武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

どくだみの花を見ながら考えた

2006年06月14日 00時04分26秒 | Weblog
闇の中も良いね、と書いた。

今日も庭へ出てみた。

真っ暗闇では、白い花は、ぼおっと浮かび上がりはしない。

どこかからの、微かな光を受けて、白い色が、浮かび上がるのだ。

真っ暗闇では、何も見えない。

幼い頃、目の弱い私は、盲目になることを、恐れた。目を瞑っては、最も恐怖と感じている世界に、浸かった。押入れの中で、目を閉じて、じっと動かない。

盲学校へ行き、自分は目が見えるのに何も役に立てることが出来ず申し訳ないと、その学校の先生に言った。今考えると、何を無茶なことを言っているのだろうと恥ずかしいばかりなのだが、結局、当時と何も変わっていない。何も出来ずに、おろおろとしている。手を差し伸べることも出来ない。不器用だから、を言い訳に、見ているだけ。

昨日、老人介護施設に、行った。お年寄りの皆さんと、お茶を飲んだ。何を話せばいいのかがわからず、困った。何をして欲しいのか、察することが出来ずに、ただ呆然としていたような気がする。自分の親のことしか知らない。

それぞれが、何十年もの人生を背負って、そこにいる。記憶も言葉も失っていても、それぞれの表情に刻み込まれた年輪から、人生を垣間見ることが出来る。

自分自身も、老いていく。大切にしている思い出さえも、忘れていくのだろう。
生きていた証を、残したい?無に帰る序章としての健忘なら、素直に受け入れて、ひとつずつ、捨てていかねばならないのだろうか。いずれくる、本当の闇に向かって、準備を始めねばならないのだろうか。

語りをする。何も残らない。私がなくなったら、私の語りも、なくなるのです。それでも、かまわない。ただ、「語り」というものは、残っていきます。残ってほしい。何のために語るのか。語りが廃れてしまわないように、語る。語りは良いもんだ、ということを、後世に伝えるため。


ここに、偉そうに書き込みをすると、自己嫌悪でいっぱいになる。何度も、同じようなことを、中途半端に書いている。まとまりのない考えは、きっとずっと、まとまりのないまま、終わるのだろう。それでも、良いかな、とも、時々思う。これが、私のありのまま。





コメント
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