お人形と同じ部屋で寝起きしている私

お人形好きでけっこう沢山持ってます。専用ブログもあります。こっちでは家族と猫2匹と他の趣味や暮らしぶりなど語ります。

生命の循環

2012-12-12 23:58:11 | 冠婚葬祭
母が9日に他界し10日は通夜でしたが、この日の朝に長男に子供が生まれました。
こういう状況なので孫に会いに行くわけにもいかず、けっこう難産だったらしくて帝王切開となりましたが、今は便利な世の中ですので、携帯のメールに添付して写真を送ってくれたのを見たら「おお!〇〇(息子の名前)がここにいる!」生まれたばかりの息子そっくりの顔をした男の赤ちゃんでした。

母の命日と孫の誕生日が一緒だったら困るなあと思ってたので、一日違いでまあ、ほっとしたというか。

ただ心残りなのは、母には私が息子を産んだ時に実家でとても世話になって、赤ちゃんだった息子をとてもかわいがってくれてたので、あとは兄方の曾孫が全員女児なので(三人います、うち双子が一組)自分が世話をした孫にそっくりな曾孫の顔を見せてやりたかったな~と、それが残念でなりませんが、できれば、実際に顔も見せたかったな~とか、贅沢を言えばきりがありませんね。

母も12月生まれなので、あら、私と同じ誕生日だったらすごいわね~と言っておりましたが、なかなか出てこなくて、予定日を1週間過ぎて、お嫁ちゃんは入院し、赤ちゃんの心音をモニターしながら、陣痛に苦しんでたようですが、陣痛の中で、赤ちゃんの心音が弱くなってきて、急遽帝王切開という形になってしまい、難産の末に出てきた子なので、お嫁ちゃんには、もう感謝の気持ちしかありません。明日、会いに行くのですが、本当に「大変な思いをさせてしまってここまでして孫を産んでくださってありがとう。」としかかける言葉がありません。

今日、水曜が友引なのでそれまでに終わらせようと、母の葬儀は悲しむ間もなく過ぎ去ってしまって、あんまりなので、四十九日までお骨は実家にいてもらうことにして、年明けに埋葬することになりました。父が珍しく「四十九日まで置いとかっしぇ」と自分から言ったのです。

まだ若い納棺師さんたちが母の顔をきれいに本当に眠ってるように戻してくださって(おくりびとでメジャーな職業になりましたが)母の身支度を家族で整えて、お棺に納めて、蓋をするときに図らずも、初めて母がもう目を醒まさないことを自覚した私は、まるで子供のように、大声で泣いて、蓋を閉めるのを嫌がったのですが、それだけ彼らは完璧に生前の母の寝顔を再現してくれたのです。私はまだ生きてる母をお棺に詰められるようで、本当に辛くて切なかったのです。でも子供のように思いっきり人前で泣いて、心が落ち着きました。我慢はよくないですね。ある意味、自分でみっともない取り乱し方をして、気持ちにけりをつけた気がします。無意識にですが。

一晩で死と誕生を身に受けた私は、もう、母の死を認めざるを得なくて、「ああ、逝く命があるから、こうやってこの世に生まれてくる命があるのだ。それが命の理なのだ」と実感した二日間でした。従兄弟には亡くなった翌日に生まれたんだ。生まれ変わりだねぇと慰めていただいたのですが、男の子ですし・・・。でも命は、母から私へ、そして息子に受け継がれた遺伝子はそうやって繋がっていく。決して途切れはしないのだと、だから、私は、息子達や姪甥たちに、そして、私の孫の中に母の存在を感じていれば、それでいいのだと思えるようになりました。

母の葬儀の日は、穏やかな天気で朝こそ寒かったですが告別式が始まる頃には、暖かい日差しに包まれて、お客様たちをお帰しすることができて、本当に良かったです。

さて、明日は孫に会いに上京です。早く寝るつもりが。もう寝なくては。
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