YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ジャガイモ畑の中で立ち尽くす~フランスのヒッチの旅

2021-11-12 09:02:10 | 「YOSHIの果てしない旅」 第7章 ロンドン~アテネ間ヒッチの旅
・昭和43年11月12日(火)晴れ(ヒッチの効率の悪さ)
 イギリス人の彼と共にユースを去り、ヒッチし易いブローニュの郊外の街道に出て、そこで左右に別れた。
 1台目は、1時間半ぐらいしてやっと釣り上げた。2台目はゲットしても直ぐ逃げられてしまった。
この地方は、昼から2時か3時頃まで店を閉じてしまうので、昼食用のパンも買えなかった。今日も腹を空かせてのヒッチの旅。3台目でブローニュから37キロ位パリ寄りのMontreuil(モントルーユ)と言う町に辿り着いた。 
 リックを背負いバッグを片手に持ち、見知らぬ街をトボトボ歩いて郊外に出て、再びヒッチ合図をした。4台目は7キロほど行って直ぐ降ろされた。乗せてくれた車は畑の中に消えて行った。降ろされた場所は何も無い、両側にジャガイモ畑の地平線が見渡す限り広がる畑のど真ん中であった。『フランスの畑は、雄大だなあ』と感心するが、そんな余裕気分は直ぐ吹き飛んだ。
 私1人、何も無い道路端で午後の2時から5時頃までの3時間、立ち尽くした。車は通らず、忘れた頃時折、車が遣って来ても止まってくれず、素通りして行った。パリへの道程は遠かった。辺りは薄暗くなり、不安が過(よ)ぎった。もし止まってくれる車が無ければ、見渡す限りのジャガイモ畑の何処で寝ろと言うのだ。道路端の1か所に留まっていると寂しさと不安で堪らなくなり、歩きだした。しかし地平線の長い道程を人間が歩いて行っても距離的な事を考えたら、たかが知れている。今夜中に何処かの町へ辿り着ける保証は無かった。ただ、不安を紛らわす為に歩いているに過ぎなかった。その事は良く分って承知して歩いているのであった。1時間ほど歩いたであろうか、時刻は既に6時過ぎになり、辺りは真っ暗になってしまった。。
 ここから次のユースまで130キロはある。もう今日は無理であろうから、近くの農家の家に泊めて貰おうかと何度も思った。思っただけで1時間歩いたが、農家らしき家は、一軒も見当たらなかった。
パリまでは、あと250~300キロ先であろう。既に2日費やしてカレーから60数キロ、1日30キロそこそこしか進まないのでは、どうしょうもなかった。フランスでこんなにもヒッチ率が悪く、精神的肉体的に苦労するのでは、シンガポールまでの道程は、余りにも遠かった。そしてその道程に対して私は、『金銭的、肉体的、精神的に持つであろうか』、と言う不安や心配がいつも付き纏っていた。真っ暗になった旅は寂しさ、そして怖さもあった。迷った揚句、今来た道をモントルーユの町まで戻った方が一番良い方法なのだ、と判断した。
 決断した途端、今までと違う反対方向から車が来た。私は暗闇の中を必死にヒッチ合図をした。そうしたら運良く、車は停まってくれた。そしてそのドライバーの好意で、ユースまで連れて行って貰った。
 先程まで寝る場所も決まらず心配であったが、今夜もベッドに寝られて、取り敢えず安心した。幸運と言っていいでしょう。私にはまだツキは落ちていないようだ。 
 ホステラーは私1人であった。広い部屋に1人で寝るのも初めてであり、淋しい気がした。