラからアペニン山脈を越えて)
ジェノヴァのユースは、高台にあった。直ぐ前が道路、それを挟んでその向こうが、何処までも見渡せる海岸、そしてさらに大海原が果てしなく広がり、とても景色の良い場所であった。
朝食を済ませ、又、今日も旅が始まる。そんな時、余りにも素晴らしい眺めなので出発前、暫し足も止まってしまった。昨日来た時は、既に暗かったので何も分らなかった。今こうして今日1日が始まろうとするその瞬間に、この景色を眺めていたら、『自然は、不思議なものだなあ』と感じるのであった。
そうこうしている内、昨夜、言葉が通じ合わなくても心が通じ合ったノルウェーからの旅人ピンターがユースから出て来た。この景色をバックに2人で写真を撮った。その後、私達は道路に出た。ピンターは右ニース方面、私は左のローマ、ヴェネチア方面に別れて行った。
東リヴィエラの旅も最高であった。天気も良いし、春の様にうららかな陽気であった。道路の直ぐ右下が海、そして左側は山々が果てしなく連なり、その山が海岸線まで迫っていた。そんな地形であるから、崖下を覗き込めば波が岩にぶつかり水飛沫を上げ、それが一条の線となって見えた。顔を戻せばリグリア海が果てしなく広がって見えた。この素晴らしい景色は、La Spezia(ラスペツィア)まで続いた。こんな時のヒッチの旅は、最高であった。
この時に乗ったドライバーとはお互いに言葉が通じず、何を考えているのか分らなかった。愛想も良くなかったが、乗せてくれたので、きっと気持の良い人なのであろう。
ラスペツィアの手前で道は、二手に分かれていた。直進だとピサ・ローマ方面、左はParma(パルマ)方面になっていた。私はこの人気のない郊外の交差路で降り、左のパルマ方面に向かって歩き出した。
道は急に勾配になり、車は余り走ってなかった。昼食にパンをかじりながら、停まってくれる車を待つ事にした。でも、そんなに待たず又、乗せて貰えた。
乗ってから直ぐ、勾配と急カーブの連続で、ぐんぐん高度が上って行く感じがした。地図を見るとここは、2000メートル級の山々が連なり、私は『アペニン山脈』越えをしているのであった。道は、何処までも連続上り勾配と急カーブを繰り返し、道幅もかなり狭くなり、ドライバーは慎重に車を運転していた。そして、標高が上って来たので積雪もあり、そして除雪車が活動しているのに出くわした。
峠まで景色とスリルあるドライブを楽しんだ。峠のドライブインでドライバーからコヒーをご馳走になり、そして彼は去って行った。峠はかなりの積雪があった。そしてとうとう雪が降り出して来た。こんな所で放り投げられたら堪ったものではないと心配したが、それもつかの間、直ぐに他の車が通りかかり、その車に乗せて貰った。
又、幾つも山を越え、そして今度、車はひたすら山を下りた。私はただ乗っているだけだが、降雪の悪天候に加えて、下り急勾配と急カーブの連続、そして積雪等で運転には最悪条件だったので、落ち着いて乗っていられなかった。何か事故が起こって怪我をしたらどうしようと心配で、後半はこちらまで気疲れしてしまった。いつしか雪も止んで、山又山の向こう、遥か彼方にパルマの町が霞んで見えて来た時は、疲れも飛んでしまい、言い知れぬ気持が胸に迫った。『旅は良いなぁ』万感の思いが込み上げた。
今日のヒッチの前半は、小春日和の良い天気で景色も良く、中盤は、雪降る中の山岳ドライブ、そして後半は、山脈越えをした安堵感と変化に富んで旅の良さを知った。
パルマは、イタリアの地方都市、古い街並みで落ち着いた雰囲気を醸し出していたが、晩秋の為か寂しさをも感じた。ユースは、街の中央にあった。ホステラーは、男性私1人、女性アメリカ人のヒッチ ハイカー3人であった。明日、ヴェネチアに到着する予定だ。