中国貴州省とそこで暮らしている苗族トン族等の少数民族を紹介しています。

日本人には余り馴染みのない中国貴州省と、今私が一時滞在中の雲南省や大理白族自治州大理古城について

大理州魏山県南詔鎮で明朝時代の建物が焼失

2015年01月04日 | 雲南省

雲南網(電子版)等に拠れば、1月3日午前2時50分頃雲南省大理州魏山県南詔鎮にある明王朝時代に建築された拱辰楼から失火し、建物全部がほぼ全焼したとの事です。今回の火災でほぼ全焼した拱辰楼は明王朝明の洪武二十三年(1390年)に建築され元々は三層だったそうですが、永歴三年(1648年)改修工事が行われた際に、二層となり現在に至っていたそうです。長さ約47メートル、幅約26メートル、高さ約8メートルの大変壮麗な建物だったそうですが、残念な事に今回の火災で、明王朝に建てられた約600年の歴史がある建物は、ほぼ焼け落ちてしまったそうです。

私が、最初に魏山県南詔鎮を訪れたのは2011年の冬ですがこの南詔鎮は、特に気に入りその後12年、13年と毎年の様に訪れていました。最近は魏山県南詔鎮も 中国人の間では結構有名な観光地となり、訪れる中国人や外国人観光客も結構多い様ですが、2011年頃は、この古い町を訪れる観光客も、左程多くなく大変静かで古い町並みの残る処でした。今回の火災で南詔鎮の象徴ともいうべき「拱辰楼」が焼け落ちた事は誠に残念です。幸いと云うべきか、この「拱辰楼」が焼失しただけで、他の建物等への被害は全く無かったとの事です。


今回の火災でほぼ全焼した明王朝に建てられた「拱辰楼」。門の内側から摂った写真。門の上には、「茶館」があり、南詔鎮を訪れた際には、ここで良く「お茶」を飲んでいました。魏山県の彜族が飲むお茶は「焼茶」と云う焙茶です。また、この茶館には、彜族に関係する本や南詔鎮を紹介する本等も置いてあり、ここはお薦めの場所でもありましたが、残念ながら焼失した様です。時々彜族の音楽の演奏も、この二階で行われていました。


こちらの写真は「拱辰楼」の正面からの写真。門の前は広場になっていて、この広場で最近は、観光客向けの色々な催しも開かれていた様です。拱辰門は北門との事です。夜になるとこの広場の周辺には屋台も出ます。


魏山県は元々彜族の自治県と云う事もあり、当然彜族が多い。南詔鎮に住む彜族。


この地域を中心に起こった「南詔国」は彜族が中心になって打ち立てた王国との事です。


この地域では、同じ彜族でも幾つかの支族があるとの事です。



今回明王朝時に建築された約600年もある歴史的建造物が火災で焼失した事で、改めて歴史的建造物の保護の問題点が指摘されている様です。中国中央TV等でも、この歴史的建造物が火災で焼失したニュースを報じると共に、昨年1月に起きた雲南省香格里拉古城の大火災や、同じく昨年貴州省鎮遠県報京村(このトン族の村も数百年の歴史ある古い村で、3月3日節と云う祭りは特に有名で、私も何度か訪れた事があります。)の大火災等を取り上げ、相次ぐ火災から如何に歴史的な遺産や文化財を守るか問題視しています。

魏山県南詔鎮は、大理州からも近いので、お薦めの処と思います。麗江や大理古城がすっかり、その姿を変えた今、古い町並みが残り、訪れる観光客もそれほど多くない南詔鎮は、お薦めです。「拱辰楼」は焼け落ちたものの、古い町並みは残っています。大理州の大理州興盛路客運駅からバスで一時間強で行く事が出来ます。日帰りも出来ますが、矢張り一泊する事をお勧めします。ここ南詔鎮の、色々な小吃は有名で「一根麺」や「巍山扒肉饵丝」は特に有名です。大理古城でも良く見かける「巍山扒肉饵丝」は、その名の通り魏山が本場です。


魏山県南詔鎮への行き方。

大理州興盛路客運駅から15分に一本の割合でバスが出ています。所要時間は約1時間20分。11元。約60キロ。朝7時30から19時迄バスがあり。日帰りも出来ますが宿泊する事をお勧めします。










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