昨日は母の日と言うことで少し、母の母から繋がり。長いこと開くことはありませんでした。そして解らないことも、人それぞれ、親がいるのは当たり前でも、言うに言えないこともあるだろう。この母の母がすすめたというかねじ伏せ、婚姻、父はこの人でなければ死ぬとまでいったそうです。母には婚約者がいたそうで、この婆さん、写真、軍属を弾き飛ばし、今で言う乗り換え。
母の条件。
山登りは一切辞めること。お手伝いさんをつけること。しかしこのご時世普通立ったようです。父の父もそんな生活。通い、その都度決めていたそうです。家屋に関しては借家が当たり前でもーー大抵は親戚の誰かというように。ところがどっこい職場を追われる。戦中は母の着物で白米に変えていたらしく、婚姻の時、結婚指輪は奴隷制度の名残だといってのける。全て、その調子でした。今回は母についてですからこの辺で
と思いましたが父が平成3年の出来事。
戦争。赤呼ばわりされても、平気だったかどうか、結構強かになってしまったのか?ものしぐさ、南林間時代、私の同級生など母にあいたく立ち寄ったり。顔つき自分は母に似てなく 、ただ子供には活動のことは伏せて降りました。
そして自分の中で思い出と言うものもなく、親戚に如何にできが悪い。なんの仕事してるかも分からないので、私のことをぼやいていたようです。どちらかと言えば自慢できない。恥ずかしいの一念。認められなかった人間は死ぬまで卑屈の殻の中。
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