・昭和43年11月25日(月)晴れ後曇り(ベオグラード観光と盗難事件)
今日、昨晩知り会った感じの良いカナダ人のヘンリーと共に市内、そしてベオグラードの古城見物に出かけた。その古城は、市の北端ドナウ川とサヴァ川の合流した場所にあった。古城から市街、ドナウ川とサヴァ川の眺めが、とても素晴らしかった。又城内には、中世の刀剣、鉄砲、絵画、骨董類等、数多く展示された博物館があった。素晴らしい古城にも拘わらず、観光客は少なかった。そしてドナウ川から吹く風は、強く冷たかった。
ユースに着いたら相棒のヘンリーが、「リックの中からトランジスター ラジオが無くなっている」と騒ぎ始めた。「Yoshiも調べた方が良い」と言うので、私もリックの中を調べた。すると、確かにある筈の万年筆が無くなっていた。
部屋には3人宿泊していて、私とヘンリー、それとヨルダン人であった。午前中、私とヘンリーは彼が部屋に居る間に街へ出掛けた。そして夕方、我々がユースに帰って来たら、既に彼も部屋に居た。そんな訳で、ヘンリーはヨルダン人の彼に、「リックの中に入れておいたトランジスター ラジオが無いのだ。そして彼のリックからも万年筆が無くなっているのだ。貴方が盗んだのだろう」と詰問した。
「私は先ほど帰って来たばかりで、何も知らない」とヨルダン人は惚けた。
ユースは我々ホステラーが外出中、部屋の鍵を掛ける事はしないし、誰でも部屋へ入る気になれば入れた。しかもリックは鍵が付いてないので、簡単に盗む事は可能であった。その様な訳で、他の者が部屋に入って、盗ったかも知れないのだ。しかし一番怪しいのは、ヨルダン人であったが、決定的な証拠は無かった。
所で、何かを盗まれたのは、これで3回目であった。1回目は、北欧のユースで折りたたみ傘がいつの間にか無くなっていた。私は盗まれたと思っている。しかもそれは、日本人であると。大体欧米人は、多少の雨では傘を差さない習慣がある。しかも、夏の好天が続く時期に、欧米人の旅人が傘を盗んでまでもする行為とは、考え難かった。
2回目は、正露丸であった。パリまであった正露丸が、その後いつの間にか無くなっていて、腹が痛くなったイタリアのサヴォーナで気が付いた。正露丸は黒い丸い粒で臭いし、服用すると苦いのだ。これが何だか欧米人には分らないし、分らない物を盗る人はいないと思うのだ。薬の入れ物を見て、『正露丸』と一目で判るのは日本人なのだし、盗ったのは日本人以外、考えられなかった。お陰でサヴォーナ、ピサ、そしてロンドン滞在中に腹痛で散々な目にあった。せめて正露丸があったなら、あんなにも苦しまず済んでいたにちがいと思うと、悔しくて堪らなかった。
そして今回で3回目であった。私は万年筆で良かったが、トランジスター ラジオは、彼にとってさぞ悔しかったであろう。ペアレント経由で警察沙汰にして、今日中に出て来るのか疑問だし、私は明日、去る身であった。そしてヨルダン人が怪しいと言っても、証拠が無いのに調べてくれるのか。もし調べて、出て来なかった場合はどうなるのか。返って〝名誉毀損〟(社会主義国に於いても、個人の人権が保障されているのか。)で薮蛇になるのでは、との推測もした。
ヘンリーは私より怒っていたが、我々は諦めるしかなかった。そして、「アラブ人は手が早いし、嘘をつく。彼等を余り信用しない方が良い」とヘンリーは忠告してくれた。
話しによると、彼はヨルダンでは学校の先生をしていて、現在留学の為に当地に来て、数日間ここに滞在している、との事であった。彼は昨夜から同じ部屋に居たが、3人だけなのに愛想がなく、人を寄せ付けない雰囲気を持ち、何を考えているのか分らないのであった。学校の先生であるにも拘らず、そんな雰囲気を持った人物(本当に学校の先生だか、眉唾物であった)であった。私はここに来て、初めてアラブのヨルダン人と出逢った。先入観であるが、『アラブ人は、日本人や欧米人と違った違和感のある人種である』という認識を持った。そしてアラブ人の第一印象は、悪かった。