武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

たびたびの、旅 その3

2006年08月13日 14時24分43秒 | Weblog
7月の京都、8月の紀州、とたて続きに出かけました。
一番手のかかる娘の、修学旅行や短期留学にあわせて、予定を組みました。

母業をおろそかにしては、なりませんものね!

さて、瀧との熱い出会いのあと、新宮にある熊野本宮を参詣。帰りのバスの車窓から、すぐ下を熊野川の緩やかな流れ。川底の石の一つ一つが、くっきりと見ることが出来ます。
4日間の旅の最終日、という感慨と疲れで、人もまばらなバスの中で、一人。淋しかった。

このような、状態の時に、もしも仲間がいてくれたら、この孤独感は、帰宅するまで、感じずにすんだだろうか。
もしも、これはありえない話だけれども、恋人が隣に座っていたら、この孤独感は、帰宅してからも、感じずにすんだのだろうか。

旅の終わりは、切ないものです。現実から、熊野のような非現実の世界に触れてしまい、再び現実に引き戻されてしまう。でも、終わりのない旅などないのだから、素直におしまいを受け入れなければ、次の旅が出来なくなってしまう。

空を飛ぶことを覚えてしまった籠の鳥。

私は、何も知らずに生きてきました。どこに興味を持つでなく、世界のどんなところに、美しいものがあるのか、知る気もなく、映像を眺めていれば充分と、思っていました。どんな風景があったとして、それがなんなの?人は人、よそはよそ。

大きな間違いに、今頃気付いています。本を読んでも、映像を楽しんでも、遠くから眺めるだけでも、駄目。まずは、出かけて、見て、触れて、初めてわかることがあり、実は、それが最も大切だと言うこと。

嗅覚を、いつも鋭く。そして映像になりえない部分を、探す。風景であったり、会話であったり。そこいらに寝ている、猫だったり、魚屋のおじちゃんとおばちゃんの仲を詮索してみたり、地元のおばちゃんの人生を想像してみたり…。バスのシートに描かれたいたずら書きに、どんな思いの若者が、傷心の旅にこの地を訪れたのだろうと、思いを巡らし…。

自分の目で、見ること。五感を使って、景色を感じること。すぐに失われてしまう記憶だとしても、必ず、潮の匂いも、肌に感じた滝壺の空気も、どこかに残るはず。
歴史はよくは、わからないけれども、熊野本宮のたたずまいも、長い時間の流れを感じることが出来た。
古道を黙々と歩き、参詣をし、滝壺に祈り、またそれを伝えた比丘尼の存在。

神聖な場所に、触れてしまい、わが身を省みた時の、情けない気持ちは、例えようもないほど、みじめでした。

つづく
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たびたびの、旅 その2

2006年08月12日 07時26分45秒 | Weblog
八月に入ってから、計3泊の旅、いろんなことがありましたが、4日目のことを書きます。

早朝から、熊野古道を歩き、熊野大社に出、那智の瀧へと向かいました。この瀧は、何故か以前から、どうしても行きたい場所でした。大社から遠く眺める瀧は、緑の山々に埋もれて、静かでした。近くに!もっと近くに!水蒸気(というのかな?水しぶきではない)を肌に感じるところに立つと、まるで瀧にいだかれているような感覚になります。近くで見るその姿は、大蛇のよう、いえ、もっと大きな、悲しみ叫んでいる、龍のようでした。あら?サンズイを付けると、瀧なのね?
急流には、龍が棲むのかしら。龍のような姿の瀧ばかりではないはずだもの。群馬県の吹割の瀧は、やはり素晴しかったのだけれども、龍のイメージは湧かなかったなあ。(まるで、ナイアガラのような、瀧でした。最近訪れた人が、水量が少なくなった、と嘆いていました)

つづく





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たびたびの、旅

2006年08月11日 19時17分15秒 | Weblog
大津と京都の旅。
夜行バスで、ひとり京都に向かう。久しぶりの京都に、あれまあ、と感激しながら、まずは大津の図書館で用事を済まし、再び京都へ。とにかく、歩きました。ずうっと、歩いた。
お昼はちょっと豪華に、否、とても豪華な懐石をいただきました。広すぎるお部屋から、庭を眺めつつ、仲居さんの京言葉に聞きほれていただく料理は、最高でした。
白川の、情緒あふれる橋の上で、柳のそよぎを聞きながら、昔の色街の風情に思いを馳せる…。
夕方、大津に戻ったのですが、電車を乗り違えた!! やっちゃった!!
でもね、知らない街の風景は、心に残るものでした。小さな駅で、戻りの電車を待つ時にも、心細さより、わくわくを、感じました。

次の日朝、再びの用事を済ませ、三井寺に。無邪気に鐘を突きました。鬼子母神の像を拝観できなかったのは、心残りでしたが、絵葉書を買って、あきらめました。この潔さを、もっと、良い方向へ生かしたいものですね。

さて、この日のうちに帰るのだけれど、もういちど京都を歩きたい!?という執念でぎりぎりまで、徘徊しておりました。
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夏の語りの会など、報告

2006年08月11日 18時46分05秒 | Weblog
五つの場所で、毎週のように、語りの本番を重ねました。
内4箇所で、冥途の飛脚、1箇所で曽根崎心中を語りました。
最後の会、これは、地元の寺の本堂をお借りして、語ったのですが、久しぶりに、大入りでした。初めて聞いてくださる方が多かったのですが…実はね、前日に、地元ミニコミ誌の人物紹介に、どおんと大きく載ったのです。嬉しいと言うよりも、恥ずかしくて。事実と異なる記載があっても、いちいち訂正はできなくて、記事だけが一人歩きする。いいような、…複雑な気持ちです。でも、おかげで、お客様が大勢みえましたから、やはり、よかったのかなあ。

とにかく、忙しい日々でした。語りの準備に、娘の旅支度、息子の失業と求職活動、その他色々で、ひと月で何か月分も考えたり悩んだりしました。

全部、終わりました。すべて片が付くというのかな。

すっきりしたから、ブログにも戻れた。

着実に、みなが、良い方向へ、進んでいる。

しあわせです。






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香多里亭の同窓 さん ありがとう!!

2006年08月11日 17時59分29秒 | Weblog
まだ、1ヶ月たってませんね。お久しぶりです。
おしまいを宣言してから、昨夜初めてブログを開きました。
そしたら、なんと!同窓さんから、あたたかいコメントが入っているではありませんか。
どうしよう、どうしようと、考えました。とても嬉しい。けれども、また始めるためには、それなりの勇気が必要だぞ、と迷いました。書きたいことは、たくさんあります。語りの会もひと段落し、この間に2回も旅をしました。
また、始めようかな。読んでくださる方が、いてくださるのだから。更新をしていないのに、訪れてくれたみなさん、心から感謝します。

また、よろしくお願いします
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