よく知られている様に中国では、小麦を主に主食にする地域と米を主食にする地域に大まかに分けられる様です。山西省、陝西省、河南省、山東省等黄河流域は小麦で出来た麺や小麦を加工した万頭等が良く食卓に上るようです。中国では小麦で加工した食べ物を俗に「麺食」と云い、所謂ラーメン、刀削麺等の麺類と餃子、万頭、包子、餅(bing)等の小麦を加工した食べ物を合わせて麺食と呼ぶようです。中国には餃子も、水餃子、焼き餃子、蒸餃子と三種類ありますが、日本の様にご飯と一緒に食べると云う様な食仕方はしない様で、水餃子だけ、蒸餃子だけ、焼き餃子だけで食べると云う様な食べ方をします。
長江流域の浙江省、湖南省、湖北省及び中国の西南地区に位置する貴州省、雲南省、広西省チワン族自治区等では、米が主食ですが、米の加工品である米線や餌塊、餌絲も良く食べられています。私が以前から気になっていた事は、元々米が主食のこれらの地域で何故米で出来た米線が良く食べられる様になったのかと云う事でした。
中国中央TVで放送された「一城一味」と云うドキュメンタリー番組を観ていたら、その番組の中では、「元々小麦を主食にしていた黄河流域に住む民族が、中国では「五胡華乱」と呼ばれる時期等に戦乱を逃れ南下して貴州省や雲南省に定住した後、故郷の麺を懐かしみ米で作った米線を編み出したのでは」との推測を述べていた事です。このブログでも何度か触れたように苗族やトン族もかっては中原と呼ばれる地域に住んでいたものの、戦乱を逃れ、或いは北方の遊牧民に追いやられ湖南省、更には貴州省に定住したとの説もあります。
以前雲南省の保山市に行った際にも、矢張り新聞か何かで「保山市周辺に定住した中原流域からやってきた民族の一部が、小麦で出来た麺を懐かしみ、米で作った作ったメン状の食べ物、つまり米線や餌塊、餌絲を編み出した」との説を述べた記事を読んだ記憶があります。
日本でも米が主食で、米が良く食べられているのに、何故米を加工したメン状の米線が出来なかったのか以前から聊か不思議に思っていたのですが、若しこの説が正しいとすれば、日本で米線が作られなかった理由が分かった様に思います。
保山市の餌絲は、米で作った物ですが日本の素麺の様な細さで、食感も日本の素麺と略同じです。云うまでもなく日本の素麺は小麦を加工した物ですが、ここの餌絲は日本の素麺と区別がつかないと思います。
雲南省保山市周辺の餌絲は、他では見られない様に細く、日本の素麺の様です。原料は小麦でなく米が原料。大理市内のスーパー等でも保山の餌絲は売られていますが、今の時点で店頭で保山の餌絲を食べる事の出来る店は見つけていません。
これは河口県の米線。
私としては、中原流域から戦乱を逃れ、或いは元々は北方に住む民族の南下に伴い雲南省、貴州省、広西チワン族自治州に定着した人々が故郷を懐かしみ米線や餌絲を編み出したと云う説は当たっているのかと思います。そして、日本に米線が生まれなかった理由も解った様な気がします。