1年前の今夜は帰宅難民となってた私はひっきりなしに訪れる余震に怯えまくってました。一応お風呂にも入れたし、食事もとれたし、テレビもずうっと見てましたけどね。明日はちゃんと帰宅できるだろうかと、家は大丈夫だろうかと、もうそればかり考えてました。うとうとすると、ぐらぐらっときて、それでも緊張してるせいか、ほとんど眠った気がしませんでした。
後だしじゃんけんみたいですが、昔、子供の頃から時々見てた夢があるんです。「将来の夢」とかじゃなくて睡眠時に見る夢の方です。
私は千葉県の海の傍の観光と漁業と農業の町に生まれ育ちました。私の家はサラリーマンでしたけど。
学校から海がよく見えましたし、川の傍に学校がありました。クラスには漁師さんの子も何人もいました。漁港に遊びにいったりすることもよくありました。今住んでる町も、漁港があります。漁港なんてどこも似たり寄ったりです。
で、その「夢」なんですが、どんよりとした曇り空で、海は鉛色にうねってるんですが、その波が漁港をめがけて押し寄せてくるんです。台風とも違う感じで・・・港やその後ろに立ち並ぶ漁師さんの家々の間を波が洗ってゆくんです・・・・。金槌の私としてはかなり怖い夢でした。溺れることは即、己の死を意味しますから。で、目が醒めて、ああ、良かった夢だった・・・怖かった~でも、よく考えればあんな大きな波、来るわけないじゃん!となるんですが・・・・。大人になったら見なくなりました。
鉛色の大津波に呑みこまれる東北の漁港の映像を見たときに、子供の頃見た、あの大波を被る港や猟師町の夢を思い出したんです・・・。あんな大きな波が本当に押し寄せることが現実に起こって、映像として記録されてるわけで・・・
ただ、東日本大震災と言われてる割には、被害にあった茨城県や千葉県の扱いがまるで無かったことにされてるみたいでそりゃないでしょうと、友人の実家が茨城なんですけど、その年の1月にお父さんが亡くなってお母さん一人で暮らしてたら、屋根瓦が全部落ちてしまって、元に戻すのに150万かかるのに保険では15万しか出ないとか言われがっかりするやら、震度6の余震に怯える日々を送ったりとか(友人は電車が動いてないので車で駆けつけてお母さんと一緒に過ごしたそうです)
私の好きな、北茨城市の五浦海岸にも津波が押し寄せて六角堂が流されてしまったりとか、行っておいて良かったですが余りにも残念すぎます。亡くなった方だっているのに。千葉県の飯岡だって津波で何人も亡くなっていて、海岸はいまだにめちゃめちゃなままだし・・・
昨日は息子と幕張まで部屋を探しに行ったのですが、JR海浜幕張駅前が工事中で、息子が「これって災害復旧工事中ってこと?」と訊くので「そーゆーこと。ここらへん液状化で凄かったから。まだ震災は終わってないのよ」と答えたのでした。
これだけ記録が沢山残されてる震災はやはり時代のおかげでしょうね。でも無かったことにされちゃってる茨城や千葉のことも思い出してもらえたらと思います。