~長文につきご注意を~
彼の突然の訃報が届いたのはこの年明け、1月に入ってすぐのことだった。
彼というのは現役の歯科医師で岩手県M市に住むS氏のこと。
アメリカの大学でPh.D.つまり医学博士号を取ったほどの優秀な歯医者さんだった。
S氏は実に多彩な趣味を持つ男だった。カメラ、アマチュア無線、ドローン操縦、
地元のイベントでは音響担当で自前のPAを操作、映画見るのも大好き。
車はジープからクラシックカーのスバル360まで、バイクは外車ばかり何台も、
トライアル用だけでも複数もっていた。
山でスキー、海ではジェットスキーやSUP(スタンドアップサーフィン)。
周りの人間にも教えたSUPは中年を迎えて体重の増加を気にして始めたようだった。
食べ歩きは毎週 自身の歯科医院のスタッフを引き連れ市内の様々な飲食店で昼食を楽しんだ。
自分で料理するのも好き。
ロック音楽も好きで訃報が届いた数日後にお互い好きだったギタリストのジェフ・ベックも亡くなり、
僕は二重に悲しかった。
そんな彼との馴れ初めとは、30年近くも前のインターネット上でのことだった。
今では死語となったがあるメーリングリスト(ML)のメンバーになった時から。
メーリングリストというのはインターネット普及の初期に情報交換の手段として広まったもの、
当時は同じ趣味を持つ同好の士が集まる唯一の場。
僕たちはトライアルというオートバイの競技を話題として集っていた。
今と違って本名をはじめ自分のプロフィールはあまり公開しないのが普通で匿名性が
インターネットでは売りのひとつだった。
なので自分たちの名前もハンドルネームというものを使用、「ドカ」さん「土偶」さん、とかね。
彼のハンドルネームは何だったっけな。
一人が発信する情報は参加メンバー全員へ伝わり、反応した人が返信したり意見を述べるというもの。
発信が一切なくやり取りを見ているだけの人をROM(リードオンリーメンバー)とか呼んでいたっけ。
インターネット上なので日本語でのやりとりできる日本各地の人間が参加できた。
大体が新しいもの好きでトライアルが好きとなるとかなり似たような性癖の人間たちで
トライアルができる環境に居るのでちょっとした話題でも大いに盛り上がることができた。
S氏は昼間でもつまり診察中でもパソコンの画面を覗いていたらしくメンバーの中でも頻繁に投稿していた。
自分も毎日会ったこともないメンバーとコアな話題でのやりとりは楽しく、
毎日仕事帰りにそのメーリングリストの配信を見るのがとても楽しみだった。
各県に一人あるいは数人程度の参加だったと思う、つまりかなりのレアメンバー。
実際にMLのメンバーと会うことになったのは各地のトライアル競技会場でのこと、
今と違って公道を使って走るトライアルも全国で数多く開催されていたので
いろんなところでいろんな人と会うことができた。
S氏と実際に初めて会ったのは1995年岩手の「イーハトーブトライアル大会」、
ともに初心者のネリ部門への参加だった時、お互いへたっぴーで、、、ヘロヘロで
でも楽しかったのだけは覚えている。
次に会ったのは多分トライアル世界選手権が日本で初めて開催された1999年栃木県の「ツインリンクもてぎ」。
友人からもらったとかいうオンボロのワゴンでやってきていた。
当時のもてぎはキャンプもできて、それもまた和気あいあいと面白かった覚えがある。
確か山形県のツーリングトライアル大会でも会ったはず。
その後は、そう2011年3月にそれぞれ地元が大津波で大変な被害にあって、
自分は死にかけて九死に一生を得た。人生もいろいろと変わってしまった。
そんなこんなで2015年5月にS氏が突然当地へ現れて、近くの飲食店で会食をして、
いろいろ励まされたりして、、、あの時はありがとね
その日のうちに宮古へ帰って行ったっけ。
後はFacebookとかのSNS上の付き合いで、
たまにイーハの大会で選手出場した時に実行団の隊員としてのS氏にあって世話になったり、
S氏が選手として出場した時はSNS上で見かけていたりした。
日頃はとても健康そうで、活躍していて、若々しくて、、、恨めしい程だったのに。
人生はああ無常、もう彼の姿を見ることが出来ないのは本当に残念でならない。
今はご冥福を祈るばかりです。R.I.P
あちらに行った時にはまた遊んでね、じゃ、少しの間バイバイ。