少しずつ
の続きどんなことをしても時間はかかりました。担当弁護士ののらりくらり。自治体担当はいまにしておもえばこの事が功を奏したそんな気がしています。
私はとんでもない穴に入ってしまいました。いくつも重なる出来事の中で自分を見失って。薬に頼ってと言っても漢方処方ですが。不思議な空間に入り込み。
編み掛けけセーター編み目違いをどうするか迷うようにほどくしかありません。
そしてお約束していたカンパも出せそうです。
例のハッキング不正で被害には会いましたけど本日VISA引き落とされ、広告など出してないのにFB引き落としは回収できないしくみになっている。この事にとらわれすぎて心がぐしゃぐしや
このことは金額というか例の法律事務所の対応のお粗末さ。このことは後程詳しくかきおこしていきます。
自治体弁護士から丁重なお手紙を頂きました。あれは詫び文なのかしら。でもまだ!だぞ
もちろん口車からも頂きました。本当に長かった。
左、右に揺れてそれでもこんな時記憶も薄れ、泣くこともできず、氷の中、会話の断絶の中。ドツボにはまって 気がつかないふりをしなければ
私だけではないと分かっている。知ってる。我慢してる。
この後
沢山、餌画像 UP予定 レイアウトは大切だと思っています。そして拘って 冒険 傷つけた人にはわからないでしょうね。
相手は人間ではありません。自治体になります。
掘り起こせば母方、異母兄弟の妻がなくなった後。何の権利もなく利益を貪る。親戚云々で、公表は避けておりました。単に4年といいますがこの間、別のことで身に降りかかる、嫌がらせといいますか関係ない所から入り、世界中が大変な事に見舞われている最中、自己中心的な嫌がらせはエスカレートするばかりで、それでも裁判結果は当初、一年か2年で結果がでるとのことでしたが。やっと結果が出た。この間取り下げようかと何度も思いました。先の予定が立ちませんでしたから。
その叔母とは今の自分と立場が同じ、法定相続人のいない人でした。そしてこの亡くなった後、私は生田、墓参りを兼ねて彼女が生きていた頃、立ち寄たり。亡くなった後、近くに一間のアパート。住んでいた住処の経費を払い、一時使用していたこともありました。しかし自分の従弟に当たる人間が利益を得るために札幌別荘を賃貸し預金通帳が突然送り返されてきたり、その他どの様に取り扱っていたか詳細は知りません。
叔父さんという人は宮崎大学の先生でした、若い人に対し教育熱心で高校の教師、転職、家永裁判にもかかわっており、いつからかNHKの世界史に対しての講座担当していた時期もあり。勉強熱心、ロシヤ語、フランス語 単語帳作って持ち歩いていた。身寄りのない叔母と結婚したのはかなり遅い時期でした。どうも過去をさかのぼるとその当時妾の子供か父親、籍空欄。弟がいたといいますが死亡推定という内容、海で遭難 そんなふうに彼女は言っていましたが。何時のころからか向島の置屋さんにいたようです。叔父の勉強会で知り合ったらしい。変に色気があったり。叔母が不利になろうが守る強さにはこんな事情があったのだろう。
叔父と父は仲良かったようですが。父はこの人、嫌っていましたパン捏ね被膜
私は仏壇に興味はありませんが 何の因果かしれませんが いずれにしても自分も餌食二なるだろう予感。それでも心筋梗塞、北海道を訪れてもいたようですそれも理由付けですかね?
昔の人だから故郷に対する思いは一入。自分の生まれたルーツは有っても上手に思い出をつたえることが出来なかったのかもしれません。
語れば尽きない。
相手は人間ではありません。自治体になります。
掘り起こせば母方、異母兄弟の妻がなくなった後。何の権利もなく利益を貪る。親戚云々で、公表は避けておりました。単に4年といいますがこの間、別のことで身に降りかかる、嫌がらせといいますか関係ない所から入り、世界中が大変な事に見舞われている最中、自己中心的な嫌がらせはエスカレートするばかりで、それでも裁判結果は当初、一年か2年で結果がでるとのことでしたが。やっと結果が出た。この間取り下げようかと何度も思いました。先の予定が立ちませんでしたから。
その叔母とは今の自分と立場が同じ、法定相続人のいない人でした。そしてこの亡くなった後、私は生田、墓参りを兼ねて彼女が生きていた頃、立ち寄たり。亡くなった後、近くに一間のアパート。住んでいた住処の経費を払い、一時使用していたこともありました。しかし自分の従弟に当たる人間が利益を得るために札幌別荘を賃貸し預金通帳が突然送り返されてきたり、その他どの様に取り扱っていたか詳細は知りません。
叔父さんという人は宮崎大学の先生でした、若い人に対し教育熱心で高校の教師、転職、家永裁判にもかかわっており、いつからかNHKの世界史に対しての講座担当していた時期もあり。勉強熱心、ロシヤ語、フランス語 単語帳作って持ち歩いていた。身寄りのない叔母と結婚したのはかなり遅い時期でした。どうも過去をさかのぼるとその当時妾の子供か父親、籍空欄。弟がいたといいますが死亡推定という内容、海で遭難 そんなふうに彼女は言っていましたが。何時のころからか向島の置屋さんにいたようです。叔父の勉強会で知り合ったらしい。変に色気があったり。叔母が不利になろうが守る強さにはこんな事情があったのだろう。
叔父と父は仲良かったようですが。父はこの人、嫌っていました
パンコネ皮膜
私は仏壇に興味はありませんが 何の因果かしれませんが いずれにしても自分も餌食になるだろう予感。それでも心筋梗塞、北海道を訪れてもいたようですそれも理由付けですかね?
昔の人だから故郷に対する思いは一入。自分の生まれたルーツは有っても上手に思い出をつたえることが出来なかったのかもしれません。
語れば尽きない。
続きます。大事な事も