東京で生まれ育ち、両親は、福島県出身。東北訛りの消えない家庭で育った。
滑舌の悪さはともかくとして、東北出身ですかと、訛りを指摘されたこともあった。
こんな私が、近松を語るのは、やはり無理難題であるとは、最初からわかっていた。いつか近松を語りたいという夢を叶えた。どっぷりと浸かりはじめた去年夏、関西アクセントに違和感を感じると指摘を受けた。以来の苦しみは、なんと表現していいのか、わからない。いろんな事に託けて、ああだこうだと、このブログでも愚痴を書いている。
しかたのないこと、では、済まない。なんとかしなきゃ、と焦った。神戸出身の読み聞かせ仲間に、関西訛りの抜けない人を見つけた。頼み込んで、指導を受けている。さすがに、語りをしようとする人だけに、近松への理解も表現したい気持ちも、よく分かり合えて、助かっている。実は、初対面だった。素話を聞いて、よし、と思った。間違いなかった。今日も勉強してきた。良い人に出会えて、本当にありがたいことだと思う。
それでだ。嬉しい報告なのだ。
関西ことばが、少しは上達しているではないか!!
ただがむしゃらに、譜面を追うように、外国語を習得するように恐る恐る発していた去年の言葉とは、明らかに違っていることに気付いた。
自分にご褒美!!
泣きたいくらい嬉しくなった。もちろん、まだまだですよ。でも、成長しているのだ。変化しているのだ。やめてしまわなくてよかった。続けるものだ。
近松、10年は続けます、と誓った。もう、5年目。まだ、5年目。
成長を、自覚した。さあ、ぐいぐいと、稽古するぞ。
ほんの小さな光が、見えてきた。きっと遥か遠いのだろうな。でも、真っ暗闇じゃないんだ。明かりの向こうに、何があるかなんて、よくわからない。とにかく、道はあるようだから、歩いていこう。
去年までは、真っ暗闇にいるのだってことさえ、わからなかった。真っ暗闇になっても、死んではいなかった。まだ、暗闇には違いない。でも、生きている。私も、私の中の近松も。
なんて屁理屈を並べている暇があったら、稽古をしなくてはね。
滑舌の悪さはともかくとして、東北出身ですかと、訛りを指摘されたこともあった。
こんな私が、近松を語るのは、やはり無理難題であるとは、最初からわかっていた。いつか近松を語りたいという夢を叶えた。どっぷりと浸かりはじめた去年夏、関西アクセントに違和感を感じると指摘を受けた。以来の苦しみは、なんと表現していいのか、わからない。いろんな事に託けて、ああだこうだと、このブログでも愚痴を書いている。
しかたのないこと、では、済まない。なんとかしなきゃ、と焦った。神戸出身の読み聞かせ仲間に、関西訛りの抜けない人を見つけた。頼み込んで、指導を受けている。さすがに、語りをしようとする人だけに、近松への理解も表現したい気持ちも、よく分かり合えて、助かっている。実は、初対面だった。素話を聞いて、よし、と思った。間違いなかった。今日も勉強してきた。良い人に出会えて、本当にありがたいことだと思う。
それでだ。嬉しい報告なのだ。
関西ことばが、少しは上達しているではないか!!
ただがむしゃらに、譜面を追うように、外国語を習得するように恐る恐る発していた去年の言葉とは、明らかに違っていることに気付いた。
自分にご褒美!!
泣きたいくらい嬉しくなった。もちろん、まだまだですよ。でも、成長しているのだ。変化しているのだ。やめてしまわなくてよかった。続けるものだ。
近松、10年は続けます、と誓った。もう、5年目。まだ、5年目。
成長を、自覚した。さあ、ぐいぐいと、稽古するぞ。
ほんの小さな光が、見えてきた。きっと遥か遠いのだろうな。でも、真っ暗闇じゃないんだ。明かりの向こうに、何があるかなんて、よくわからない。とにかく、道はあるようだから、歩いていこう。
去年までは、真っ暗闇にいるのだってことさえ、わからなかった。真っ暗闇になっても、死んではいなかった。まだ、暗闇には違いない。でも、生きている。私も、私の中の近松も。
なんて屁理屈を並べている暇があったら、稽古をしなくてはね。