白洲正子と無意味な世界
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌えいづる春に
なりにけるかも 志貴皇子
の歌を白洲さんは無内容だから好きだと書いておられるそうで、
(花にもの思う春-白洲正子の新古今集)
「無内容とは、意味とか観念とか意識とか思想とか
そういうものを全部取り去った後、おのずから
満ちてくるもので、それは音楽のように気持ちよく
流れるものであり、消え去った後には汲めどもつきぬ
泉の豊かさが残る--山本健吉」の箇所心に残りました。
なんだかまた聞きのまた聞きのまた聞きみたいですが-----。
この場合又読みの又読みの又読み---。
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌えいづる春に
なりにけるかも 志貴皇子
の歌を白洲さんは無内容だから好きだと書いておられるそうで、
(花にもの思う春-白洲正子の新古今集)
「無内容とは、意味とか観念とか意識とか思想とか
そういうものを全部取り去った後、おのずから
満ちてくるもので、それは音楽のように気持ちよく
流れるものであり、消え去った後には汲めどもつきぬ
泉の豊かさが残る--山本健吉」の箇所心に残りました。
なんだかまた聞きのまた聞きのまた聞きみたいですが-----。
この場合又読みの又読みの又読み---。