質問者:ハイル禅師 ある書物で御魂に従って生きると
必ず最終的には幸せになれるとありましたが
具体的にはどういう意味でしょうか?
私:神は身の内にありという言葉がありますが
人の御魂は神の分魂であるから御魂の意識に
沿って生きないと人生が行き詰ってしまいます
人間は自分の心がしたい事と(異性やギャンブルに
はまり込む等) 御魂がやりたい事(徳を積む・
善行を行う)という行為が乖離している場合が多い
孔子の有名な一節に「十有五にして学に志す
三十にして立つ・四十にして迷わず・五十にして天命を知る
六十にして耳順う・七十にして心の欲するところに従えども
矩(のり)をこえず」という言葉があります
これを私自身に当てはめると十歳若く悟っておりますが
つまり四十にして天命を知ったからであります
七十にして心の欲するところに従えども・・とは
自分のやろうとした事が御魂の声と一致する行動に
なってきたという意味です
要するに間違いなく善なる行いになっており
自分の心と御魂の和合を述べた境地になっている訳です
御魂の声が聞こえ無い人は酒浸りで仕事をせず
身内に迷惑ばかり掛けるという感じだが
こういう人は幸せになれません
必ず最終的には幸せになれるとありましたが
具体的にはどういう意味でしょうか?
私:神は身の内にありという言葉がありますが
人の御魂は神の分魂であるから御魂の意識に
沿って生きないと人生が行き詰ってしまいます
人間は自分の心がしたい事と(異性やギャンブルに
はまり込む等) 御魂がやりたい事(徳を積む・
善行を行う)という行為が乖離している場合が多い
孔子の有名な一節に「十有五にして学に志す
三十にして立つ・四十にして迷わず・五十にして天命を知る
六十にして耳順う・七十にして心の欲するところに従えども
矩(のり)をこえず」という言葉があります
これを私自身に当てはめると十歳若く悟っておりますが
つまり四十にして天命を知ったからであります
七十にして心の欲するところに従えども・・とは
自分のやろうとした事が御魂の声と一致する行動に
なってきたという意味です
要するに間違いなく善なる行いになっており
自分の心と御魂の和合を述べた境地になっている訳です
御魂の声が聞こえ無い人は酒浸りで仕事をせず
身内に迷惑ばかり掛けるという感じだが
こういう人は幸せになれません