●自分好みの生活空間の復活
何かと行動に制約が多いことと、とにかく部屋が狭いのに耐えかねて、県職員単身者向け「文京寮」から飛び出して民間の賃貸アパートに暮らし始めると、ほんの3か月ほど前までの大学生時代の自由さとアクティブさが戻ってきた。
アパート「水明荘」は大手の業者ではなく地場の大工さんがオリジナルで建築したもののようで、トタン葺きの屋根や薄い壁に細々した柱、創作っぽい建具など、いかにも手作りで安く仕上げましたという感じが滲み出ているような造形だった。
台所は二畳くらいの細長い板床で、ダイニングにできるかと思いきや、学生時代に使っていた小型冷蔵庫を実家から改めて持ち込んで配置すると、その他には人暮らし用のコンパクトなテーブルなども置けそうで置けないような形状だった。
それでもあまり室内にモノを置きたくない質であったことと、ガスコンロ置き場やシンクとそれに続くステンレスの調理台が比較的大きめだったので、主にビールのつまみにするのに簡単な炒め物とか揚げ物をすることが好きだった自分には十分有難い設えだった。
当時の新潟で屈指の大規模小売店であり、当時は売り上げが系列店の中で全国一位を誇るといわれていて、百貨店のようなビル構えで新潟市の中心市街地に君臨していた「スーパーダイエー新潟店」が、ほんの近くにある場所へと引っ越してこれたので、洒落たガスコンロや台所用品、食材などなんでも買うのに重宝して、アパートでの食生活は直ぐに充実したものにできた。
さらにアパートの個性的な造りは風呂とトイレであった。入口が一つで一体化しているのであるが、ワンルームアパートやホテルのシングルルームにありがちな、いわゆるユニットバスではなく、まったく個人の感覚で仕立てたような空間だった。
すなわち、二畳ほどの細長い空間の床が一面青いタイルばりになっていて、長方形の短辺の一方側に湯舟が配され、混合栓とシャワーヘッドが備え付けられ、短辺の反対方の半畳ほどの空間に湯舟に向かうように様式便座が配されていたのだ。
壁は腰のあたりまでが青いタイル張りで、その上は天井まで白いぬり壁。窓は湯舟側の上に小さな小窓が一つで、この風呂トイレ部屋の丁度真ん中に白熱灯の照明が一つ。台所からドアをあけると脱衣場もなくいきなりこうしたタイル張り空間になるので、風呂掃除などで使いそうな”バスブーツ”を置いて、トイレに行く度にそれを履くことになる。現物を写真で示せないのが残念だが、建築した人の独創性なのかとにかく安く上げろという命題の下での仕事なのか、なかなか見たことのない空間であった。それでも若い独身男の一人暮らしだし、頓着の無い私には全然気にならなかった。
居間はオーソドックスな畳敷の六畳で、長方形の長辺側に出入り口があったので、ベッドなど家具を配置しやすかった。柏崎市の実家に保管しておいた木製組み立て式のシングルベッドをオンボロ愛車で再び新潟市のこの新たな住まいに運び戻して設置し、その反対側の一畳半の空間に、やはり柏崎市の実家を更に往復して持ち込んだ大型のスピーカセット2台とプリメインアンプ、カセットデッキなどを組み置いた。
そしてメインの音源メディアについては、壁や床の安普請を考えると、振動に弱いレコード針での再生には適さないだろうということで、当時出始めだったコンパクトディスクプレーヤーを思い切って購入し、今後のメディアはCDに切り替えていくと決意した。カセットテープにダビングしたきりでほんの数回しか針を落としておらず、各々に思い入れも深くて大事にしていたLPレコードが100枚近く実家には眠っていたのだが、時勢はいよいよデジタルへの切り替えという雰囲気だった。こうした引っ越しは思い切って何かを転換する良い機会だと自分に言い聞かせたのだ。
数か月ぶりにアパートの一室にて、カセットテープで大学生時代に良く聴いていた音楽をBGMにして簡単な酒の肴を作ったり、CDプレイヤー購入と同時に買った好みのミュージシャンの新譜二枚を交互に流しては、アナログレコードに比べたCDの扱いの容易さなどに感嘆しながら夜更けにウイスキーのロックを楽しんだりしながら、新たな居室での新生活に日々次第に馴染んでいったのだ。
(「新潟独り暮らし時代67「自分好みの生活空間の復活」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代68「集い易くて騒いでも苦情の無い有難さ」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
さらにアパートの個性的な造りは風呂とトイレであった。入口が一つで一体化しているのであるが、ワンルームアパートやホテルのシングルルームにありがちな、いわゆるユニットバスではなく、まったく個人の感覚で仕立てたような空間だった。
すなわち、二畳ほどの細長い空間の床が一面青いタイルばりになっていて、長方形の短辺の一方側に湯舟が配され、混合栓とシャワーヘッドが備え付けられ、短辺の反対方の半畳ほどの空間に湯舟に向かうように様式便座が配されていたのだ。
壁は腰のあたりまでが青いタイル張りで、その上は天井まで白いぬり壁。窓は湯舟側の上に小さな小窓が一つで、この風呂トイレ部屋の丁度真ん中に白熱灯の照明が一つ。台所からドアをあけると脱衣場もなくいきなりこうしたタイル張り空間になるので、風呂掃除などで使いそうな”バスブーツ”を置いて、トイレに行く度にそれを履くことになる。現物を写真で示せないのが残念だが、建築した人の独創性なのかとにかく安く上げろという命題の下での仕事なのか、なかなか見たことのない空間であった。それでも若い独身男の一人暮らしだし、頓着の無い私には全然気にならなかった。
居間はオーソドックスな畳敷の六畳で、長方形の長辺側に出入り口があったので、ベッドなど家具を配置しやすかった。柏崎市の実家に保管しておいた木製組み立て式のシングルベッドをオンボロ愛車で再び新潟市のこの新たな住まいに運び戻して設置し、その反対側の一畳半の空間に、やはり柏崎市の実家を更に往復して持ち込んだ大型のスピーカセット2台とプリメインアンプ、カセットデッキなどを組み置いた。
そしてメインの音源メディアについては、壁や床の安普請を考えると、振動に弱いレコード針での再生には適さないだろうということで、当時出始めだったコンパクトディスクプレーヤーを思い切って購入し、今後のメディアはCDに切り替えていくと決意した。カセットテープにダビングしたきりでほんの数回しか針を落としておらず、各々に思い入れも深くて大事にしていたLPレコードが100枚近く実家には眠っていたのだが、時勢はいよいよデジタルへの切り替えという雰囲気だった。こうした引っ越しは思い切って何かを転換する良い機会だと自分に言い聞かせたのだ。
数か月ぶりにアパートの一室にて、カセットテープで大学生時代に良く聴いていた音楽をBGMにして簡単な酒の肴を作ったり、CDプレイヤー購入と同時に買った好みのミュージシャンの新譜二枚を交互に流しては、アナログレコードに比べたCDの扱いの容易さなどに感嘆しながら夜更けにウイスキーのロックを楽しんだりしながら、新たな居室での新生活に日々次第に馴染んでいったのだ。
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