YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

手が冷たい、手袋が欲しいョ~フランスのヒッチの旅

2021-11-15 21:12:29 | 「YOSHIの果てしない旅」 第7章 ロンドン~アテネ間ヒッチの旅
昭和43年11月16日(土)曇り後雪(バランスのヒッピーとダンスをする)
 昨日と同様、今日も日高と共にバスに乗り郊外に出た。バスの中に、ユースで会ったヒッチ ハイカー達も乗っていた。余談であるが11月22日、その内のカナダ人男女2人と再びヴェネチアの郊外へ出るバスの中で出会っている。所で、リオンのバス運賃は距離制でなく、〝時間制〟(乗車時間で運賃が高くなったり安くなったりするする仕組み)であった。
 今日は又一段と寒さを感じた。今にも氷雨か雪が降りそうな、そんな空模様であった。1台目、2台目と乗り継いで行ったが、とうとう雪が降り出して来た。土曜日と悪天候でヒッチ率は悪く、道路端に立っていると、とても辛かった。叉、いつもの様に昼抜きで腹が減り、加えて手袋が無いので手が冷たく、寒さが一段と身に沁みた。それでもロンドンで買ったジャンパーがとても威力を発揮して、買って本当に良かったとつくづく感じた。傘やレインコートは無く、ウェールズのダディから貰った古コートが雨雪を凌いだ。
 雪が降り続く中、やっとの思いで3台目をゲットして、Valence(バランス)と言う町に辿り着いた。リオンから110キロぐらい南下した小都市であった。雪は相変わらず降り続いて、一面の銀世界になっていた。
 既に午後の4時になっていた。しかも雪が降っているので無理なヒッチの旅は、控える事にした。今日、9時頃からヒッチを始めて7時間経過したが、進んだ距離は、たった110キロ程度であった。この先のユースは、Avignon(アビニョン)と言う町にあり、そこまで100キロ以上あるので、後2・3時間で辿り着ける保証は無かった。そんな訳で移動距離に不満であったが、今夜はこの町のユースに泊まる事にした。
 街の中を歩いていると、向こうからヒッピーの男性2人がやって来たが、近寄って見ると一人は女性であった。私は2人を地元の人だと思い、彼等にユースの場所を尋ねた。するとその男性は、
「6時頃、ユースはオープンするので、その時間まで我々とダンスしに行こう」と誘ってくれた。特にする事も無いし、折角地元の若者に誘われたので親しくなりたいと思い、彼等の後に付いて行った。もう1人の女性も感じが良かったので、〝安心感〟(本当は内心、変な所へ連れて行かれ、金品を巻き上げられるのでは、とチョッピリ不安感があったのも事実であった)があった。
 彼等と逢った場所から歩いて5~6分、裏通りのある簡易建物の2階へ上って行った。物置の様な感じの部屋には、天井中央から薄暗い裸電球が1個ぶら下がっているだけであった。暗く、周りの状況が良く分らず、一瞬、『変な所へ来てしまった』と後悔の念が過ぎった。しかし次第に目が慣れて来ると周りの状況が分り、そこには25人程のヒッピー達が集まっていた。私を案内した彼は、主要メンバーの何人かを紹介した。彼等は皆、私を快く迎えてくれて、一安心したのであった。
 お互いに余り言葉が通じず、心(気持)が意思疎通となった。今日はヒッピー達のモンキー ダンスの集まりの日であったであろう。私も少し長めの頭髪をしていたので、ヒッピー仲間の様に親しさを感じて私を誘ってくれたのであろう。私は水替わりに持参していた2フランの安いワインを彼等に差し出すと、皆は喜んで回し飲みをした。ワインなんてフランスでは、飽き飽きしていると思うのに、しかも一番安物であるにも拘わらず、「メルシー、メルシー」と皆に言われてしまった。私は返って恐縮してしまった。  
 エレキギターが弾ける何人かで編成され、音の大きなビートに合わせて皆、一斉に踊り出した。私も彼等に混じって踊った。暗い板の間の部屋で一斉に踊っているので、大分、埃がたっているのであろうか、喉がいがらっぽくなってしまった。
 フランス人ヒッピー達と共にモンキー・ダンスを踊り、楽しい時間を過ごした。だが、そろそろ時間になったので、再び連れて来てくれたあの男女2人が、ユースまで私を案内してくれたので、無事に泊まる事が出来た。
 フランス滞在中、若いフランス人と付き合ったのは、数回で珍しいのであった。とにかくフランス人は、取っ付き悪いイメージがあったのが、一変に帳消しになったほどで、快い感じがした。彼等と共に踊った一時は、忘れ難い旅の良い思いでとして心に残るであろう。
 ユースは、暖房設備が無い広い部屋に私1人、雪はまだ深々と降っていて、寒さが一段と堪えた。遅くなってから“Tommy”(トミー)と言うイギリス人が入って来て、何か一安心した様な心境であった。
 今日のヒッチは、100キロチョットしか進まず。シンガポールまでは、遥か遠いのであった。

一気にリオンへ~フランスのヒッチの旅

2021-11-15 07:58:01 | 「YOSHIの果てしない旅」 第7章 ロンドン~アテネ間ヒッチの旅
・昭和43年11月15日(金)曇りのち雨(最長距離ヒッチと日高君)
 同じマルセイユ方面へヒッチする日高と共にバスに乗り、パリの郊外に出た。あちこちの道路上の水溜りは、氷が張っていた。今日は一段と寒かった。
 郊外の街道に出たら直ぐ、彼は車をゲットして去って行った。私も今日は早めにヒッチが出来て、パリを去った。
 2台目の車は、長く乗る事が出来た。フランスの家並みや田園風景を眺めながら、そして野を越え、山を越えて車は走った。
Lyon(リオン)に入る前の山岳地帯から雨が降り出し、薄暗くなって来た。雨の降りしきる山中でも何組かのヒッチ ハイカーがこの車に対して合図を送っていた。しかしこの中年男性ドライバーは彼等を無視して、幾つかの山を越え、峠を下り、リオンへひた走った。この車に400キロ位、乗ったであろうか、今日は本当にラッキーであった。彼はリオン駅前で降ろしてくれて、ユースへ行くバスを教えてくれて去っていった。
 私は2回バスを乗り換えた。私が市民にユースへ行く道を聞いても言葉が通じないので、苦労しながら捜し求めた。午後8時近くになっても、あちらへ行ってウロウロ、こちらに来てウロウロしていると車が走り寄り、「何処へ行くのか」と聞かれた。「ユースを探している」と答えると、彼は親切にユースまで連れて来てくれた。「有難う御座いました」と彼に感謝した。
 今朝、共にバスに乗り、パリの郊外へ出たあの日高(歳は私と同じ位)が先にユースに着いていた。彼は大分、外国慣れした人であると感じた。
 リオンは、パリ、マルセイユに次いでフランス第3位の都会。ローマ時代から既にこの地域に於ける政治・宗教の中心地になっていたらしく、それらの遺跡や大寺院が点在しているとの事だ。又、近年、商業・工業地帯の中核をなしていると聞いている。そんな理由なのか、リオンに入るや工業地帯である事が直ぐ分った。
何れにしてもリオンに折角立ち寄ったのに、それらを観光しないで去るのは、本当に残念であるが、余り道中、立ち寄ってばかりいられない状況であった。